映画を観て音楽を聴いて、感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンが綴る、映画と音楽のブログです。劇場公開されている新作映画を中心に綴っていこうと思います。

「アス」を観た(完全ネタバレ&解説アリ)

「アス」を観た。

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監督:ジョーダン・ピール

出演:ルピタ・ニョンゴ、ウィンストン・デューク、エリザベス・モス

日本公開:2019年


製作費約500万ドルという低予算ながら全米で約1億7500万ドルの大ヒットを記録した、「ゲット・アウト」の監督ジョーダン・ピールが放つ待望の新作。「ゲット・アウト」はアカデミー脚本賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人では初の快挙を成し遂げたわけだが、そんなジョーダン・ピール監督の新作もやはりホラー映画である。全米では、初週に「ゲット・アウト」の2倍以上となる7100万ドルを稼ぎ、初登場1位を獲得している。出演には「それでも夜は明ける」のオスカー女優ルピタ・ニョンゴ、「ブラックパンサー」のウィンストン・デューク、「ハンドメイズ・テイル」のエリザベス・モスら。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

あらすじ

夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンとともに夏休みを過ごすため、幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れた妻アデレードは、不気味な偶然に見舞われたことで過去のトラウマがフラッシュバックするようになってしまう。そして、家族の身に何か恐ろしいことが起こるという妄想を次第に強めていく彼女の前に、自分たちとそっくりな「わたしたち」が現れる。

 

感想&解説

ジョーダン・ピールの前作「ゲット・アウト」は、現代のアメリカ社会でいまだに存在する、「黒人差別意識」をコンセプトに置いて、それをホラー映画というフォーマットに落とし込んだ、ある意味で「社会派ホラー映画」といえる作品だった。本作もその「社会派ホラー」というコンセプトは踏襲していると言える。ただ、今回は「生まれながら持ってる人と持っていない人」、言い換えれば「階級と貧富」を作品のテーマにしていると感じた。


ストーリーの骨格はある家族に元に、自分たちそっくりの「ドッペルゲンガー」が現れて、理不尽に命を狙われるという話である。映画の冒頭では、なぜこのドッペルゲンガーが突然現れて、なぜ自分たちを襲うのか?が不明な為に大変に不気味で恐ろしいし、赤のつなぎと弟のマスク姿などはビジュアル的にもインパクトがあって面白い。前作の「ゲット・アウト」の時にも感じたが、この監督の画面構成力は素晴らしいと思う。また実はコメディの要素もかなり多く、緊張感の高まっている場面に限って、独特の間で笑えるセリフが挟み込まれる。特に本作の夫ゲイブはお笑い要員といえるだろう。あるキャラクターが殺される直前に、スマートスピーカーに「警察を呼んで!(Call the police)」と呼びかけると、N.W.Aの「Fuck the Police」がかかり、絶望しながら絶命するというシーンなども、ホラー映画として思わず笑ってしまう。


ドッペルゲンガー」にひたすら襲われる家族が逃げ惑い延々と戦う姿を観ているうち、実はこのドッペルゲンガー達はこの家族以外にも存在しており、世界中で同じような惨劇が起こっていることが分かってくる。そして、「ハンズ・アクロス・アメリカ」という、人と人が手をつないでアメリカ大陸を横断しようというコンセプトの、80年代に実在した募金イベントを模したように、ドッペルゲンガーたちは赤いつなぎを着て、世界中で手を繋いでいる模様がメディアによって放送される。後から調べたのだが、このイベントは10〜35ドルを寄付するとTシャツがもらえて参加可能という内容だったらしいが、1億ドルの寄付金目標のうち実際は3400万ドルほどの収益に留まり、実際に寄付された金額は僅か1500万ドルだったらしい。


ジョーダン・ピール監督は、子供ながらにこのイベントに「悪夢的な印象を持った」と語っているが、この「人と人が手をつなぐ」という行為と、10~35ドルという寄付金額のアンバランスさに違和感を感じるのは事実だろう。ドッペルゲンガーが、被害者から「お前ら何者なんだ?」と聞かれて「We’re Americans.」と答えるあたりにも、監督からの痛烈なメッセージを感じる。タイトルの「アス(US)」とは「UNITED STATES」とのダブルミーニングで、地下に閉じ込められたクローン人間が貧困層、地上の人間たちが富裕層という、現代のアメリカに蔓延する格差を表現しているという訳だ。


ところが、この強いメッセージ性が先行するあまり、どうしても映画の脚本という意味では、突っ込みどころが満載で乗り切れなかったのが事実である。このあたりは前作「ゲット・アウト」の感想にも近い。結論、このドッペルゲンガーたちは、アメリカ政府によってつくられたクローン人間で地上にいるオリジナルの人間たちとつながっており、その行動も同期してしまうという設定なのだが、事実としては全くそうは見えない。事実、ドッペルゲンガー家族の登場シーンから、オリジナルの家族とは全く違う行動を取るし、妻アデレードの幼少期クローンは偶然地上に出てきたのに、なぜ他のクローン人間たちは今まで地上に出てこなかったのか?地下世界は地上と同じくらい広い場所が、政府によって作られているという事なのか?全世界の人のクローンを作って、そもそも何がしたかったのか?など、設定について深く考えだすとクラクラしてくる。正直、最後のクローンとアデレードが入れ替わっていたというオチも、この設定であれば想像の範囲内で驚きも少ない。


ジョーダン・ピール監督の作品は、常にアメリカ社会に疑問を投げかけて議論を呼ぶ。それをエンターテイメント作品として上手く演出して、多くの人に観てもらえるようにコーディネイトしているのは事実だろう。そういう意味では、非常に存在意義のある映画監督だと思う。ただ、個人的はもう少しだけでも作品内の世界観が成立するような設定にしてくれないと、そこがノイズになってしまい映画の中に入り込めない。なんとも歯がゆい作品である。もちろん次回作も観るつもりだが。