「イット・フォローズ」を観た。
今年の1月に劇場公開していたが気に入った作品だったので今回改めて、再見。やはり大好きな映画だと再確認した。この作品は、ホラー映画という割には全く怖くない。では失敗作かというと、むしろ他の魅力に溢れた優れた意欲作と言えると思う。こういう新しい創意工夫に溢れた映画が公開される限り、まだまだアメリカ映画の未来は明るいと感じる。
日本公開:2016年
あらすじ
ある日、女の子が叫び声を上げながら、肌着姿のまま自宅から飛び出していく。周りの人には見えないが、何者かに追いかけられているかのように車でビーチの方に逃げていった彼女は、数時間後に死体となって発見される。女子大生のジェイはある晩、恋人のヒューと映画館へデートに行く。だがヒューは突然、「気分が悪い」とジェイを連れて劇場を出てしまう。別の日、車の中でヒューとセックスをしたジェイは、その直後に薬物で気を失わされ、気付くと車椅子に体を縛られていた。ヒューはそこでどこまでも付いて来る「それ」について語る。「それ」は人の形をしており、誰にでも変化する事が出来る。そして「それ」は感染者にしか見えず、誰かに移さない限り永遠に付いて来る。ただ誰かとセックスをすることで他人に移す事が可能となる。実際にゆっくり歩いて追い掛けてくる「それ」を見せられたジェイは、ヒューの目的は「それ」の呪いを自分に移す事だったと知り愕然とする。その日からジェイは、妹と幼馴染の友人たちをも巻き込んで、「それ」に追いかけられる悪夢のような日々を過ごす事になる。
感想&解説
とにかくコンセプトが面白い作品だと思う。監督は本作が長編2作目となる新鋭デビッド・ロバート・ミッチェルで、「ザ・ゲスト」のマイカ・モンローが主演を務めているが、全体的にゆっくりしたテンポで”何かに追われる恐怖”が描かれていく。まず「それ」はゆっくり歩きでしか移動しない。そして感染している人(もしくはその前の感染者)にしか見えない。さらに「それ」に襲われると確実に死ぬ。壁などを通り抜けたりなどは不可能で、ワープするなど物理法則は無視しない。誰かに移しても、その移した人が死ぬとまた戻ってくる。一応、銃などで撃てばしばらく動かなくなるが、またすぐに動き出し完璧に死ぬ事はない。劇中で登場人物によって語られる「それ」に関しての基本ルールはざっとこんな所だが、このルールに則って映画は進行していく。
一番やっかいなのは、「移した人が死ぬとまた戻ってくる」というルールだろう。このルールのおかげで、例え無作為な相手に移してもその相手は「それ」の存在を知らない為にすぐに捕まり死んでしまい、また「それ」は戻ってきてしまう。よって自分が助かる為には、恋人のヒューが行った様に、移した相手に「それ」の存在を認識させて、その相手が警戒を怠らないで、意識的にそして順番に人に移していくしか方法がない。だが「それ」を移すという事は、直接的に相手に対して「死のリスク」を背負わせる事に他ならないし、そもそもセックスをしないと移せないので倫理的な抵抗感もある。好意のある相手と行為を行うと、相手を殺してしまうという逆転現象が起こるのだ。よって主人公ジェイは悩み、恐怖に苛まれる。そこにジェイに片想いをしている幼馴染の存在が絡んで来て、嫉妬や自己犠牲といった要素も入ってくる。この「セックスによる感染」とは、言うまでもなくHIVや性病のメタファーだろう。ただ、怪物などの「恐怖の対象」から物理的に逃げ回るだけでは無く、この事態を回避する為に「人としての葛藤」が生じる設定自体が、まず作品として面白い。
更に映画を魅力的にしているのは、感染者しか「それ」は見えないという設定だ。カットによって、感染者とそうじゃない人の視点が入れ替わる為、今どっちの視点なのかが分からず、常に画面内に「それ」が映っていて、こっちにゆっくり向かって来ているんじゃないかと落ち着かない。とにかく画面の端々まで、集中して観てしまう。しかも、手前のキャラクターにピントが合っていたかと思うと、突如背景にピントが合って、こっちに向かってくる「それ」が観客に認識出来たり、逆に明らかに観客には見えている「それ」に、主人公は気付かないなど、いつもの「映画を観る」という行為が登場人物たちと同じく、「映画に参加している」という体験になる。こういう新しい見せ方があるだけでこの映画は新しく感じるし、ホラー映画として新機軸を打ち出している。
また設定やストーリーについて多くを”語り過ぎない所”も良い。ここからネタバレになるが、ラストのプールに現れる「それ=男性」は、ジェイの父親だ。もちろん、セリフでもそんな説明は全く無い。だが映画の序盤にジェイがデートに行くために鏡を観ているシーンがあり、その鏡の脇に貼ってある写真に、幼い頃のジェイと父親らしき男が一緒に写っているのだが、その男こそプールに現れる「それ」と同じ男なのだ。プールでも「現れた男は誰か?」と問われて、ジェイが「言いたくない」と答えるシーンがあるが、彼女にとっては触れられたくない過去なのだろう。
更にジェイの家では、母親らしき女性が画面の片隅に薄っすらと映っているシーンがいくつかあるが、昼からいつもお酒を飲んでいる。そこからも父親は既に何らかの理由で他界していて、それを理由に母親はアルコール中毒になっているのでは?などの推測が出来る。繰り返すが、劇中ではなんの説明もない。だが、こういった映画の情報量が豊富で、観客の想像を掻き立てるのである。また音楽は、完璧にジョン・カーペンター監督の70年代シンセサウンドを意識しており、特に同じホラージャンルの「ハロウィン」やバーナード・ハーマン作曲「サイコ」から多大な影響を感じる。独特の音色に乗せた不穏な旋律は、この映画の完成度にかなり貢献しているし、曲の完成度も高い。作曲者は”ディザスターピース”というアーティスト名で活動しているリチャード・ブリーランドだが、ゲームミュージックなどを手掛けるクリエイターらしい。個人的にはサントラが欲しい位に気に入った。
もちろん全てが完璧な訳ではない。最後までまったく解決しないで終わるオチや、いきなりプールに誘いこむといったキャラクターたちの行動には、正直納得出来ない所も多く、このペースで変死体が見つかっているなら、もっと世間的に怪事件として騒がれているのでは?など粗を探せば色々ある作品だとは思う。だが、それ以上にフレッシュな作風と魅せ方の映画であるのは間違いない。”怖くないホラー映画”である事は否定しないが、この「イット・フォローズ」を断固支持したい。ラストカットで手を繋ぎながら歩く、ジェイとポールの後ろに迫ってくる人影から、この恐怖は終わっていないことが示唆されるが、続編の製作も可能な設定だろう。
デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督は、この「イット・フォローズ」の前に「アメリカン・スリープオーバー」という長編デビュー作を手掛けているが、こちらは青春の一片を美しい映像によって繊細に描いた群像劇であり、まだ成熟しきっていない十代のキャラクターたちを描いたという共通項があり、監督の作家性が出ていて興味深い。まだ二作目という事で、今後が楽しみな監督が現れたと嬉しい限りだが、次の作品が本当の勝負作になりそうな気がする。
採点:8.5(10点満点)