映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「告白小説、その結末」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

告白小説、その結末」を観た。

f:id:teraniht:20180628215602j:image
監督:ロマン・ポランスキー

出演:エマニュエル・セニエ、エヴァ・グリーンヴァンサン・ペレーズ

日本公開:2018年


ロマン・ポランスキー監督の最新作が公開となった。ポランスキー監督といえば、1968年「ローズマリーの赤ちゃん」や、1974年「チャイナタウン」、2002年「戦場のピアニスト」あたりが代表作だと思うが、近年でも2011年「おとなのけんか」や2013年「毛皮のヴィーナス」など85歳という円熟期を迎え、ますます才気走った作品を発表している。特に2010年のユアン・マクレガー主演「ゴーストライター」は、抑揚の効いた演出やエンディングの切れ味など、サスペンスの傑作としても名高い。今作もジャンルとしてはサスペンスだと思うが、その出来はどうだったか?今回もネタバレありで。

 

あらすじ

心を病んで自殺した母親との生活を綴った私小説がベストセラーとなった後、スランプに陥っているデルフィーヌの前に、ある日熱狂的なファンだと称する聡明で美しい女性エルが現れる。献身的に支えてくれて、本音で語り合えるエルに信頼を寄せていくデルフィーヌ。まもなくふたりは共同生活を始めるが、時折ヒステリックに豹変するエルは、不可解な言動でデルフィーヌを翻弄する。はたしてエルは何者なのか?なぜデルフィーヌに接近してきたのか?やがてエルの身の上話に興味を持ったデルフィーヌは、彼女の人生を小説にしようと決意するが、その先には想像を絶する悪夢が待ち受けていた。

 

感想&解説

スランプに陥っている女流作家デルフィーヌ(エマニュエル・セニエ)と、彼女の前に現れたエル(エヴァ・グリーン)という女性とのサスペンスフルな関係を描く作品である。ちなみに「エル」とは、フランス語で「彼女」という意味で一般的に名前としてつけられる事は無い言葉のようだ。ここも物語の伏線として機能している。小説家のデルフィーヌが自分の母親が自殺した事件の私小説を発表し、そのサイン会を行っているシーンから映画はスタートする。ファンの熱狂度に比べて、明らかに憔悴している感じのデルフィーヌ。やっとサイン会を切り上げたと思ったところに、颯爽と「エル」が現れ更にサインをねだる。ここで最初のちょっとした違和感を感じるのだが、これは後述したい。


さらにその後の出版パーティでもエルが現れてデルフィーヌの孤独を理解する事により、やがて二人は意気投合していく。歯に物を着せずズケズケとデルフィーヌに本質を語るエル。だが時にはまるで友達のように、そしてマネージャーのように作家としてのデルフィーヌにアドバイスを送る。そして自らも孤独な心の内をさらけ出すことにより、更に二人は絆を深めていく。ところが時として、エルは暴力的で過激な一面も見せる。うまく動かない「ジューサー」を怒りのあまり粉々に破壊するシーンなど、恐ろしさと滑稽さが混じったようなシーンで、エルの不安定な内面が突然露出する。


それが映画の後半、足を骨折したデルフィーヌをエルが山奥の別荘に連れ出すシーンからエルの邪悪性が顕著になる。エルの作った料理を食べたデルフィーヌは、完全に身体を壊して寝たきりになってしまう。更に追い打ちをかけるように、嫌がるデルフィーヌに謎のスープを飲ませようとするエル。思わず僕は、1990年ロブ・ライナー監督「ミザリー」のキャシー・ベイツを思い出してしまったが、いわゆるサイコパスの系譜の作品かと思ったのである。それにしてもエルの動機がよく解らない。「ミザリー」の場合はファンの作家に対する深すぎる偏愛によって、彼を独占したいというシンプルな動機だったのだが、今回はエルも男性とのセックスの話を劇中でわざわざセリフにしている位だし、同性愛的な伏線がある訳ではない。逆にいえば、この作品に対しての観客の興味はこの「エルの動機」一点に絞られる。


これがいわゆるこの映画のオチの部分になるが、はっきり言ってしまえば「ミザリーでは無く、ファイトクラブだった」と言えば、勘のいい方ならピンとくるだろう。実はこのエルとは、デルフィーヌの産み出した幻想でありもう一人の自分だったのである。デルフィーヌはエルの人生に興味を持ち、彼女をテーマに本を書こうとする。彼女はその「創作」という生みの苦しみから出現し、のたうち回りながらも作品を作るキッカケを作る、もう一人の自分の姿なのである。


そう思って作品の各シーンを思い出すと、カフェでの店員はエルに目線すら合わせないし、デルフィーヌがエルにかける「どんなに朝早くても綺麗にしてるのね」というセリフ、エルに頼んだハズの講演会がすっぽかされていた件や、冒頭の打ち切られたサイン会で現れたエルは、他に並んでいる人たちがいたのにも関わらず、突然現れて誰にも咎められずにサインをねだれた事など、思い出してみればまるでエルは他の人には見えていないような演出が、冒頭から散りばめられているのだ。この謎解きシーンは、1999年のM・ナイト・シャマラン監督「シックス・センス」のラストを思い出す。


正直言って、ストーリーとオチは斬新とは言いがたい。ストーリーとして、すごく推進力がある訳でもないので、中だるみもする。だが、ラストシーンの切れ味はとても良い。そもそも冒頭のサイン会のシーンでのデルフィーヌの疲れ切った態度。これは自殺した母親が作品のテーマだっただけに、姿は違えど、やはり母親の幻想と対峙して生み出した作品だったのではないかと想像させるし(それを示唆するシーンもあった)、それと円環構造となっているラストのサイン会シーン。デルフィーヌの書いた覚えがないという原稿が編集社に送られていたというシーンから、エルがしていた真っ赤なマニュキュアの指だけが映る。指はペンを持ち、本にサインをしているのだが、それがエルでは無くデルフィーヌの指だと示されてからのデルフィーヌの表情、さらに原題である「実話に基づくストーリー」という表記が出て、初めて観客が膝を打つ仕掛けとなっているのだ。


つまりこのラストシーンは、デルフィーヌが二重人格者としてもう一人の自分であるエルと対峙した「実話」を出版し、そのサイン会に参加しているシーンなのである。このラストシーン、言葉による説明は一切ない。だが、この現実と虚構が混じり合いクラクラする感覚は、新しい体験だった。総合的には傑作とは言い難いが、ロマン・ポランスキー監督の「告白小説、その結末」は、この一点だけでも観る価値のある作品になっていたと思う。特に二回目の鑑賞が楽しいタイプの映画だろう。