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映画「アンダー・ザ・シルバーレイク」ネタバレ考察&解説 現代版L.A.ノワール!そしてポップカルチャー好きの為の作品!

アンダー・ザ・シルバーレイク」を観た。

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2015年に本国で公開されると(日本では2016年公開)世界的な大ヒットとなり、デヴィッド・ロバート・ミッチェルを一躍有名監督に押し上げたホラー映画「イット・フォローズ」から約3年。「イット・フォローズ」は、今観てもフレッシュなアイデアに溢れた愛すべき作品だし、個人的にも2016年の年間ランキング9位に入れるくらいに面白い作品だった。ホラージャンルとしては正直怖くはないが「観せない演出」が非常に効果的に適用されていて、観客に緊張感を途切れさせない手法は見事だったと思う。そして長編3作目が本作「アンダー・ザ・シルバーレイク」だ。主演は近作だと「ハクソー・リッジ」に出演していたアンドリュー・ガーフィールド。共演は「ローガン・ラッキー」でローガン兄弟の末妹役だったライリー・キーオ。なんとも強烈な作品であったが、今回もネタバレありで。

 

監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル

出演:アンドリュー・ガーフィールド、ライリー・キーオ、トファー・グレイス

日本公開:2018年

 

あらすじ

大物になる夢を抱いて、L.A.のシルバーレイクへ出てきたはずが、気がつけば仕事もなく、家賃まで滞納しているサム。ある日、向かいに越してきた美女サラにひと目惚れし、何とか接点を作るが、翌日彼女は忽然と消えてしまう。もぬけの殻になった部屋を訪ねたサムは、壁に書かれた奇妙な記号を見つけ、陰謀の匂いをかぎ取る。折しも、大富豪の失踪や謎の死が続き、真夜中になると犬殺しが出没、さらに街を操る謎の裏組織の存在が噂されていた。暗号にサブリミナルメッセージ、都市伝説や陰謀論を信じるサムは、持てる知識を総動員して、シルバーレイクの下にうごめく闇へと迫っていく。

 

 

感想&解説

この作品に映画としての脚本の巧さや、ストーリーの整合性を求めるのは野暮だろう。とにかくアンドリュー・ガーフィールド演じる30代無職のボンクラ男が「謎解き」をテーマに知り合って間もない美女の失踪事件を追いかけるお話で、舞台がLAという事もあり1973年ロバート・アルトマン監督「ロング・グッバイ」(やっとブルーレイ化される!)や1974年ロマン・ポランスキー監督「チャイナ・タウン」、2001年デヴィッド・リンチ監督「マルホランド・ドライブ」、2014年ポール・トーマス・アンダーソン監督「インヒアレント・ヴァイス」あたりを猛烈に想起させる。いわゆる「LAノワール映画」の系譜である。しかも映画全体にはデヴィッド・リンチ監督の「ブルー・ベルベット」や「ツイン・ピークス」の不条理感も仄かに漂う。


さらにアルフレッド・ヒッチコックへのオマージュは強烈で、冒頭の覗きシーンから「裏窓」だし、「めまい」のドリー・ズームは飛び出すし、「鳥」は言わずもがなだ。音楽も非常にバーナード・ハーマン風で、ヒッチコックの墓が出てきた時には、ストレート過ぎて思わず吹き出してしまった程だ。他にもジャネット・ゲイナーがやたらとフォーカスされていたり、マリリン・モンローを彷彿させるシーンがあったり、1988年ジョン・カーペンター監督の「ゼイリブ」的なセリフがあったりと映画全編にシネフィル的な目配せに溢れている。


またそれは音楽カルチャーに対しても然りで90年代オルタナティブロック、特にニルヴァーナR.E.M.の劇中での扱いは大きい。恐らく監督が好きなバンドなのだろうが、セックスしながらニルヴァーナのポスターの話をしていると思えば、カート・コバーンのギターであるムスタングが登場したり、91年の大ヒットアルバム「ネヴァーマインド」のジャケをイメージさせる映像が出たり、ソングライターの爺さんが「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」をピアノで弾いたりと、こちらもかなりフォーカスされているし、R.E.M.は爆音ダンスシーンとエンドクレジットという、ただのBGM以上の役割を持たされている。またゲームに関しても「スーパーマリオブラザーズ」や初代ディスクシステムの「ゼルダの伝説」など、こちらは80年代の任天堂ソフトが登場する。しかも、ゼルダの象徴でもある「トライフォース」が画面内に配置されているシーンもあり、マニア心をくすぐるのだ。

 

 


このように本作は映画、音楽、ゲームといったポップカルチャーの要素をまぶしつつ、LAノワール映画というジャンルを、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督が再構築した作品だと言えるだろう。ノワール映画の特徴だが、とにかくズブズブと行き先の解らない闇に堕ちていく感覚は充分に味わえる。だが本作のテーマである「謎解き」も、気が付けば答えが主人公の目の前に提示されているというゲーム的な展開の上に、キャラクターの行動や理屈もまったく意味不明で「ジェファソン・セブンスの娘は何故殺されたのか?」「フクロウ仮面女の正体は?」「ソングライターは結局何者?」「犬殺しとは?」などのストーリーや伏線の説明は劇中では一切されないし、幻想か現実かの境界も曖昧だ。そして主人公サムは、どんなに危険な目に合ったとしても、翌朝は街のどこかでヨレヨレになって目を覚ます。この辺りもPSゲーム「グランド・セフト・オート5」のトレバーを思い出させる。


デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督のデビュー作は、2010年「アメリカン・スリープオーバー」という青春群像劇であった。子供たちが大人になる為の通過儀礼である「お泊まり会」を通じて、危うく美しい少年期/少女期の終わりを描いた佳作だったが、本作は「まだ少年のまま、身体だけ大人になってしまった男の悲哀」を強く感じる作品だったように思う。劇中で、車を傷付けた少年を主人公サムが思いっきり殴り、さらに生卵を顔面に押し当てるシーンがあるが、あれはまるで子供の暴力だ。また再三の様に家主に家賃の請求をされるが彼はそれを何とかしようとはしないし、母親からは過保護な電話がしょっちゅう入る。だが身体は大人のためにセックスはするが、不特定多数の異性と関係を持ってしまう。そして「失踪事件の謎解き」に夢中になり、仕事もしないで日がな一日外をほっつき歩いている。だからこそ、劇中のキャラクターが皆サムに対して、仕事の事について質問するのだ。


この現実を受け入れず、白昼夢の中で生きている様なサムという男と、行方不明になっていた少女が現実逃避として最後に自ら選んだ場所、そして上記のポップカルチャーの数々。これらを観ながら、音楽が大好きでゲームもやり、かつ昼間から映画館にいる自分とサムを重ねてしまい、やや居心地が悪くなる。ラストシーン、サムの部屋の壁に書かれているホーボーの陰謀論の記号は「静かにしていろ」である。そしてそれを、警察官と家主が見つけ激怒しているが、その様子を「自由の象徴」のような半裸で鳥を飼う女性が住んでいる部屋のベランダという、「対岸」から見守るサムのショットで映画は終わる。これは、まるで「何かに縛られず、自由に生きていけばいいんじゃない?」という、監督からのメッセージのように感じるのだ。


この作品、非常に作家性が強く個性的だが、好き嫌いははっきりと分かれるだろう。「ネオン・デーモン」のニコラス・ウィンディング・レフン監督、「聖なる鹿殺し」のヨルゴス・ランティモス監督と共に、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督も今後の動向が絶対に見逃せない監督だと思う。それにしても、本作140分は長過ぎる。もうちょっと刈り込んでタイトにすれば更に良くなったと思うが、それも彼の作家性かもしれない。

採点:6.5(10点満点)