映画を観て音楽を聴いて、解説と感想を書くブログ

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映画「ミリオンダラー・ベイビー」ネタバレ感想&解説

ミリオンダラー・ベイビー」を観た。

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今回も過去の名作を取り上げたい。第77回アカデミー賞で、主演女優、助演男優、監督、作品賞の主要4部門を制覇した、ヒューマンドラマ「ミリオンダラー・ベイビー」である。2005年に日本では公開された、クリント・イーストウッド監督の25作目作品。主演のイーストウッドの他には、名優モーガン・フリーマンヒラリー・スワンクが熱演している。しかも今回見直してみて、現在「MCU」のファルコン役で大躍進中のアンソニー・マッキーや、「エンド・オブ・ウォッチ」や「アントマン」での演技が記憶に残るマイケル・ペーニャがちょい役で出演していて驚いた。映画ファンなら必見の大傑作である本作、今回もネタバレありで。


監督:クリント・イーストウッド

出演:クリント・イーストウッドヒラリー・スワンクモーガン・フリーマン

日本公開:2005年

 

あらすじ

トレーラー育ちの不遇な人生から抜け出そうと、自分のボクシングの才能を頼りにロサンゼルスにやってきた31歳のマギー(ヒラリー・スワンク)。彼女は、小さなボクシング・ジムを経営する名トレーナーのフランキー(クリント・イーストウッド)に弟子入りを志願するが、女性ボクサーは取らないと主張するフランキーにすげなく追い返される。だがこれが最後のチャンスだと知るマギーは、ウェイトレスの仕事をかけもちしながら、残りの時間をすべて練習に費やしていた。そんな彼女の真剣さに打たれ、ついにトレーナーを引き受けるフランキー。彼の指導のもと、めきめきと腕を上げたマギーは、試合で連覇を重ね、瞬く間にチャンピオンの座を狙うまでに成長していく。

 

感想&解説

今思い返してみても、クリント・イーストウッドの2000年代作品の充実ぶりは只事ではないと思う。2003年「ミスティック・リバー」、2006年「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」、2008年「チェンジリング」「グラン・トリノ」、2009年「インビクタス/負けざる者たち」と、絶対に見逃せない作品ばかりだ。そんな中でも、アカデミー作品賞を当時74歳の史上最年長で獲った本作「ミリオンダラー・ベイビー」は、後世に残る傑作として今なお名を残しているのではないだろうか。個人的にも大好きな一作だ。


この作品は前半~中盤と後半で趣きがガラっと変わる。前半こそ、女性版「ロッキー」とも言えるボクシングをテーマにしたスポ根サクセスストーリーとも言える展開で、貧困に窮した女性ボクサーのヒラリー・スワンク演じるマギーと、イーストウッドが演じるボクシングジムの経営者兼トレーナーであるフランキーの「関係の変化」を三段階で、しっかりとした演出と共に描いていく。


具体的には「女にコーチはしない」と言い張っていたフランキーが、マギーの見せるボクシングへの情熱に感化されてトレーニングを始めていく最初のステップ、更にマギーの才能と努力が花開き、女子ボクシング界で勝ち上がっていくのと同時に、マギーに対する実の母親や妹のひどい仕打ちの数々や、慕っていた父親を亡くしているマギーに対して、フランキーが心情的にも近づいていく次のステップ、そして最後は、試合中の事故により完全に身体が動かなくなってしまったマギーに対して、選手とトレーナーを越えた感情を持ったフランキーが取る、最後の行為を描く最終ステップである。


そして、この3段階のステップを経ていくにあたり、本作は周到な演出を積み上げていく。マギーが車の中で語る、昔飼っていた脚の悪い愛犬に対して父親が取った行動についても、その時はマギーがどう解釈しているのか?があえて分からないバランスにしているが、最後まで観れば愛情故の行動だと理解していたことがわかる。それは「父親」と「フランキー」はマギーにとっては愛すべき対象であり、二人が行う行動を対比させて描いている為だ。また、フランキーがマギーにキスをするタイミングも演出的に上手い。リングネームである「モ・クシュラ」の意味を知りたがるマギーに、最後の最後で「愛する人よ、お前は私の血」という意味だと告げ、唇にキスをする。「教育者としての愛」から「父親としての愛」、そして最後は「恋人への愛」へと彼の気持ちが変容していく様が、具体的なセリフではなく行動で表現されている。本作は非常に変則的なラブストーリーなのである。


最終的には「尊厳死」という極めて難しい題材に踏み込んでいるがゆえに、公開当時は本国でもかなり物議を醸したらしいが、確かにフランキーの行動は宗教観によっては許せない行動だと批評されるかもしれない。だが、フランキーが教会で神父から諭され苦悩するシーンがある事からも、イーストウッドがそれを肯定的に描いていないのは明らかだ。それをも越えてフランキーはマギーの最後の意思を尊重したのだという、「深く愛するが故の正しくない行動」として深い感動を呼ぶ、極めて映画的な結末だと僕は思った。


モーガン・フリーマン演じる、過去にボクシングの試合によって視力を奪われたスクラップというキャラクターも魅力的だ。この作品の語り口がそもそも、疎遠になっているフランキーの娘に対して、このスクラップが語り掛けているという構成になっている。だからこそ、最初スクラップのナレーションから始まる訳だが、これにより通常の映画のような全員がフラットな「神の視点」よりも更に突き放した後味になっている。エンディングで感じる、このフランキーの人生や行動に対しての哀しさが増す効果を出しているのだ。その理由は、劇中でフランキーが娘に対して出した手紙はすべて戻ってきているのを観客は知っている為、このスクラップの語りも、実は娘には届いていない「独り言」かもしれないという想像をさせる為だろう。


だが反面で、本作で唯一の希望を最後で少し見せるバランスも上手い。それはデンジャーという男に対しての演出だ。デンジャーはボクシングのセンスが全くなく、中盤でジムのメンバーにボコボコにやられたところをスクラップに助けられ、グローブを脱ぎジムを去っていくシーンがある。そこから彼は劇中に登場しなくなる為、ボクシングの厳しさと挫折を表現するキャラクターかと思いきや、最後に「誰だって一試合は負ける(だからまだ諦めない)」とジムに戻ってきて、スクラップと再会するのだ。このシーンがエンディングにある事で、観客はかなり救われた気持ちになる。このあたりの匙加減が非常に巧妙で、脚本家ポール・ハギスの手腕が光る部分だ。


近年でも傑作を送り続けているイーストウッドフィルモグラフィー上でも、本作「ミリオンダラー・ベイビー」は「グラン・トリノ」「アメリカン・スナイパー」と並んで、2000年代重要作のひとつとして数えられるだろう。映画という芸術における、ひとつの到達点として必見の傑作だと思う。

採点:8.5点(10点満点)