映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「キングスマン」を観た

キングスマン」を観た。

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監督:マシュー・ヴォーン

日本公開:2015年

 

キック・アス」シリーズのマシュー・ヴォーン監督の最新作。劇場で一度観ていたので、今回はブルーレイで再観。

 

完全エンタメスパイムービーとして、「007」とも「ミッション・インポッシブル」とも「ジェイソン・ボーン」とも違う、新しい流れを作った作品だと思う。すでにシリーズ化も決定しており、間違いなく今後マシュー・ヴォーンの代表作となる作品だろう。公開当時、ネットでも軒並み高評価で、雑誌「映画秘宝」でも年間ベストムービーの2位に選ばれていた。

 

あらすじ

エグジーは16年前に父親を亡くし、ロンドンで無職のまま母と二人で暮らしていた。突然彼の前に現れた、高級テイラーキングスマン」の仕立て職人ハリー。だがハリーには裏の顔があり、秘密裏に活動するどこの国にも所属しないスパイ組織「キングスマン」のエージェントだった。実はエグジーの父はかつてハリーの命を救った諜報機関の同僚で、ハリーは恩人の子であるエグジーの成長を密かに見守っていた。成長したエグジーは高い身体能力と精神力を持っており、ハリーはキングスマンの新人候補としてスカウトする。エグジーは集められたライバルたちとの「キングスマン」新メンバーの座をかけた熾烈な競争に身を投じる事になる。

 

感想 

結論、間違いなくとても面白い作品だ。魅力的なスパイガジェットや、組織内の裏切り、スパイ組織へのリクルート要素や魅力的な悪役など、スパイ映画のシリーズ一作目に必要な要素は全て詰まっている。

 

劇中のセリフでもある様に「スカイフォール」に代表される、最近のシリアスなスパイ映画とは真逆のベクトルを持つ「楽しい」、そしてもっと言うと「おバカな」作品になっており娯楽感は満載である。「007」シリーズだと、初期のショーン・コネリーロジャー・ムーア時代の雰囲気が残っていると言える。

 

ただ何故か一回目の劇場鑑賞の時から、完全には手離しで喜べない妙なモヤモヤが残る。それは今回の二回目の鑑賞時も感じた。何が原因が最初に観た時は気付かなかったが、今回改めて観直してわかった。

 

あまりに「人の死がポップに描かれ過ぎている」のだ。もちろん、本作は娯楽映画だし、過去のアクション映画でも山ほど人は死んでいる。だが、基本的にアクション映画内で誰かが死んで観客が溜飲を下げるのは、悪人とその仲間たちに限定されると思う。主人公は、世界平和や人命救助などの何らかの戦う理由があり、それを阻止する輩を倒しているという基本的な構図があるからだ。

 

だが、この映画で死んでいく人達は違う。人種差別主義者や利己的な金持ちという一応のエクスキューズはあるが、自ら悪事を働く能動的な悪人ではない。いわば片寄った思想の人達と他人を垣間見ない小狡い金持ちだが、彼らが死んでいくシーンは、まるで楽しいアトラクションだと言わんばかりの大量殺略が描かれる。

 

レイナード・スキナードの「Free Bird」がかかる教会の大虐殺シーンと、後半、クラシックの名曲「威風堂々」がかかる頭部爆発シーンは、明らかにここでカタルシスを感じて欲しいという作り手の意図を感じる。

 

そして、その作り手の意図通りにこの映画の中で、文句無しに「快感を伴って」画面内では人が死んでいく。このシーンに関してだけは、いくら娯楽映画とはいえ、僕は余りにブラックユーモアが過ぎた演出だと感じた。いわゆる「引く」という感覚だ。全体的なコメディ感は支持出来るのだが、行き過ぎた人命軽視がこの作品の乗り切れない要素だ。

 

ホラー映画含めて人が沢山死ぬ映画が総じて悪いと言いたい訳では無い。ただ、そこには死ぬ事への恐怖や哀しみ、怒りや後悔と言った負の感情があるべきで、「死」だけはポジティブに描くべきものでは無いと個人的には思う。

 

とはいえ、映画として退屈する要素は全く無い作品だし、最高に面白いスパイ映画である事は疑いようが無い。前述の倫理的な部分を置いておくなら、面白さという意味では、2015年公開のアクション映画を代表する作品だと思う。このジャンルが好きなら観ておいて損は無い。

 

続編はハリー役のコリン・ファースが再登場する事も決まっているし。

ってアレッ?◯◯◯てなかったっけ?