映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

会社員バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。過去の名作から、新作まで綴っていこうと思います。音楽についても書くかもしれません。

「タリーと私の秘密の時間」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

タリーと私の秘密の時間」を観た。

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監督:ジェイソン・ライトマン

出演:シャーリーズ・セロン、マッケンジー・デイヴィス、ロン・リヴィングストン

日本公開:2018年


JUNO/ジュノ」「マイレージ、マイライフ」「ヤング≒アダルト」といった、小品ではあるが優れた作品を輩出してきた、ジェイソン・ライトマン監督が、再びシャーリーズ・セロンとタッグを組んだヒューマンドラマ。脚本はライトマンと3度目のコラボとなるディアブロ・コーディ。今作は彼女自身が経験した体験を脚本化しているらしく、子育てに関しての細かいシーンが非常にリアルに描写されている。シャーリーズ・セロンがなんと18キロもの増量をし、役作りをした事も話題になった。今回もネタバレありで。

 

あらすじ

マーロ(シャーリーズ・セロン)はまだ幼く手がかかる姉弟の世話でバタバタな日々の中、さらに娘を出産する。息子のジョナは学校でもうまく溶け込めず、赤ちゃんのお世話も重なりマーロは毎日疲れ果てていた。ストレスで激太りし、赤ちゃんの夜泣きに疲弊しながら、段々と自分を見失うマーロ。自ら限界を感じたマーロは夜間専用の子守タリー(マッケンジー・デイヴィス)を雇う。タリーは若く理想的な子守で、家事も完璧。そんなタリーとの間に不思議な絆を感じるマーロだったが、昼間の生活を語らない彼女にはある秘密があった。

 

感想&解説

本作は観る人の性別や置かれている環境によって、キャラクターへの感情移入度に差が出やすい作品だと思う。特に女性で、しかも子育ての経験がある方には主人公マーロの気持ちが痛いほどわかるのではないだろうか。前半の産まれたばかりの赤ちゃんの夜泣き、オムツ替え、授乳などの一連を同じテンポで観せる編集は、その終わらないエンドレス感や倦怠感を上手く表現していて面白い。本作はよくある数多の作品の様に、赤ちゃんが産まれたばかりのこの時期を、母親にとっての「輝かしい時間」だけだとは決して描かないのである。


また長男のジョナを精神的に不安定な設定にする事で、映画を観ている観客もかなりストレスが溜まる演出になっていて、「子育ては大変だ」と直接的に感じられる作りになっている。ジョナと母マーロが一緒に車に乗っている一連のシーンは特にイライラさせられて、マーロのストレスが爆発しそうなタイミングで突然、車外の俯瞰ショットを入れる編集など映画的にもとても気が利いている。


更にこの主人公のマーロを演じるのが、シャーリーズ・セロンというのもミソで、あの彼女がこれほどに疲労困憊してフラフラになるのかと、作品は違えど「マッドマックス 怒りのデス・ロード」や「アトミック・ブロンド」で見せた「強い女」いうイメージが逆に作用して、子育ての過酷さを浮き彫りにする。本作のシャーリーズ・セロンも息子の校長に怒鳴ったりと、決して弱いキャラクター設定では無い為に、余計に彼女の苦悩が感じられるのだ。


この作品にはラストにあるオチがつく。それは夜間専用の子守であるタリーの「正体」についてである。正直、今作最大のネタバレはポスターなのだが、実はこの若いのに完璧に家事と育児をこなすタリーは、マーロが作ったもう一人の自分、いわば幻影だ。今年扱った作品の中でも、ロマン・ポランスキー監督の「告白小説、その結末」も同じような着地だったが、いわゆる「ファイトクラブ」型の結末で、もはや手垢のついたオチと言わざるを得ない。だが、この映画に限ってはあまりこのオチの新鮮さについての非難は意味がないと思う。なぜなら「意外な結末」に頼った作品ではなく、明確に描きたいテーマがあり、それを語る為の手段としてこのオチを選択している作品だからだ。


最初にこのタリーについて違和感を覚えるのは、マーロとタリーが寝ている旦那を誘惑するシーンだろう。マーロが持っていたウエイトレスの制服を着て、マーロが見ている前でタリーが夫に迫るのだが、カットが変わり朝のシーンになると夫が「最高だった」とマーロに告げる。これはどう考えても「最後までした」いう事だと思うが、初見はさすがにマーロとタリーに友情が芽生えていたとはいえ、これはないだろうと思い疑問だったがこれも伏線だったという訳である。マーロは過度な寝不足と不安定な精神状態からもう一人の自分を作り出し、彼女に肉体的にもそして精神的にも頼る事で、現実逃避をしていたのだ。よって、実際には全てマーロが育児を行っていた訳だが、そんな無茶な生活が長続きする訳もなく、遂には自動車事故を起こして全てが発覚する。そして家庭を蔑ろにしていた旦那が彼女に対して反省し、物語は終わる。


この映画は、二つのテーマを描いていると思う。ひとつは女性がどれほど日々のストレスに追い込まれながら子育てをしているか?また家族の協力が子育てにとってどれほど大事か?である。夫が二階のベッドルームで、子供や奥さんを放ったらかして、へッドフォンでゲームに興じるシーンが顕著だが、このへッドフォンが映画のラストシーンでは、マーロと半分ずつのイヤフォンで音楽を聴きながら、皿洗いをするというシーンと対比になっていて、演出的にも上手いと思った。また、マーロとタリーの会話(独り言)に何故、夫が気付かないのか?という疑問へのエクスキューズとしても、このヘッドフォンは作用している。そして、もうひとつテーマは「女性が歳を重ねるという事」だろう。


若いタリーは10年前の自分と理想がハイブリッドされた姿だ。自由で活力に溢れ、怖いものがなく、スタイルだって抜群で美しい。そして三人の子供を産んだマーロは、その全てを失ったと思っている。日々に疲れ果て、時間に追われ、容姿を気遣うヒマもない。(ちなみに今作のシャーリーズ・セロンは18キロの増量とノーメイクで、あの美しさは見る影もない。すごい女優魂だ。)物語の後半、思わずマーロはタリーにこう告げる。「20代は最高よ。でもゴミ収集車みたいにすぐ30代がやってくる」。だが、タリーは「平気。平凡な毎日の繰り返しが一番幸せなのよ」と返す。映画の中盤で、タリーは寝室に行こうとするマーロに「赤ちゃんにキスをして。明日のこの子はもう今日とは違うんだから」と言う。1日ずつ子供は成長するという意味だと思ったが、よく考えればこれは大人にも当てはまる。何気ない日常を重ねて、一日一日歳を取りながら人生を過ごせる事は、実は幸せな事だとこの作品は告げているのだ。オープニングとエンディングは同じシチュエーションのシーンだが、息子ジョナが取る母マーロへの対応の対比がこの作品のテーマを浮き彫りにしていると思う。


全体を通してやはりジェイソン・ライトマン監督らしい、愛すべき佳作だった。印象的なセリフも多く、シャーリーズ・セロンを筆頭に役者の演技の質も高い。特に同じ経験を経た女性にとっては、人生ベスト級に好きな作品になるかもしれない。ただし、あまりにリアルな生活描写と女性の感情を描いている為、男性は奥さんと鑑賞すると若干気まずい思いをするかもしれないが。