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映画「ロブスター」ネタバレ感想&解説 ブラックジョーク満載の怪作!ラストの解釈も解説!

「ロブスター」を観た。

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2019年の傑作「女王陛下のお気に入り」を撮った、ヨルゴス・ランティモス監督の2016年日本公開作品。第68回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞している。ヨルゴス・ランティモスはこの次に公開された、2018年「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」も最高だったので、作品を重ねるごとに着実にキャリアアップしている監督だと思う。本作は監督の初の英語作品でもあり、主演はコリン・ファレルレイチェル・ワイズ、レア・セドゥと国際色豊かで非常に豪華だ。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

監督:ヨルゴス・ランティモス

出演:コリン・ファレルレイチェル・ワイズ、レア・セドゥ

日本公開:2016年

 

あらすじ

独身者は身柄を確保されてホテルに送り込まれ、そこで45日以内にパートナーを見つけなければ、動物に変えられて森に放たれるという近未来。独り身のディビットもホテルへと送られるが、そこで狂気の日常を目の当たりにし、ほどなくして独り者たちが隠れ住む森へと逃げ出す。ディビットはそこで恋に落ちるが、それは独り者たちのルールに違反する行為だった。

 

感想&解説

非常に特殊な設定の作品だ。あるホテルの中に閉じ込められ、45日の期間内でカップルにならないと動物に変えられてしまうという、ある意味ではSFジャンルとも言える映画だろう。しかも随所にブラックジョークが効いており、かなり笑える作品でもある。このカップルにならないと「人間として生きている価値がない=動物に変えられる」という世界観はある意味で残酷なのだが、ストーリーが進み、更に「カップルになったら罰が待っている」という逆の設定を入れる事により、逆説的に「人とは自分で自由に選択できる事自体が価値なのだ」という、重めのテーマを感じる作品だと思う。


ストーリーとしてはかなり歪で、整合性や伏線のうまい脚本とはとてもいえない。だが、そこが本作の魅力なのだと思う。コリン・ファレルが演じる主人公ディビットは、町外れにあるホテルに連れて行かれ、そこで45日間の生活を余儀なくされる。そこは男女が共同で暮らしながら、自分のパートナーを探す場所で、独り者たちが「カップルになる事の素晴らしさ」のレクチャーを日々受け、誰かと付き合う事を強要される。45日以内にパートナーを見つけなければ、自分の希望する動物に姿を変えられてしまうからだ。ディビットの兄もパートナーが見つけられなかった為に犬となって、一緒にホテルに滞在していた。必死に自分に合うパートナーを探そうとするディビットだったが、滞在日数が少なくなった頃、遂にある女性とカップルになる事に成功する。カップルになるためには「二人の共通点」が必要で、彼らにとっての共通点は「冷酷さ」だったが、ディビットは相手に合わせ冷酷な男を装っていた。


だが女はある日、その冷酷さを発揮し、犬となった兄を蹴り殺してしまう。ディビットは思わず涙するが、その事で女に罵られ、その結果ディビットは女を殺しホテルから脱走して森へ逃げ込む。そこは独り身だけが暮らすコミュニティがあり、恋愛禁止の社会が存在していた。このコミュニティ内で、もし恋愛している事が発覚するとリーダーによって厳しい制裁を加えられてしまう。ホテルの中では本当のパートナーを見つけられなかったディビットだが、この恋愛禁止のコミュニティでレイチェル・ワイズ演じる「近視の女」に恋してしまい、二人は激しく惹かれ合う。ディビットも近視であり共通点もある。だがその事に気付いたリーダーは、近視の女を完全な盲目にしてしまう。そして、それを知ったディビットは視力を失った彼女を連れてコミュニティから逃走する。そして彼女との「共通点」の為に、レストランのトイレにて自らの目をナイフで刺そうとする。そして、それを一人でレストランのシートに座りながら待つレイチェル・ワイズの長い長いショットから、いきなりエンドクレジットになる。


おおまかなストーリーを書いているだけで、クラクラしてくる位に変な映画なのだが、これを実際に映像として観るとその独特なトーンや音楽によって、よりその独特さが際立ってくる。ホテルでは自慰行為は禁止されているのだが、それが見つかりトースターで手を焼かれる男、鼻血が良く出る女性と共通点を作る為に自らの鼻を激しく壁に打ち付ける男、恋愛禁止のコミュニティで、身体を近づけないで各々がイヤフォンで好きな音楽を聴きながら踊るダンスパーティ、とにかくシュールなキャラクター達の奇怪な行動に大仰なオーケストラの音楽が乗ることにより、この作品には終始、不思議な空気感が張り付いている。「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」や「女王陛下のお気に入り」にも感じた、徹底的にクールで無機質、そしてあまりにもシュール過ぎる世界観が描かれるのだ。


そして、この映画の結末は宙ぶらりんだ。コリン・ファレルが演じる主人公ディビットが自ら目を潰して、再びレイチェル・ワイズの元に戻る姿は描かれていない。このラストが本作に突き放した魅力を与えていると思うが、ここは観た人の解釈が分かれるシーンだと思う。もちろんこれは正解を観客に委ねるという作り手の演出なのだが、あえて個人的な解釈を書くとすれば、これは「ディビットは逃げた」のだと感じた。このラストシーンでレイチェル・ワイズはレストランのシートに座り、トイレで目を潰して戻るディビットをひたすら待っている。完全にフィックスしたカメラで撮影されており、座り続ける彼女を映している。このシーンの長さは68秒ほどで、動きのない1シーンの時間としては正直かなり長い。


映画は時間をコントロールできるアートだ。だからこそ、そのカットをどれくらい続けて次のカットに繋げるか?どのタイミングでどういう音楽を被せるのか?次のカットで、どういうシチュエーションの場面に繋げるのか?全て作り手の意図があり「演出」で構成されている。では、この68秒という長いフィックスショットで監督が表現しようとしたのは何か?それは「待ち人はもう来ないのだ」という諦観と哀しさだと思う。この長いショットの果てに、もし「誰かが現れたらしい影」でも映っていれば、それがはっきりとディビットであると観客には分からなくても、このラストシーンのニュアンスは180度変わる。それがディビットかもしれないという「可能性」が示されるからだ。だが、この長いシーンは唐突に暗転し、そのままエンドクレジットに突入する。ここから、かなりの時間が経過したが、結局は彼女の元にディビットは戻らなかったという事を、表現していると思ったのである。

 

この何を映して何を映さないか?がコントロールされている作品を観ると、個人的には作品の整合性や設定の荒唐無稽さを越えて「いい映画を観たなぁ」という満足感が高まる。ただ、この作品は一見アートな雰囲気だが、実際はコメディとして観るのが良いと思う。ヨルゴス・ランティモス監督のぶっ飛んだ世界観とシュールなコメディセンスを楽しめるという意味では、万人受けはしないかもしれないが、とても楽しい映画に仕上がっている。このギリシャ人監督は、やはり只者ではない。次回作も本当に楽しみである。

採点:6.5点(10点満点)