映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

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「悪と仮面のルール」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

悪と仮面のルール」を観た。

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監督:中村哲平
出演:玉木宏新木優子吉沢亮、‪中村達也
日本公開:2018年

 

芥川賞作家の中村文則による同名サスペンス小説を映画化。主演は玉木宏。本作の英訳版 (EVIL AND THE MASK)は、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年ベストミステリーの10作品に選ばれているそうだ。ちなみに原作は未読。僕は完全にタイトルとあらすじだけで、サスペンス映画だと思って鑑賞してしまったが、実はほぼ恋愛映画だった。しかも、全く感情移入が出来ないキャラクターと設定で、久しぶりにキツい二時間であった。今回はかなり辛口感想なのと、ネタバレ全開なのでご注意を。

 

あらすじ

財閥の久喜家当主である父に、「純粋な悪=邪」となることだけを望まれ育てられてきた少年の文宏は、ある日思いを寄せる久喜家の養女である香織(新木優子)が、屋敷の中で父に汚されようとしている現場を目撃してしまう。彼女に好意を寄せていた文宏は、香織を守るため父を殺害するが、自分が次第に憎悪する父に似ていくことに気付き、香織の前から姿を消す。成長して整形した文宏は、新谷(玉木宏)という別人に成り済まし、香織をひそかに見守るが、様々な悪の手が成長した香織に迫っていた。

 

感想&解説

まずタイトルと内容のミスマッチが酷い。正直、純粋な悪として育てられたはずの玉木宏演じる「新谷」というキャラクターが、全く悪として描かれていないので、肩すかしを喰らう。やっている事は、自分が殺した父親の遺した莫大な遺産を使って、探偵を雇い、少年時代に恋心を抱いていた新木優子演じる、「香織」のストーキングをするだけ。そして、彼女の周りに群がるヤク中や狂った兄から彼女を守る為に、右往左往するというのが、本作の大まかなストーリーである。

 

新谷の行動が「香織を守る事」という目的で徹底されているので、いくら劇中で人を殺そうが、彼らは殺されても仕方ない悪役として描かれている為、新谷は「悪」には見えない。ただし、その殺害方法は「背中を押して、部屋に監禁する」「麻薬中毒者のクスリの中に毒物を混入する」という、地味な上に卑怯な方法である為、「アンチヒーロー感」もなくキャラクターとしても中途半端だ。

 

また何故、彼の父親がそんな歪んだ教育を施したのか?も、この映画を観る限り全く解らないし、父に養女として育てられるが虐待され、トラウマになってもおかしくない体験をしているはずの香織も、高級クラブであまり悲壮感なく純粋に生きていて、総じて人物描写もペラペラである。本作唯一の魅力的なキャラになりそうな、‪中村達也‬演じる「久喜幹彦」という久喜家の二男も、「邪」として育てられたという新谷に「香織を連れて来い。そして俺の仲間になれ」と執拗に迫るが、観客は新谷がそんな香織を危険にさらす様なマネをするはずが無い事は分かりきっている為、何のスリルも無いシーンになっている。逆に香織が幹彦に捕まっていて、脅迫されているなら分かるが、ここで新谷の葛藤する仕掛けが一切ないのである。

 

かつ、フリーターのメガネ男との格闘にも負けそうになるほど肉体的にも弱く、悪にも善にもなり切れていない、言い換えれば全く魅力的ではない新谷を仲間にするメリットが観客に全く伝わらない為、幹彦の行動も謎に見える。幹彦の目的は「大規模なテロにより、日本国民の価値観や常識を崩壊させ、全てを無に還す」という、クリストファー・ノーラン監督の名作「‪ダークナイト‬」のジョーカーフォロワーみたいな目的らしいが、恐らく新谷は何の役にも立たないだろう。幹彦が一人で実行に移した方がいい。ただしこの目的が達成できる程、久喜幹彦やその組織自身も優秀には見えない為、彼らの言っている事はただの中二病の妄想に見え、現実感も切迫感も無い。凶暴な男である事は伝わってくるが、いつも飲んだくれていて、大きな組織を動かして、大規模テロの綿密な計画を立てられる人物には見えないからだ。

 

不満はまだまだ続く。劇中、柄本明演じる刑事が新谷の元を訪れて、再三、元恋人の命日なのに墓参りにも行かないのか?の様な事を言う。ここから新谷はこの元恋人の死に何か関与していて、刑事が未だにその事件を追っていること、新谷に疑惑を持っていることなどが分かるのだが、なんと最後までこの元恋人の事件は、この映画のストーリーの中では言及されない。本当に恋人の死に関連していて殺しているのなら、それはどんな理由なのか?何があったのか?は、この新谷というキャラクター造形の上で絶対に必要な情報だろう。観客にとって過去にどの位、彼が「邪」に染まっていたのか?の重要な情報だからである。むしろ、ここに言及しないのならこのエピソードは削除した方がいい。

 

更にこの刑事は新谷を久しぶりに見て、「なにか雰囲気が変わりましたね」という様な事を言う。はっきり顔が変わったと言わないのだ。これは幹彦と会った時も言われないので、ここで更に観客は混乱する。僕たちは、「大人で整形前」の新谷の顔を知らない。劇中で描かれないからだ。よって、このセリフにより「もしかして、整形後もそれほど顔が変わっていないのか?」という妙なノイズが生じてくる。その割には、香織と再会した際にも彼女は全く新谷に気付かない。この辺りのセリフと演出がまったく謎なのである。本作のタイトルにもなっている「仮面」=「整形」があまり設定上、上手く活かされていないと感じた。

 

また、この映画はとにかくセリフが多い。逆に言えば、全ての感情やメッセージをセリフでのみ説明してしまう。「何故、人は生きるのか?」という様な文学的な問いかけが、キャラクターの口から発せられ、それについて彼らは語り合う。これは小説であれば違和感がないのかもしれない。だが、映画という映像演出の中でこれをやられると正直キツい。映画は映像表現だ。もっとセリフに頼らない演出で、キャラクターの心情を観せてくれないと、小説を読んだ方が良いという結論になってしまう。

 

ラストシーン、幼馴染の「久喜文宏」としての正体を隠したまま、新谷と香織が車の中で語り合う。二人のバストアップのショットが切り返されながらセリフを言うだけのシーン。役者の演技によってなんとか観ていられるが、安易に感動を誘うようなウェットに富んだBGMをバックに、十代の頃の二人がどれだけお互いを必要としていたかが涙ながらに語られる。新谷がボロボロ泣きながら香織に対しての感謝を語るシーンと突然の告白シーンを見ながら、さすがにこれは香織が途中で新谷の正体に気付くのだろうと思っていると、なんと最後まで彼女はそれに気付かない。あれほどお互いの事を必要として、いつも一緒にいたはずの二人なのに、「整形して顔が変わった事」がその「過去の絆」を越えられないのだ。

 

そしてそのまま香織を車から降ろすと、「これからどうするんですか?」と聞く香織に、新谷は満足そうな顔で「これからも生きていきます」と答えて、車が走り出すところで映画は終わる。彼女を脅かす存在が居なくなったから、もう新谷は満足という事だろうか。では、彼は何がきっかけで顔まで変えて彼女を守ろうと思い立ったのだろう。元彼女と付き合ってた頃は、そうは思わなかったのだろうか。とにかく観ている間、頭の中は「?」だらけなのである。

 

もしかすると、原作を読めば上記の不満点はある程度解決するのかもしれない。だが、これは1,800円払って鑑賞した単体の映画作品である。その割に本作はあまりに脚本と演出が酷いと言わざるを得ない。また動機やキャラクター設定に必要な説明シーンが、圧倒的に足りてない為、各キャラクターの行動や心情がまったく理解できない。途中で登場する「娼婦役」も取って付けたような役割で、もっと香織との比較対象として描きこめば面白くなったのに、など登場キャラクターの描き込みも薄い。個人的な好みと違う作品という事もあり、かなり辛口になってしまったが、それでも近作の日本映画のレベルの高さからすると、本作はやはり厳しい出来だと思う。逆に、評価の高い原作の出来が気になるほどだ。少なくとも、「悪と仮面のルール」の映画版は全くオススメ出来ない一作だった。