「バイス」を観た。
アメリカにおけるサブプライムローン問題を赤裸々に描いた、2016年「マネー・ショート 華麗なる大逆転」を監督したアダム・マッケイの最新作。クリスチャン・ベールが体重を20キロ増量し髪の毛を剃るまでして、33歳上の実在の政治家ディック・チェイニーになり切り、第91回アカデミー賞ノミネート、第76回ゴールデン・グローブ賞では主演男優賞を受賞した。ちなみに「バイス」自体は、作品賞を含むアカデミー8部門のノミネートを見事果たしている。前作「マネー・ショート 華麗なる大逆転」は、本ブログの2016年ベストランキングの第10位に入れた位に大好きな作品であったが、本作はどうだったか?今回もネタバレありで。
監督:アダム・マッケイ
出演:クリスチャン・ベール、エイミー・アダムス、スティーヴ・カレル
日本公開:2019年
あらすじ
素行の悪い青年ディック・チェイニーは1960年代半ば頃、才女であり後に結婚する恋人リンに尻を叩かれ、政界に入る。そして、後に国防長官となるドナルド・ラムズフェルドのもとで政治の表と裏を学び、次第に権力の虜になっていく。ついに大統領主席補佐官、国務長官を経て、2001年にジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領に就任したチェイニーだったが、そこに9月11日同時多発テロ事件が起こる。現場で大統領を差し置いて危機対応にあたり、イラク戦争へと国家を導いていくチェイニー。ブッシュの影に隠れる地位を逆手に取り入念な下準備をして大統領を操る彼は、強大な権力をふるうようになっていく。
感想&解説
めちゃくちゃ面白い映画である、などとまるで小学生のような感想から始めてしまったが、アダム・マッケイ監督のコメディセンスとアメリカ政治への風刺、そして鋭いメッセージが同居した素晴らしい作品だと思う。アダム・マッケイ作品は編集のテンポが良く、基本的にはくどくどと細かい説明はしない傾向が高い。設定や状況をバッサリと省略する為その分進行がスピーディになるが、逆を言えば常に頭をフル回転させてスクリーンを観ていないと置いて行かれる可能性がある。だが、そこが楽しい映画だろう。そこは前作「マネー・ショート」と同じタイプの作品だと思う。
また全編に亘り、演出に気が利いているのが本作の特徴だ。チェイニー夫婦の会話をあえてシェイクスピア劇のように大仰に語らせる事により、その直後の現実の会話とのギャップで笑わせたり、政治的な「一元的執政府論」の悪行を、まるでレストランでメニューを選ぶようにウエイターに説明させたり、映画の中盤、チェイニー家族が政界からリタイヤしたように見せかけて、突然フェイクのエンドクレジットが流れたりと、映画でしか成立しないブラックユーモア全開の演出がとにかく楽しい。
さらにそれが映画として不可欠な「解説」の役割も担っていて、どうしても鈍重になりがちな状況説明をスムーズに観客に理解させる役割を担っているのも、演出として非常に上手い。また役者たちの熱演も総じて素晴らしい。チェイニーを演じるために体形改造までしたクリスチャン・ベールを筆頭に、ドナルド・ラムズフェルドを演じたスティーヴ・カレルの憎々しくもコミカルな演技も笑えるし、ジョージ・W・ブッシュを演じたサム・ロックウェルのそっくりな顔芸も最高だ。
無能(のように描かれる)ジョージ・W・ブッシュ大統領体制の副大統領として絶大な権力を手にしたバイスは、大統領の耳に囁くだけで戦争ができる仕組みを自ら作り、9.11以降イラク侵攻を企てていく。それは、石油掘削機や軍のケータリングも担当している複合多国籍企業ハリバートン社のCEOとしての顔もあった、バイスの目論見でもあった訳だ。「俺もフセインを潰したかった」とバイスの考えに同調するブッシュに押し切られる形で、国務長官のパウエルは国連で、アルカイダとイラクを関連づけるスピーチをしてしまう。それによりアメリカ国民はイラクのフセイン大統領が9.11テロに関わり、大量破壊兵器を持っていると信じ込んでしまうのだ。そしてイラク戦争は始まり、結果はご存知のとおり。この一部の人間たちのやりとりが国家の運命を動かしたと考えると、本当に恐ろしい。
映画のラストで、チェイニーがテレビのインタビューを受けるシーンがある。インタビュアーとチェイニーのそれぞれを映すカメラ映像を通して第三者的に観客はインタビューを見ていると、突然チェイニーは映画を観ている我々、すなわち「観客」にカメラ目線で話かけてくる。イラク戦争は間違っていたのでは?という質問に対して、「私は国民を守っただけだ。私は謝らない。」と熱弁をふるうチェイニー。その後で、イラク戦争がどれだけの犠牲者を出したのか、そして後にISISを生み出す結果に繋がった事が画面に流れる。なんという批判的なメッセージだろう。仮にも存命中の前副大統領を主人公にしつつ、これだけ痛烈なメッセージを持った作品が、全世界規模に公開される事実にまずは驚かされる。日本では絶対に無理だろう。これがアメリカ映画の素晴らしいところだと改めて思う。
映画の冒頭で「日々の生活で疲れていると、誰もがややこしい政治のことなんか考えたくなくなる。たまの休みがあれば好きなことをしたい。」というナレーションが流れるが、まさにこういう表に出ていない事実を噛み砕いて、娯楽として楽しく、さらに分かりやすく観客に伝えられる事が、エンターテイメント映画の役割だろう。十分に楽しく笑えるのに、恐ろしい現実が描かれているのだ。「この映画はリベラル過ぎるか?」エンドクレジットのラストシーンで、この議論がなされるのだが、このシーンの切れ味も最高なので最後まで席を立たないように。次のワイルド・スピードも楽しみだけど、この映画も最高だった。
採点:9.0(10点満点)