映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「バケモノの子」を観た

バケモノの子」を観た。

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監督:細田 守

公開:2015年

 

2017年、本ブログで扱う最初の作品は、日本アニメーションの未来を背負って立つ、細田守監督の現状最新作である。「時をかける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」と、眩しいばかりの名作を放ってきた細田監督が、今回テーマにするのは「子供の成長」だ。「おおかみこども〜」は母と子供の関係を描いていたし、「サマーウォーズ」は「親戚」をモチーフにしていた事を考えると、「家族」は細田監督の共通テーマと言えそうだ。

 

あらすじ(ネタバレ全開)

日本。ある日少年は母親を亡くしてしまい父親も行方不明の為、ほとんど顔も知らない親戚に引き取られそうになるが、なんとかその場を逃げ出す。行くあてもなく渋谷を彷徨っているときに、バケモノの顔を持つ熊鉄に出会う。その熊鉄に「俺のところに来るか」と言われ、戸惑いつつも熊鉄を追って、秘密の路地裏からバケモノの世界に入り込む。

 

熊鉄は一見、ただの怠け者に見えたが、実はバケモノの世界で一二を争う格闘の強者であった。だが、バケモノの世界では「人間は心の闇を持っている為、バケモノの世界に不吉をもたらす」とされていた。よって、少年がバケモノ界にいる事を熊鉄のライバルである猪王山から大反発を食らうが、バケモノ界の長老である宗師の手助けもあり、熊鉄の弟子となる。

 

一方、猪王山には一郎彦と二郎丸という二人の息子がおり、強さと品格共に定評がある事から、熊鉄とは違いバケモノ界では強い信頼があった。

 

9歳である事から、熊鉄から「九太」と名付けられた少年は、粗暴な熊鉄とぶつかりながらも、熊鉄の修行についていき、師匠の真似をしながら、次第に実力を身につけ、強くなっていく。それと同時に、熊鉄との擬似的な親子関係も深まっていく。

 

そして月日が流れ、九太は実力を備えた17歳の青年となるが、ある日秘密の路地裏から久々に人間界に戻ってしまう。そこで、同年代の少女楓と出会う。楓との交流を通じて、学校にほとんど通っていない九太は、人間界で勉強の楽しさを知り、様々なことを学ぶ。

 

さらに九太はもっと勉強をしたいと考え、大学編入を考えるようになる。そのためにずっと会っていなかった父親を探し出す。再開を喜ぶ父親を見て、本当の父親との人間界での新たな生活を考え始める九太。

 

だが、そんな九太の変化に熊鉄は戸惑う。もはや九太は、熊鉄にとってはかけがえのない「我が子」になっていたのだ。

 

そんな時、バケモノの世界では新たな宗師を決めるための格闘大会が開かれ、熊鉄は猪王山と戦う事になる。始めは劣勢だったが、最後には信頼する九太の声援を受け勝利する。

 

しかし、それをよく思わなかった猪王山の息子である一郎彦の不意の一撃により、熊鉄は瀕死の傷を負ってしまう。そしてそのまま、一郎彦は闇の力を止められず暴走し、人間界にまで影響を及ぼし始める。実は一郎彦は、猪王山が人間界から赤ん坊の頃に拾ってきた捨て子であり、その事実を隠して猪王山が育ててきたのだ。

 

同じ人間である一郎彦の暴走を止める為、九太は人間界に向かう。暴走を続ける一郎彦の圧倒的な闇の力に苦戦する九太を助けたのは、瀕死の重体から生まれ変わり「心の剣」となった熊鉄だった。

 

九太は熊鉄が転生した剣により、一郎彦の暴走を止め、人間とバケモノの世界を救うことに成功する。そして、九太は人間界で実の父親との穏やかな生活を始めるが、心の中には常に、師匠であり育ての父親である熊鉄がいる事が示されて映画は終わる。

 

感想

この映画は、細田守作品の中でも賛否両論あるようだが、僕は基本的には賛成派。もちろん前半のバケモノ界での熊鉄との修行シーンにおける面白さに比べて、後半九太が人間界に戻ってからが急に失速するとか、熊鉄VS猪王山の熊鉄ダウン時におけるカウントがおかしいとか、言いたい事が無い事はない。

 

だがそれ以上に「子供が成長してアイデンティティに目覚めるという事と、それによる親の成長」がこの映画では描かれており、大変面白い。前半、九太に対して自己流で教える一方だった熊鉄だが、気付くと九太から足の動かし方を習っているというシーンがある。しかも共に修行する事で、動きすら洗練されていく。弟子(息子)を育てるという事は、その手本となるべき行動を取らなければならず、結果として師匠(親)も徐々に成長していく。これは実際の親も同じだろう。最初から完璧な親などおらず、子供を育てながら、共に親も成長するのである。

 

また親以外の周りの大人の存在も重要だ。この作品においては、多々良と百秋坊というキャラがそれにあたる。熊鉄と九太の近くにいて、俯瞰してどちらに対してもアドバイスを送る2人がいたおかげで、熊鉄と九太だけでは解決しない問題も糸口が見つかったり、お互いの息抜きが出来たりする。この多々良と百秋坊の2人が、九太の成長に対して「誇らしい」と呟くシーンがあるが、これは親と同じ視点で九太を見ているからこその発言だ。この一言だけで、彼らの九太に対する愛情が観客に伝わり、僕は思わず涙ぐんでしまった。名シーンである。

 

また猪王山の息子である一郎彦の描き方だが、映画終盤のあるシーンまで観れば解るが、家族の愛情を一身に受けて育てられてきた事がわかる。過去のパターンであれば、熊鉄との関係が強い九太と比較する為に、こういうキャラは親の愛情が薄いせいで悪の道に引きずり込まれるケースが多いのだが、この映画は違う。

 

ある意味、一郎彦と九太は同じ境遇なのである。では、2人の運命が変わるのは何故なのか?これも親の教育以外の要素、友人である楓からもらう「赤い紐」のおかげだ。この紐があったおかげで、九太は心の闇に飲み込まれないで済む。この赤い紐とは、楓という家族以外の絆を可視化したアイテムである。(ラストで、これが一郎彦の手首に巻かれている事が、ミソ)

 

この映画は子供というのは当然、親がきちんと愛情を注いで、時には自らを犠牲にしてでも育てないといけないし、子供自身もいかに自ら世の中や、自分の人生に対しコミット出来るかが大事だと言っている気がする。親と子供のどちらかの努力だけではダメで、相互の意思が必要なのである。だからこそ、この映画は広い年齢層に「自分のストーリー」として届くのでは無いだろうか。親は親なりの、子供は子供なりの観かたで楽しめる作品となっていると思うのだ。

 

残念ながら、確かに個人的には不朽の名作だと思っている、「おおかみこどもの雨と雪」の完成度には至っていないかもしれない。だが、やはりこの作品も普遍的なメッセージを含みながらも、それをエンタメ大作アニメーション映画として多くの層の人にアプローチ出来る優れた作品になっていると思う。

 

個人的には若者たちのメッセージが色濃い「君の名は。」よりも、ストレートに胸に刺さる作品だった。細田守監督の次回作へのプレッシャーは凄まじいと思うが、本当の意味での国民的なアニメ作家の新作を、僕は期待して待っていたい。