映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「万引き家族」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

万引き家族」を観た。

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監督:是枝裕和

出演:リリー・フランキー安藤サクラ樹木希林松岡茉優

日本公開:2018年

 

カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを「うなぎ」以来、21年ぶりに日本にもたらした本作。審査員のケイト・ブランシェットが絶賛したという安藤サクラの演技を筆頭に、リリー・フランキー樹木希林といった面々が、素晴らしい演技を魅せている。監督は是枝裕和。言わずと知れた日本を代表する名監督だが、本作の評価によって更にその名声は強固なものになったと思う。「誰も知らない」海街diary」「そして父になる」「三度目の殺人」と名作を次々と発表してきた是枝監督の最新作はどんな作品だったのか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたように建つ古い平屋に、家主である初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀が暮らしていた。彼らは初枝の年金では足りない生活費を万引きで稼ぐという、社会の底辺にいるような一家だったが、いつも笑いが絶えない日々を送っていた。そんなある冬の日、近所の団地の廊下で震えていた幼い女の子を見かねた治が家に連れ帰り、信代と共に娘として育てることを決意する。そして、初枝の死や誘拐の発覚をきっかけに仲の良かった家族はバラバラになっていき、それぞれが抱える秘密が明らかになっていく。

 

感想&解説

是枝裕和監督は、一貫して「家族」をテーマにして映画を撮ってきた監督だ。ただ一面的な家族の形だけではなく、様々な状況の中で一緒に暮らしている「実は血の繋がっていなかった父と息子」や「血の繋がりはない妹と一緒に暮らす事になった姉妹」など、特に「血の繋がり」とは、家族にとって何なのか?を、異なった作品ごとに言及する作家とも言える。そう言った意味で、本作も是枝作品のテーマに則った映画であり、集大成な作品とも言えるだろう。


本作は万引きなどによる犯罪行為で日用品を盗み、暮らしている一家を描いている。特に学校にも行かず、父親の治(リリー・フランキー)と一緒に万引きを繰り返す、祥太(城桧吏)の目線を軸に物語は進行していくのだが、この家族が言い訳のしようが無い程、さまざまな犯罪行為を行う。スーパーや駄菓子屋での万引きは当たり前だし、父親の治はまるでそれを当然のように子供にやらせる。寒さに震える幼い女の子である凛(佐々木みゆ)を見掛けると家に連れて帰って育て始めてしまうし、車上荒らしも行う。「店にあるものは、まだ誰のものでも無い(だがら盗んでも良い)」という、治の考え方に全てが現れているが、とにかく社会規範的には完全にアウトな家族なのである。


特におばあちゃん役である、樹木希林演じる初枝が老衰で亡くなった後、その死体を葬式代が勿体ないと家の地下に埋めるわ、年金はむしり取るわと、大人たちは彼女に対して非常にぞんざいな扱いをする。そしてそんな大人の姿を見て、祥太は徐々に自分の行動に疑問を抱くようになる。特に駄菓子屋で凛が万引きしようとした際に、柄本明が演じる店主に「妹には(万引きを)させるなよ」と言われジュースを渡されるシーン。いわゆる治とは違う「正しい大人」との出会いによって、子供達も倫理観が芽生え、成長していくのである。


劇中、この家族が実は本当の家族では無く、それぞれが個別の理由で集まっている事が明かされるが、この「家族という居場所」に対して、各人が「父親役」「息子役」といった役割を担っている。その証拠に彼らは全員が偽名で暮らしている。彼らは本当の家族からは愛されなかった人たちの集まりだ。だからこそ、この擬似家族の中で一見、支え合って生きている。確かにこの家族は毎日お互いを思い合い、楽しく過ごしている様に見える。だが、映画の終盤に凛を庇って、警察に捕まった祥太を見捨てて、治は夜逃げしようとする。やはりここで打算的な判断をしてしまうところに、この夫婦のどうしようもない哀しさがある。


この夫婦が凛の誘拐を皮切りに、過去に犯した殺人や死体遺棄が明るみに出て逮捕され、家族はバラバラになる。そして、リリー・フランキー演じる治は初めて家族を失った事に気付く。そして、安藤サクラ演じる母親は、警察の取り調べで「(子供たちに)あなたはなんて呼ばれてきたの?」と聞かれ、一度も「お母さん」と呼ばれた事が無いことに落涙する。ここでの安藤サクラの演技は本作の白眉だが、自分達では子供たちの実の親にはなれないという現実を突き付けられ、直視する事により、ある意味で彼女もまた成長するのだ。だからこそ終盤、祥太に彼の実親の情報を教える。彼に「実親」を選ぶ選択肢を与えたのだ。


この作品は、是枝作品の特徴である「余白」が多く、開かれたエンディングを提示する。治が背中越しに「今日からお父ちゃんからおじさんになる」と祥太に伝えた時、バスに乗った祥太が思わずバスを追いかける治の姿を見て、あれ程呼ぶのを嫌がった「お父ちゃん」という言葉を呟く時、そして治の本名が実は「勝太(しょうた)」だとわかった時、凛が虐待されていた実の両親の元に返されるが、ベランダから外を覗いた時に見せる微かな笑顔の意味、全てに明確な説明は無いが、観客の想像を膨らませ、必ずどこかのシーンで心に残る余韻を感じさせる演出となっている。


貧困、高齢者問題、ネグレクトといかにも今日的な日本の暗部をテーマにした本作は、正直明るく楽しいといった映画ではない。作品の結末も決してハッピーエンドとは言い難いし、分かりやすい解決もない。「何が言いたい映画かわからない」という意見も多いようだ。この作品は、明確なメッセージを突き付けてくるタイプの映画ではなく、彼らの生き方を観て、自分の人生と対比させて考えるプロセスが必要な映画だと思う。彼らよりもマシな生活をしている事に溜飲を下げるも良し、離れて暮らす家族を思い出すも良し、この万引き家族たちの未来を思うも良し。だが是枝裕和監督の最新作は、今だからこそ観る価値のある映画になっていると思う。