映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「ミスティック・リバー」を観た

ミスティック・リバー」を観た。

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監督:クリント・イーストウッド
日本公開:2004年

 

約10年ぶりにブルーレイにて再見。久しぶりに観ても、やはり名作。

 

監督のクリント・イーストウッドは、今やアメリカを代表する映画作家である。名作「アメリカン・スナイパー」「許されざる者」「ジャージーボーイズ」、「グラン・トリノ」「ミリオンダラー・ベイビー」など、誤解を恐れずに言えば、「アメリカにおける男の生き様」というテーマで、いつも映画を作り続けてきた作家だと思う。

 

クリント・イーストウッドが描くアメリカの男たちは、いつも何かに追われ、苦悩し、耐えながら人生を過ごしている。対象は「戦争の経験」「名声からのプレッシャー」「失った人との記憶」など様々だ。苦悩しながら生きる主人公を通して、アメリカの闇を描きながら、それでも「君はどう生きるのか?」をいつも問いかけてくる作家の様な気がする。

 

今回の「ミスティック・リバー」も基本的には同じテーマの映画だ。重くて哀しい、運命の残酷さを描いた作品である。

 

あらすじ(ネタバレ全開)

一度は犯罪社会に身を置きながら今は雑貨店を経営しているジミー(ショーン・ペン)、平凡な家庭人であるデイヴ(ティム・ロビンス)、刑事のショーンケヴィン・ベーコン)の3人は、ボストンのイーストバッキンガム地区で少年時代を共に過ごした幼なじみ。しかし彼らが11歳の時、3人で遊んでいる所を警官を装った男たちに話しかけられ、デイヴだけが誘拐されて性的な凌辱を受けるという事件が起こる。デイヴは4日間の監禁の末に逃亡したが、その日を境に3人の気持ちは離れ離れになった。

 

それから25年後の現在、ジミーの娘が何者かに殺される殺人事件が勃発。捜査にあたることになったのはショーンと相棒のホワイティーであり、容疑者として浮かび上がってきたのは、当日のアリバイや行動に謎の多いデイヴだった。今も少年時代のトラウマに悩まされており、常に言動が不安定なデイヴ。そして事件当夜に血まみれで帰宅した彼に、妻のセレステは不安を隠しきれずにいた。

 

デイヴが警察に連行され容疑者として取り調べを受けている事、しかも血まみれで帰宅したとの情報を掴んだジミーは自らの手で娘の復讐を果たすべく、デイヴを呼び出す。少年に悪戯をしていた男を町で見かけた為、殴り殺して血まみれになったと主張するデイヴに、「本当の事を言わなければ殺す」と脅すジミー。デイヴは命の危険を感じて思わず娘を殺したと証言してしまう。それを聞いたジミーは激情しデイヴを殺害、死体を川に沈める。

 

しかし一方、ショーンは真犯人を逮捕していた。それは殺された娘のボーイフレンドの弟と、その友人だった。まもなく、デイヴが殴り殺した男の死体も発見される。デイブは真実を語っていたのだ。事件の真相をショーンから聞いたジミーは、激しい悔恨の念に打ち震える。そしてショーンも、デイヴを殺したのがジミーだと気付いていた。

 

 

感想

映画を構成する要素には大きく、脚本、演出、映像、演技の4要素があると思っている。ストーリー自体の面白さ、セットや衣装を含む映画のトーンや雰囲気作り、VFXやカメラワークなどで魅せる画面構成、そして役者たちが織り成す演技。これらが高い水準で相まって素晴らしい映画が作られる。

 

この「ミスティック・リバー」はその4要素の中でも、特に役者の「演技」が突出していると思う。ショーン・ペンティム・ロビンスケヴィン・ベーコンの3人の役者がほぼいつも画面に登場しているが、彼らが背負う「後悔」と「諦観」「哀しさ」が画面を通して観客に伝わる事で、この映画の空気を完全に決定している。

 

特にショーン・ペンティム・ロビンスが、テラスで語り合うシーン。
娘を殺された悲しみを、少ないセリフと表情で表現しているショーン・ペンの演技は本当に素晴らしい。この映画におけるショーン・ペンの演技は全編を通して神懸っていると思う。終始感じる、ティム・ロビンスの孤独な佇まいも良い。彼の演技で、どう見てもデイヴの心は壊れてしまっているように見えるからだ。

 

メインキャラクターのうちの2人であるジミーとショーンは、「25年前のあの日に車で連れ去れたのがもし自分だったら?」という思いをいつも背負いながら生きている。そしてトラウマを抱えて生きるデイヴを見る度に、目の前で連れ去られるのを助けられなかった自分達を心の中で責めている為、一生心の平穏が訪れる事はないと思っている。

 

だが映画のラストシーン、デイヴが殺された後、ボストンの小さな町で行われているお祭りの日。たまたまパレードの通りを挟んで目が合うジミーとショーン。傍らにはお互いの家族がいる。ゆっくりと指で拳銃の形を作り、ジミーを撃つ真似をするショーン。それをじっと見ているジミー。パレードの陽気な音楽と青空。

 

ここで映画は終わる。

 

ハッキリとした結末は描かれない。だが、僕はおそらくジミーのデイヴ殺しは、このまま闇に葬られるのだと感じた。もし彼を逮捕する気なら、とっくに出来ていると思う。デイヴの死体を沈めた川「ミスティック・リバー」に、二人の「秘密」と「子供の頃にデイヴを救えなかった後悔」の全てを沈めて、そして一抹の心の平穏を得て、彼らの人生はボストンの小さな町で続いていくのだ。

 

この映画は一見、「ジミーの娘を誰が殺したのか?」というサスペンス要素が、ストーリーを牽引していく作りだが本質はそこにはない。犯人は取って付けたように最後に明かされる為、そこに期待すると正直がっかりする。ストーリー的にもデイヴの妻セレステの行動などちょっと無理があるし、綻びもある。だがそれよりも、とにかく主演3人を含む役者の演技合戦がこの映画の見どころだし、これを映画的に演出したクリント・イーストウッドの手腕も見事だと思う。


けっして派手な映画ではないが、イーストウッドの代表作の一つとして観ておいて損はない作品だと思う。