映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「この世界の片隅に」を観た

この世界の片隅に」を観た。

f:id:teraniht:20161224195343j:plain

監督:片渕須直

公開:2016年

 

やっと「この世界の片隅に」を鑑賞出来た。都内でも上映館がそれほど多くない上に、軒並み大盛況の為、なかなか時間が合わなかったのだ。ただ、この作品は劇場で観ておいて本当に良かった。鑑賞後の感覚はとても不思議で、何故か手足がジーンと痺れている感じで頭もボーッとしていた。恐らく「感動した」という表現が一番近いのだろうが、「人間が生きるということ」「人が人を想うということ」「戦争の暴力性」を凝縮して見せられた126分だった為、色々な感情が湧き上がる、自分でも不思議な感覚であった。この映画が伝えようとしているメッセージは膨大で、そして尊い。

 

感想

僕はもちろん戦争を経験していない世代である。よって、戦時中の日本の様子はテレビや映画を通してしか知らない。しかも戦争に赴く人の視点や、実際に戦況が厳しくなってからの人々の過酷な生活の様子は、何度もテーマとして取り上げられているが、戦争中のいわゆる「市井の人々」がどの様に過ごしていたかは、この映画を観るまで違うイメージを持っていた。

 

この作品は主人公の「すずさん」という、いわゆる普通の人の視点を通して、戦争中の日本を観るという構成になっている。戦時中における庶民の生活とは、日々貧困で抑圧された陰惨なイメージがあるが、実は彼女たちも毎日の生活に小さな幸せを見つけながら、逞しく、そして楽しく生活していた事がわかる。とにかく映画前半のすずさんは、よく笑う。そして恋だってする。

 

もちろん貧しい生活である事は間違いない。だが助け合い、創意工夫で毎日の料理をし、それを皆で食卓を囲みながら食べて、日々起こった事を語り合う。この、ある意味で牧歌的とも言える描写が丹念に積み重ねられる事で、後半戦争が激化していくにつれて起こる「戦争という理不尽な暴力」に、観客はすずさんと同じ気持ちで憤りを感じる。

 

絵を描く事が得意なすずさんが、映画後半で起こる出来事により、どんな気持ちになったのか?自分を表現する唯一の手段が絶たれ、自分の大事な人が突然いなくなる理不尽さとは、どれほど人を負の感情に陥れるのかをイヤという程に突きつけてくるのだ。

 

またキャラクター設定も見事だ。主人公すずさんの朗らかで素直な性格のおかげで、観客は彼女の事がすぐに好きになる。だからこそ、彼女の置かれる境遇に一喜一憂出来る。また彼女が嫁ぐ旦那の周作さんがまた良い。すずさんの事を心から愛し、人の事を慮れる人物として丹念に描かれている。

 

すずさんが昔から恋い焦がれている、水原さんという男性が、突然すずさんの元を訪れるシーンがある。その際に、旦那の周作さんは二人で語り合う時間が欲しいだろうと、あえて二人きりの時間を提供するのだ。それはすずさんの水原さんに対する態度を見て、全てを察した周作さんの優しさと、結婚して無理にこの家に連れて来てしまった事への贖罪からの行動だ。

 

だがこれに対し、すずさんは周作さんに対して怒る。この作品ですずさんが周作さんに初めて怒りを見せるシーンだ。こうして、二人は本当の夫婦になる。この作品に登場するキャラクターは、自らの行動に対して多くを説明しない。だが、観客はその言動の意図がよく分かる。これはキャラクターが、この映画の中で「生きている」からだ。だから、彼女たちが起こす行動に対して、一緒に笑えて泣ける。特に特徴的なキャラクターは、周作の姉であるケイコである。彼女はバックボーンが複雑だし、勝ち気な性格の為、彼女の言動と内面の感情が一致しない事が多いが、本当は繊細で優しい性格である事が分かってくる。そして悲しいキャラクターなのである。

 

この映画のラストシーン、日本に原爆が落とされ多くの人が死に、戦争に負けても明日、1ヶ月後、1年後、そして10年後も庶民の生活は続き、家族を形成していくのだという事が示される。そして「服を作る」という行動から、彼ら彼女らはこの日本という国で努力し、日本人として創意工夫を重ねながら、しっかり生き続けていくのだという極めて肯定的で前向きなメッセージが提示されて映画は終わる。涙でぼんやりした視界の中エンドクレジットが始まり、この作品を鑑賞できた事に、僕は本当に幸せを感じた。

 

こんな拙い文章では、この映画の素晴らしさは伝えられない。是非、この傑作を劇場で観て頂きたいと思う。「この世界の片隅に」は、今後日本アニメーションの歴史に名を残す名作になるのは間違いないだろう。