「ファースト・マン」を観た。
「セッション」「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督、待望の新作。ライアン・ゴズリングと再びタッグを組んだという事で、また音楽をテーマにした作品を期待してしまったが、なんと今回は人類初の月面着陸に成功したアポロ11号のニール・アームストロング船長を描いた伝記ドラマである。ニールの妻役は、先日公開となった「蜘蛛の巣を払う女」の主人公リスベットを演じたクレア・フォイ。リスベットとは全く違うタイプの役柄を演じているのを観て、やはり女優はすごいなと感心してしまう。ライアン・ゴズリングも、今までになく非常に抑えた演技でこの実在の人物を演じていたと思う。期待のデイミアン・チャゼル監督の新作「ファースト・マン」はどうであったか?今回もネタバレありで。
監督:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク
日本公開:2019年
あらすじ
人類がいまだかつて足を踏み入れたことのない未知の領域、月面着陸の任務を託された実在のNASA宇宙飛行士アームストロングの視点を通し、その偉業と真実の姿を描く。月面着陸に挑むだけでなく、人類の偉大な一歩を歴史に刻んだアームストロングの壮絶な飛行体験とその人生、生命に関わる重大な未知の計画だと理解していながらも、彼をそばで支える家族たちの闘いを、圧倒的なリアリティと臨場感のある映像で表現する。
感想&解説
デイミアン・チャゼル監督と言えば、音楽をテーマにした作品という印象が強く、初めてこの「ファースト・マン」の予告編を観た時は、意外な気がしたと同時に期待が膨らんだ。宇宙飛行士を主人公にした史実ものということで、今までの作風、特に「ラ・ラ・ランド」からは真逆のコンセプトの作品になっていると思う。幻想的だったりロマンティックな要素を極力排して、ストイックなくらいに、このニール・アームストロングという人物の言動を淡々と描いていく。これは「初めて月に降り立った男を描く」という映画の内容に対して、英雄性や家族愛というドラマチックな要素を描かないという選択を、あえて監督がしているのだろう。いわゆる「映画的に盛り上がるシーン」がほとんど無いのだ。
念願のNASAに選抜された時も感動的な演出はないし、愛娘が亡くなった後に産まれた次男の出産もあっさりと赤ちゃんを映すだけ、もう戻ってこれないかもしれない家族との最後の夜に、父親として子供たちや妻に感動的な言葉をかける事もない。月に降り立った瞬間に感動的な音楽がかかる事もなければ、遂に地球に帰還したラストシーンですら、妻と言葉を交わす事も感動の涙を流す事もない。もちろんニール・アームストロングという人物は非常に寡黙で感情を表に出さないタイプだったらしいが、本作はあくまで映画である。本人を饒舌にしなくても、映画的に盛り上がる演出をしようと思えばいくらでも出来るだろう。だが、本作は決してそうはしない。
特に顕著なのは、ジェミニ計画とアポロ計画を描く作品で、冷戦時代の旧ソ連との宇宙開発戦争をキーワードとして出しているのに、この映画はニールの月面着陸を「アメリカ賛歌」としては全く描いていないところだ。描けばアメリカの観客が喜ぶであろう、有名な”星条旗を月面に刺すシーン”すらないのである。もちろん、これも意図的だろう。本国のアカデミー賞のショーレースから、本作はほとんど無視されたらしいが、それはこういった作風も背景にある気がする。撮影も、カメラは人物に近いショットが多く、シャトルの中でもガクガクでブレブレの映像が延々と続く。(三半規管が弱い方は酔いに注意!)これは、あくまでニールの視点を重視している為に、状況全体がわかるような俯瞰したショットが、極めて少ない為だ。今、何が原因でトラブルが起こっていて、どうなるとこの状況が解決されるといった”映画的な説明”は無く、ただ観客はニールが様々な困難に放り込まれるのを無力に眺めるしかない。
この映画は、あくまでタイトルの「ファースト・マン」の通り、ストーリー上のドラマチックな起伏よりも、あまりに任務に忠実で不器用な宇宙飛行士である、”ニール・アームストロング”という一人の人間を描く事に注力している作品なのだろう。彼を過度にヒロイックには扱わないという変わったバランスの映画なのだ。そして同時に、この作品には冒頭から”死の匂い”がスクリーンにべったりとこびり付いている。幼い娘カレンが重い病気で命を亡くすシーンから始まり、優秀なパイロットだったエリオットは飛行訓練中の着陸に失敗して死亡、隣人で友人だったエドすらも二人のパイロットと一緒に火災事故で命を落とす。そして、その度にニールは苦渋の表情を見せながら、自分の成すべきことを淡々と行っていく。主人公と同じく、恐ろしくストイックな作品なのである。
月面に着陸したニールが、死んだ娘のブレスレットを月に残すシーンが、本作唯一のフィクションであり、センチメンタルなシーンだ。妻のジャネットとも固い信頼関係で繋がれてはいるが、この夫婦が直接、愛の言葉を囁き合うシーンはない。暗い食堂で二言、三言言葉を交わし合うだけだ。ただ唯一、「ルナー・ラプソディ」のレコードをかけながらダンスするシーンがある。この夫婦の愛情が感じられるシーンはほとんどここだけだが、それでもラストシーンでの窓ごしに無言で見つめ合う二人には、間違いない愛情が溢れている。娘カレンを亡くした夫婦の喪失感、いつ死ぬかもわからない宇宙飛行士という職業を持つ夫、そしてそれを幼い息子と待ち続けることしかできない妻。彼ら夫婦を取り巻く過酷な環境を、やはり本作は最後まで淡々と描いていく。そして例え、二人が再会するドラマチックになりそうな映画のラストシーンでも、それは継続されるのだ。
あまりにエンターテイメント性やカタルシスを排したリアルでドライな作風に、正直、多少退屈だと感じたのも事実である。同じアポロ計画をテーマにした作品でも、1995年のロン・ハワード監督「アポロ13」の娯楽性とは全く違う作品だろう。個人的には、音楽をテーマにした前二作の監督作の方が圧倒的に好きだが、デイミアン・チャゼルの新境地として端正な作品だと思う。また「2001年宇宙の旅」よろしく、ジェミニのドッキングシーンにワルツ曲がかかるのだが、あまりに「ラ・ラ・ランド」の曲に似ている為、ファンとしては微笑が漏れてしまった事は書いておきたい。この監督の、こういうチャーミングさは憎めない。もちろん作曲者はジャスティン・ハーウィッツで同一人物だ。あの歴史的に有名な言葉、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」が、どれだけ大きな犠牲の元に発せられたかが分かるだけでも、この作品を観て良かった。本作は過度な娯楽性を期待せずに鑑賞するのが良いと思う。
採点:6.5(10点満点)