映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

ザ・スクエア 思いやりの聖域」を観た。

f:id:teraniht:20180506010210j:image

監督:リューベン・オストルンド

出演:クレス・バング、エリザベス・モス、ドミニク・ウェスト

日本公開:2018年


第70回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した風刺劇。監督は「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド。世界的な評価は高く、公式HPにも日本国内の著名人コメントが並ぶが、個人的には正直ピンと来ない作品であった。今回は酷評なのとネタバレありなので、ご注意を。

 

あらすじ

美術館のキュレーターとして有名なクリスティアン(クレス・バング)は、良き父親であり、同時に慈善活動を支援するなど、周囲から尊敬されていた。ある日、他人への思いやりを促すインスタレーションザ・スクエア」の企画を思いつき、その準備に追われていたが、街でトラブルに巻き込まれて、財布とスマートフォンを盗まれてしまう。それらを取り戻すために彼が取った行動が、思わぬ事態を引き起こす。

 

感想&解説

楽しい娯楽作品や気軽に観れる映画を期待している人は、まず向いていない。徹頭徹尾、観客を居心地悪く、落ち着かない気分にさせる映画だ。そしてこの居心地の悪さの理由を考え、この場面、自分だったらどう行動するか?を考えながら、湧き上がる嫌な気持ちを我慢しながらスクリーンを眺めるという、倒錯した楽しみ方をする作品である。しかも上映時間も151分と長い。主人公が困っているシーンが、様々なシチュエーションで描かれる為、それほど退屈はしないが、映画が終わるとかなり疲れるし、決してわかりやすい救いのあるエンディングでも無い。

 

まず主人公の職業である、美術館のキュレーターという仕事が聞き慣れないが、展覧会の企画・構成・運営などをつかさどる専門職という事で、非常に地位の高い職業のようだ。このキュレーターの主人公クリスティアンは、離婚歴はあるが二児の父で、基本的には良識ある善人として描かれる。だが、ある日ケータイと財布を盗まれた事から、この犯人にちょっとした復讐を行なってしまう。GPSで、犯人のアパートの場所は分かったが、部屋や階が分からないクリスティアンは部下と共にアパートに行き、全ての郵便受けに脅迫じみたメモを置いていくのである。結局、盗まれた物は戻ってくるのだが、そこからその脅迫状によって親から泥棒扱いを受けたという無実の子供から、執拗に追いかけ回され、ひたすら謝罪を求められるというのが、本作のストーリーラインのひとつだ。

 

またもうひとつのラインは、「ザ・スクエア」というこの美術館の新しい展示企画の話である。「ザ・スクエアは、信頼と思いやりの聖域です。この中では誰もが平等の権利と義務を持ちます」というコンセプトを掲げた現代アートで、この展示物に人々の注目を集めようと、ホームレスの様な金髪の少女をこのスクエアの中でバラバラに爆破するというフェイク動画を、スタッフがYouTubeにアップするという愚挙に出る。当然動画は炎上し、クリスティアンは責任を取って退職させられる。これがもうひとつのストーリーラインだ。

 

大きくはこの二つのストーリーラインの行方を描きながら、さらに「気まずいエピソード」を挟み込んでいく構成を取る。例えば、冒頭の女性インタビュアーとの噛み合わない会話、パーティーで再開した二人が意気投合してセックスしたはいいが、何故か使用済みのコンドームを巡っての捨てる捨てないの争い、極め付けは美術館まで押し寄せてきて、「昨日、あなたが私にした事を言ってみて」とか「あなたは誰とでも寝るの?」、「私の名前は解る?」などと、一方的に責められるエピソード。更にこの女性が喋っている後ろで、何かが落下するような「ガッシャーン」という音が重なって、これが全く理由が分からない為、クリスティアンもそして観ているこちらも、大層イライラするシーンとなっている。

 

その他、公開トークショーの最中、精神病という男性から延々と下ネタのヤジを入れられたり、美術館のミーティングシーンで赤ちゃんがずっと泣き止まなかったりと、終始クリスティアンと観客はストレスを強いられる。極め付けは美術館の出資者を集めてのパーティーでのパフォーマンスのシーンだろう。パフォーマーの男は猿になりきり会場に登場する。はじめは皆、まだ笑いながら状況を見ていられたが、徐々に男はまるで猿そのものになったように振る舞い、その場の人々は得体のしれない緊張感に包まれ出す。遂に一人の女性を床にたたきつけ、のしかかると場が騒然となるシーンがある。このシーンの緊張感は、只事では無い。我が物顔で、パーティー会場を闊歩する「猿男」に皆、顔を伏せて目を合わせない様にし、明らかに恐怖しているのだ。どこまでがパフォーマンスなのかが分からない空気は観客にも伝播し、こちらも恐怖を感じ出す。そして、このシーンも何故こんなパフォーマンスをする必要があるのか?は全く謎のままシーンは終了する。

 

この映画はコメディ的な側面もあると思う。画面で起こっている事が、あまりに気まずく理解不能な為に、思わず苦笑いしてしまうのだ。恐らく作品の中に、利己主義の醜さや他者への欺瞞、現代アート批判など、監督はメッセージを込めたのかもしれないが、作品全体を漂うあまりの「悪意」にそれらがボヤけてしまっていると感じた。更にこの映画を貫くストーリーは無いに等しい。強いて言うなら、上記の脅迫状とYouTube動画の件がそうだが、ラストまで観ても特にカタルシスは無い。例の子供にも和解出来ずに終わる。ただひたすらにモヤモヤとした感情だけが残る作品で、その特異性を評価する人がいるのは理解出来なくはないが、個人的にはもっと観るべき作品は他にあると感じてしまった。

 

映画というフォーマットの中で色々な表現があっても良いと思うが、観終わって最低限の「お土産」は欲しいと思う。それは「楽しかった」でも「感動した」でも「怖かった」でも良い。「この映画の事をもっと知りたくなった」なんて最高の感想だろう。だが何故か僕にはこの映画を観終わっても、なんの感慨も湧かなかった。気まずいシーンの連続が、目の前を通り過ぎて行っただけだ。これは単に肌に合わなかったからかもしれないが、個人的には良いストーリーと演出が映画の魅力だと思っているので、本作は「頭でっかちな作品」という感想で、あまり感心しなかった。