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映画「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」ネタバレ感想&解説 泣いても笑っても、スカイウォーカーの物語はこれで終わり!

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を観た。

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1977年のシリーズ1作目「スター・ウォーズ」から計9作品を通して語られてきた、スカイウォーカー家の物語が完結する「スカイウォーカーの夜明け」が遂に公開となった。新たな3部作としてスタートした「フォースの覚醒」(2015)、「最後のジェダイ」(17)に続く3部作の最終話である。監督は「フォースの覚醒」を手がけたJ・J・エイブラムス。公開初日に居ても立っても居られずに、さっそく鑑賞してきた。今回もネタバレありなので、ご注意を。

 

監督:J.J.エイブラムス

出演:デイジー・リドリーアダム・ドライバージョン・ボイエガ

日本公開:2019年

 

あらすじ

はるか彼方の銀河系で繰り広げられる、スカイウォーカー家を中心とした壮大なサーガの結末は、光と闇のフォースをめぐる最後の決戦に託された。祖父ダース・ベイダーの遺志を受け継いだカイロ・レン。伝説のジェダイルーク・スカイウォーカーの想いを引き継ぎ、フォースの力を覚醒させたレイ。そして生きる英雄レイア将軍、天才パイロットのポー、元ストームトルーパーのフィンら、レジスタンスの同志たちを受ける運命とは?そして、サーガはいかなるエンディングを迎えるのか?

 

感想&解説

今回の記事は、感情的な感想になってしまう事が避けられない。あのスター・ウォーズの、スカイウォーカー家の物語が完結するのだ。僕にとっては感情の起伏を抑える事が難しいのである。正直言ってしまえば映画としての出来、特にストーリーは「最後のジェダイ」に匹敵する酷さだと思う。始まって10秒後のタイトルロールからパルパティーンの文字が踊り、そのいきなり感はとにかく半端ない。もちろん本作にパルパティーンが登場する事は予告編でも明示されていたし、予想はしていた。だからこそ、エピソード8までは存在を隠していた「いよいよラスボス」の登場感に期待していたのだ。なぜなら、あのパルパティーンが「スター・ウォーズ」に戻ってくるのだ。それなのに「死者の口が開いた!」じゃない。すでに本作への「嫌な予感」がジワジワと湧いてくる。


そして、ここからその予感どおり、フォースの力の新解釈である「治癒」ができる設定やら、あまりに「ジェダイの帰還」を踏襲した展開やら、C3POが記憶なくす展開の意味なさとか、チューバッカの乗った輸送船はもう一基の方でしたとか、万能フォースは何が出来て何が出来ないの?とか、ゾーリのヘルメットデザインが酷過ぎるとか、あの短剣って突然出てきたなとか、大小あるが終始イライラする展開が続く。さきほどのパルパティーンにも通じるが、突然のランド登場にも疑問が沸く。もちろんシリーズのファンだから、ランドの登場は嬉しい。だがファンとしては、そこに登場する必然が欲しいのだ。過去のランドのキャラクター設定が関連していて、「あー、だから彼が助けるのか!」がないと、せっかくの登場がただのファンサービスに成り下がってしまう。今回のランドは、どうしてももう過去シリーズのファンが喜ぶキャラがいないのでとりあえず登場させました、の感が強すぎる。


レイの「パルパティーンの孫だった」問題にも触れたい。パルパティーンさんって奥さんがいてお子さんがいたのね、でもなんでレイの前で殺したの?なんのために?、パルパティーンの血筋という脅威がいるのに、何故今まで誰の話題に上らなかった?、しかもルークとレイアは知ってた?いつ知った?、過去シリーズとの整合性を考え始めると、もう頭の中は疑問でいっぱいになる。この疑問への回答はたったひとつ、この設定が「後付け」だからだ。「レイがパルパティーンの孫だった」という強烈な「意外性」を作ることを優先させるために後から考えた設定だから、矛盾が出るのは仕方ない。


J.J.エイブラムスが「フォースの覚醒」でとりあえず広げた風呂敷は、大きくフカフカで魅力的に見えた。だが、その風呂敷を畳み始めた「最後のジェダイ」と「スカイウォーカーの夜明け」で、その綻びははっきりと顕在化してしまった。しかも、そこに「意外性」というネットフリックスのTVドラマに求められるような要素を過度に取り入れた「スター・ウォーズ」は、ファンが求める作品とは違うものになるのは必然だ。あのベンとレイのキスシーンについては、もはや言及すらしたくない。勘弁してほしい。


だが、だがである。僕にとって映画というのは、ほんの数シーンでも心に焼き付くシーンがあれば、もう結果OKになってしまうのだ。それが「スター・ウォーズ」という人生における思い出をたくさん含んだ作品であれば尚更だ。ファンとは勝手なものである。僕にとっての本作におけるそれは、「ハン・ソロ」登場シーンだ。あの愛する者だけに、ハン・ソロが伝える「I Know.」のセリフを聴いた瞬間、心の中によくわからない感情が噴出し、涙が溢れた。画面の中のベンと同じく、僕自身もハン・ソロに承認してもらえた気持ちになったのだ。もちろん、これが懐古の情であることは否定しない。だが、このシーンに心を揺さぶられた自分も否定できないのである。


ラストシーンで、二つの夕陽を見るレイの後ろ姿を観ながら、強い不満と幸福な気持ちが交差するというアンビバレントな気持ちになった本作。これは他のシリーズでは感じられない感情だろう。ジョン・ウィリアムズが作曲したあのテーマ曲が劇場に響いた瞬間からエンドクレジットまで、僕はこの映画に感情を掻き乱されまくった。次のスター・ウォーズシリーズが公開されるのはいつだろう。もうされないかもしれない。でも、もうそれでも良いと思う。間違っても、「最後のジェダイ」のラストで登場した、フォースを扱う少年を主人公にした新シリーズを作るなどという、愚行をディズニーが犯さないように願いたい。輪は閉じられたのだ。語り過ぎないことの美学もあると思う。

採点:6.5(10点満点)

 

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