映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「バードマン」を観た

「バードマン」を観た。

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監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

日本公開:2015年

 

2016年も「レヴェナント」でアカデミー賞ノミネートされた、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督作品。主演はマイケル・キートン。あの89年版に公開されたバットマンを演じていた役者である。このキャスティングにもある示唆が含まれていると思うが、それは後述したい。

 

感想

この作品は語り口が多岐に亘っており、その素晴らしさを伝える事がとても難しい。おそらくこれだけの話題作でもあるし既にこの映画を観た方も多いと思うが、正直あまりピンと来なかったという意見も多いと思う。

 

それは、この映画における「テーマ」の解釈を、監督が意図的に避けているからだ。初見では多くの方が「で?結局何が言いたい映画なの?」という印象を持つ様に作られていて、ある意味この作品の印象はかなり観る人に委ねられる。

 

映画としての大きな特徴とも言える「一発撮りの様な長回し」や、演劇的なセリフ回しがあまりに先進性に溢れていて「なんだかすごいものを観ている」という感覚に、段々頭が痺れてきて思考が止まっていくのだ。

 

僕なりにこの映画のテーマを考えると、「自分の信じる道の為に、どこまで人生を犠牲に出来るのか?」だと思った。

 

落ち目のハリウッド俳優が、かつては『バードマン』というブロックバスタームービーで主役のヒーローを演じていたが、それ以来ヒット作が無く20年以上が経過している。そんな男が「俳優」として「アーティスト」として、自分の存在価値を賭けてブロードウェイでの成功に挑むというのが、この作品の主なプロットだ。劇中に度々現れる「バードマン」は文字通り「世の中に迎合する自分」の化身である。

 

宙に浮いたり、手を触れないで物を動かせたりするのは、心の中にある「本気出せばこれくらいは出来る俺」の象徴という事だろう。もしバードマンとして復帰すれば、超人的な能力が発揮できるのだという、いわば成功している自分という仮想世界と常に戦っている男を描いている。

 

バードマンとしての輝かしい過去にすがって生きれば(皆が望むバードマン4に出演すれば)、またハリウッドのトップスターに返り咲ける。娘や元妻との関係も回復するかもしれない。人生に置き忘れた様々なものを、取り戻せるかもしれない。

 

「でも」なのだ。

 

でも、それは自分の信じる道では無い。打算やお金では無い、自分の志の為に、敢えて困難な道を選択する主人公。

 

代役で現れたエドワート・ノートン演じるマイクは、自分の劇をメチャクチャにするエゴイストだし、演劇評論家には自分の過去のキャリアだけで酷評する事を宣言されるし、リーガンのアーティストとしての成功は、ほど遠い様に思える。だが自分のアイデンティティの為に、まさに劇中で見せる姿の様に「裸一貫」で戦う男を、過去にバットマンを演じていたという自分のキャリアと完全にリンクした役として、マイケル・キートンは見事に演じている。

 

ラストシーンで自ら銃を撃った後、まるでバードマンの様に鼻に包帯を巻かれたリーガン。ハリウッドのコスチュームでは無く、自分の力でバードマンとしての復活を遂げたリーガンは病院の窓から上空に舞う。それを誇らしげに見上げる娘のサマンサ。あれは現実なのか虚構なのか、それとも夢か。それはもはや関係無い。自らの人生を勝ち取った男の姿が描かれた、本当に見事なラストシーンである。

 

最後に劇中のBGMについて。アントニオ・サンチェスというジャズドラマーが織りなすドラムソロは、この映画に独特の緊張感とグルーヴをもたらしている。コードという音楽に安定感をもたらす要素を完全に排除した、今回のドラムだけのBGMは一寸先も読めない「バードマン」という作品世界を見事に表現しており、カッコいいという他無い。

 

とにかく映像的にも音響的にも、先進的な作品という意味では間違いなくトップレベルにあり、且つこれほど見応えのある映画はなかなか無い。傑作である。