映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「クリード チャンプを継ぐ男」を観た

クリード  チャンプを継ぐ男」を観た。

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監督:ライアン・クーグラー

日本公開:2015年

 

思い起こせば、2016年の一番最初に映画館で観た作品である。今回、改めてブルーレイで再見。家で映画を観る事のメリットの一つは、周りの目を気にせずに思い切り泣ける事だろう。この映画の後半10分を観ている時の涙腺決壊ぶりは、とても人に見せられたものではない。そういえば映画館で観た時も、涙を我慢するのが大変だった。

 

所詮ロッキーシリーズのスピンオフ作品だろうと侮っていた自分が、恥ずかしくなる位にこの映画には大事なメッセージが詰まっており、特に人生の折り返し地点に差し掛かった自分にとっては忘れ難い一本となった。若さとは?老いていく事とは?そして自分の人生を生きるとは?大げさでは無く、観終わった後にこういった事を改めて考えさせられた。ただのロッキーの名前を借りただけの劣化版でも、ただのボクシング映画でも無い。人間ドラマの傑作として、強烈に記憶に残る作品だ。

 

あらすじ

会社員として昇進し、周りからは前途洋々だと思われたアドニスは、毎日を満たされない気持ちを抱えて生活していた。アドニスの父であるアポロ・クリードは、ボクシングの世界チャンピオンだったが彼が生まれる前に死んでしまっていた。アドニスはアポロの愛人の息子であったが、ボクシングへの情熱と才能を受け継いでおり、遂にその気持ちを止められなくなった為、会社を辞めてプロのボクサーとして生きていく事を決意する。

 

降り立った場所はフィラデルフィア。亡き父がロッキー・バルボアと伝説的な死闘を繰り広げた地だ。この地に降り立ったアドニスは、父の盟友でもあるロッキーを尋ねトレーナーになってほしいと頼み込む。ロッキーは愛する妻や友人に先立たれ、ボクシングからは身を引いて孤独に暮らしていた。しかし、アドニスの中にアポロの面影を感じ、更にその純粋なボクシングへの情熱を感じたロッキーは、トレーナーになることを引き受ける。

 

ロッキーはアドニスに自分の持てる全てを托そうとする。おかげで父の血とロッキーの教えに支えられ、アドニスはどんな強敵を前にしても一歩も引かず、勇敢に戦う男に成長していた。周りには親の七光りだと罵られ、苦しいトレーニングに根を上げそうになっても、決して諦めることはなかった。

 

その甲斐もあり、ボクサーとして順調にキャリアを重ねていたアドニスだが、ある時アポロの息子だというだけで、現世界チャンピオンであるコンランとの引退試合という「当て馬」的な試合をブッキングされる。不本意な形ではあるが、曲がりなりにも世界王者への挑戦権を手にしたのだ。試合は半年後。しかしタイトルマッチの直前、ロッキーの体に異変が起こっていた。癌に冒されている事が判明したのだ。

 

「治療はしない。苦しい抗がん治療をしたって結果は分かっている。女房と同じだ。もう俺には何もない」そう言って治療を拒むロッキー。妻のエイドリアンも癌で亡くなっていたのだ。そんなロッキーにアドニスは言う。

 

「二人で一緒に戦おう」

この言葉に勇気付けられたロッキーは再び闘志を燃やし、アドニスと共にリングに向かい、病気と闘う事を決意する。そして、二人の試練の日々が始まった。ロッキーの看病をしながら、トレーニングを行うアドニス。ロッキーも抗がん治療の為、苦しい毎日を送る。

 

そして、遂に王者コンランとの決戦の日が訪れる。会場の客もマスコミも、ほぼコンランびいきのアウェー状態。だが、アドニスのセコンドにはあのロッキーが立っていた。そして、運命のゴングが鳴った。

 

 

感想

アドニスがyoutubeで、父アポロとロッキーの試合を観ながら、思わずシャドウボクシングを始めてしまう場面がある。更に、レストランで恋人のシンガーに「何故歌を歌うの?」と聞いた答えが「生きてるって実感できるから」だった時に思わず笑顔を見せる場面。

 

人が本気で夢を掴もうと動き始める瞬間は、とても尊く美しい。こうして若者は自らの道を切り開いていく。そして、彼ら彼女らの活動の中から音楽の名演奏だったり、スポーツの名シーンだったり、絵や映画や小説の名作が生まれていく。最初は「何か」をやりたいというシンプルな動機だが、それを本気で思い努力すれば夢は掴めるはずだという、ポジティブなメッセージがこの映画には色濃く流れている。そして、それはロッキーシリーズの共通メッセージでもある。

 

そして、現役を退いて年老いても「まだやれる、まだやりたい」と思い続ければ、その想いは達成出来るという、もう一つのメッセージも感じる。今作で、一度は断ったアドニスのトレーナーになるという決断をした後のロッキーは、見違える様に活き活きとして見える。それは、自分があれだけ人生を賭けたボクシングという世界に、若い才能を通してまた携われるという喜びからであろう。これはどんな世界でもある事だと思う。

 

師匠から弟子へ、上司から部下へ、親から子へ。様々なシチュエーションが考えられるが、挑戦者は本気でやりたい事があるなら、自分の可能性を信じて飛び込み、その挑戦者に心を動かされたなら、経験者は彼らを助け、導きながら自らも更に成長していく。そうやって人生が歩めれば、歳を取るのもきっと悪く無いだろう。映画のラストシーン、2人はフィラデルフィア美術館の階段を登る。未だ闘病中のロッキーは、途中で立ち止まりそうになるが、後ろからアドニスが支える。そして2人は階段を登りきり、フィラデルフィアの街を見下ろしながら、「悪くない人生だ」と語り合う。これほど、この映画に相応しいエンディングは無い。ロッキーの意志は、アドニスに引き継がれたのだ。

 

映画の作りだが、端的にこの映画はとてもセンスが良いと感じた。誰もが思うであろう中盤の2ラウンド完全ノーカットの長回しシーンの緊迫感もさる事ながら、音楽の使い方も、全編抑揚が効いており本当にお洒落だ。抑揚が効いているからこそ、遂に「ロッキーのテーマ」が流れる瞬間のカタルシスは破壊的だし、2Pacなどのヒップホップミュージックの使い方も見事だ。スローモーションの使い方もあざとく無く的確だし、スタローンの過去作「デイライト」の一場面がテレビで流れているなどのお遊びの要素もある。「ロッキー」というと感じる懐古主義的な映画では全く無く、完全に現代にアップデートされた素晴らしい演出の映画なのだ。

 

とにかく、ここにはとても書き切れないが名シーンの連続でチャンピオンとの最終戦だけで語り口は山程あるだろう。闘うアドニスに限界を見たロッキーが「父親の二の舞だ、止めよう」と試合を中断しようとするシーン。だがアドニスは片目が腫れてほぼ見えない状態なのに、「自分が過ちじゃなかったと証明したい」と闘う意志を見せる。

 

アドニスはアポロの愛人の子供だった為、「親の七光り」だと言われ続けながらも、自分を産んでくれた母親と、そして自分自身の存在を肯定する為に闘っていたのだろう。そして、それを聞いたロッキーは全てを察し「お前のおかげで俺は救われた。俺も癌を倒す。だから、お前も奴を倒せ」と答える。このシーンが観れただけでこの映画を観た価値はあったと思った名シーンだ。

 

過去のロッキーシリーズは、もちろん観ていた方が楽しめるのは間違いない。特にアポロとロッキーの関係や、妻エイドリアンとの死別などはこの映画にも関連してくる。だが、この「クリード」は、単体で観ても観客に充分な満足感を与えてくれる。監督のライアン・クーグラーはまだ長編二作目だが、シルベスター・スタローンにこの企画を持ち込み、見事映画化に成功したらしい。この話が既にアメリカンドリームで、ロッキーらしいエピソードだと思う。ちなみにこの「クリード」で、スタローンはアカデミー助演男優賞を受賞している。ロッキー1作目以来の約40年ぶりの受賞である。