映画を観て音楽を聴いて、解説と感想を書くブログ

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映画「ギルバート・グレイプ」ネタバレ感想&解説

ギルバート・グレイプ」を観た。

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新型コロナの影響で新作がなかなか劇場に観に行けず、ブルーレイでの作品鑑賞が増えてきた。今回は1999年「交渉人」の感想に引き続き、90年代の名作「ギルバート・グレイプ」について書きたい。監督はヒューマンドラマの名手、スウェーデンラッセ・ハルストレム。近作だと「僕のワンダフル・ライフ」などが有名だが、2000年「サイダーハウス・ルール」や2001年「ショコラ」など、手堅い名作を数多く手がけている職人監督だ。本作は彼がハリウッドに来て初めて手掛けた作品で、主演はジョニー・デップジュリエット・ルイスと、本作で第66回アカデミー助演男優賞にノミネートされたレオナルド・ディカプリオ。今回もネタバレありで。

   

監督:ラッセ・ハルストレム

出演:ジョニー・デップレオナルド・ディカプリオジュリエット・ルイス

日本公開:1993年

 

あらすじ

アイオワ州エンドーラ。生まれてから24年、この退屈な町を出たことがない青年ギルバートは、知的障害を持つ弟アーニー、過食症を病む母親の世話をしながら、2人の姉妹と生活している。毎日を生きるだけで精一杯のギルバートの前に、ある日トレーラー・ハウスで祖母と旅を続ける少女ベッキーが現れる。ベッキーの出現によりギルバートの疲弊した心にも少しずつ変化が起こっていく。

 

感想&解説

今回、恐らく20年ぶりくらいに本作を観直してみて、その素晴らしさに改めて驚いた。若き日のジョニー・デップレオナルド・ディカプリオの共演作というキャッチーさはもちろんなのだが、作品のテーマとしても深い示唆に富んだよく出来た脚本で、これは間違いなく傑作だと思う。若い頃、この世の中は無限に広く、自分の可能性はどこまでも広がっていると感じるものだが、もし家族や生活の事情で「どこへも行けない、この土地を離れられない」という環境だったら、どれだけその人の心に影を落とすだろう。「スターウォーズ/エピソード4 新たなる希望」で、主人公ルークが惑星タトゥーインから抜け出せず「いつかパイロットになりたい」と、夕陽を見上げるシーンには、その悲しみと諦めが彼の背中ごしに上手く語られていて、今でも若者の心を掴んでいると思うが、まさにその心境をこの映画は語っているのだと思う。


本作のジョニー・デップが演じるギルバートは、自分では歩くことも出来ないくらいに肥満となった母親や知的障害を持つ弟アーニー、そして家族を置いて自殺した父親が残した家そのものが、閉塞感に満ちた日常と共に、アイオワ州の土地に彼を縛り付けている。小さな食料品店で働き、目を離すと高いタンクの上に登り警察のやっかいになる弟、そして勝手な妹たちに囲まれた生活。そのストレスをなんとか受け流しながら、ギルバートは生きている。その対比として描かれるのがジュリエット・ルイス演じる、祖母とトレーラーハウスであちこち移動しながら暮らしている、ベッキーだ。彼女はこの作品において「解放と自由」の象徴であり、瑞々しい感性の塊だ。だからこそ、あの土地で暮らす人たちは皆ベッキーに惹かれていく。そしてもちろん、ギルバートもその例に漏れない。アイオワの広大な大地の中で、お互いに惹かれ合う二人の恋愛ドラマとしても本作は秀逸だ。


この作品には二重の意味を持つ人物やアイテムが頻発する。例えば食料品店に買い物客として来る人妻のベティは、ギルバートを誘惑して不倫関係を続けているが、ある日ベッキーとギルバートの二人を見て嫉妬に駆られるシーンがある。劇中のセリフで、ギルバートがどうして自分を不倫相手に選んだのか?という質問に、「この町を出ていかないから」と答える場面があるが、ベティにとってのギルバートは、この町における平凡だが安定した生活そのものだ。だが突然現れたベッキーは若さと自由の象徴であり、自分に無いものを全て持っている。だから瞬間的に子持ちの自分では到底勝てないことを悟るのである。「彼を譲るわ」とベティに伝えるシーンの、メアリー・スティーンバージェンの演技が魅せる熟年のほろ苦さは、思わず胸に迫る名演技であった。


またもうひとつの「二重の意味」の代表が、ギルバートの家族が住む一軒家だろう。地下室の柱がグラついていて今にも崩れそうな家は、父親を失い、弟アーニーが起こす事件による日々のストレスで壊れそうなギルバート一家のメタファーだ。途中で柱を補強しながらも、なんとか彼らはそこに留まっているが、愛する母親の死んだ後、ギルバートはすぐに地下室に行き柱を叩き折る。だからこそ映画のラストでは、母親が亡くなったその死体と共に過去との決別として、彼は家に火を放つのだ。「どこへいくの?」と言うアーニーに、「どこへでも」と答えるギルバートはもう未来を見ている。この映画の後味が良いのは、ある若者が未来に歩き始める作品だからだろう。


さらにこの映画を忘れがたいものにしているのは、知的障害を持つ弟アーニーを演じたレオナルド・ディカプリオだ。正直、ディカプリオが演じていると知っていなければ、本当に障害のある俳優が演じていると思ってしまうほどの迫真の演技で、当時18歳くらいだった彼の才能が画面を通じて伝わってくる。特に母親の死を最初は本気だと思っていないが、徐々に本当に死んでいる事に気付いた時の混乱と恐怖でパニックに陥っていく長回しシーンは圧巻の一言で、この作品の白眉と言えるだろう。最近のいかついディカプリオに見慣れてしまった今だからこそ、彼の繊細な演技が十分に堪能できる。


ギルバートがアーニーを思わず殴ってしまうシーンのどうしようもない感情の爆発や、本当はベティと離れたくないのに自分には母や弟がいて、どうしても一緒にいけないというギルバートの心の痛み、母親にベティを紹介したときのベティの優しさへの感謝、誰しもが一度は感じた事のあるであろう、ちょっとした心の機微をキャラクターに投影して映像化しているし、様々なセリフも美しい。「ギルバート・グレイプ」は、今観ても全く古さを感じさせない、大変に上品な映画だと思う。まだ見逃している方はぜひ。


採点:8.5点(10点満点)