映画を観て音楽を聴いて解説と感想を書くブログ

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映画「カセットテープ・ダイアリーズ」ネタバレ感想&解説 音楽青春ムービーの快作!

「カセットテープ・ダイアリーズ」を観た。

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予告編を観た時点で「音楽もの」が好みである為、個人的にはかなり期待していた本作。パキスタン産まれのジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの自伝的な回顧録をベースに作られた青春ドラマだ。2019年のサンダンス映画祭で大絶賛されたらしい。メガホンを取るのは「ベッカムに恋して」などの女性監督グリンダ・チャーダ。主演はまだ日本での知名度はほとんどないが、これから注目されるであろう新星ヴィヴェイク・カルラ、「キャプテン・アメリカ」のヘイリー・アトウェル、「1917 命をかけた伝令」のディーン=チャールズ・チャップマンなど。ブルース・スプリングスティーンの楽曲が全編に使われて、本作の重要な要素となっている。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

監督:グリンダ・チャーダ

出演:ヴィヴェイク・カルラ、ヘイリー・アトウェル、ディーン=チャールズ・チャップマン

日本公開:2020年

 

あらすじ

舞台は1987年、イギリスの田舎町ルートン。音楽好きなパキスタン系の高校生ジャベドは、閉鎖的な町の中で受ける人種差別や保守的な親から価値観を押し付けられることに、鬱屈とした思いを抱えながら生きていた。しかしある日、友人に勧められたブルース・スプリングスティーンの音楽を知ったことをきっかけに、彼の人生が劇的に変わり始める。

 

パンフレットについて

価格820円、表1表4込みで全28p構成。

横レイアウト。主演俳優&原作者&監督へのインタビュー、ピーター・バカラン氏のコメント、森直人氏の音楽トリビア町山智浩氏の作品レビュー、ブルース・スプリングスティーンディスコグラフィなどが掲載されており、読み応えがある。

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感想&解説

素晴らしい音楽青春ムービーの快作である。ブルース・スプリングスティーンの楽曲が全編に使われており、その曲に出会う事により主人公であるジャベドが大きく影響を受け、自分の人生を歩み出していくという作品だが、イギリスで生きるパキスタン人が日々受ける差別、1980年代サッチャー政権下における貧困と鬱積した日常、移民である父親からパキスタン人としての伝統を強要されるプレッシャーなど、軽いタッチの見た目から受けるイメージとは違い、社会的な問題を描こうとしている上に、若い世代の観客にも強い共感を得る映画になっており、本作の射程範囲は驚くほど広い。

 

まずこの映画を楽しむにあたって、ブルース・スプリングスティーンに対しての知識やリテラシーは全く必要ない。僕自身も「ボーン・イン・ザ・USA」と「明日なき暴走」という超有名アルバムを二枚聴いたくらいの初心者だが、十分すぎる位に楽しめた。もちろん、エンドクレジットに未発表曲である「I'll Stand By You」が流れる事を含めて、ファンであればあるほど嬉しいのは間違いないが、それよりもアーティストを問わず「音楽に対して強く心を動かさせた体験」があるかないかが、この映画に対しての感情移入の度合いを決める気がする。

 

主人公ジャベドが何故これほどスプリングスティーンの曲に影響を受けるのか?、その理由が曲の歌詞が次々にスクリーンに表示される事によって、ジェベドの心境と共に観客に分かりやすく提示される。特に顕著なのが、最初にカセットテープから「ダンシン・イン・ザ・ダーク」と「プロミスト・ランド」を聴くシーンだろう。まるでジャベド自身の事を歌っているようなこの2曲を聴き、大嵐の夜に彼は文字通り「雷に打たれたような」衝撃を受ける。思わず外に飛び出し荒れ狂う嵐に打たれながら、自分の中の激しい衝動が抑えられないというシーンだが、音楽を聴いてこういう気持ちになった経験がある人なら、この時の主人公の心情は痛いほど解るだろう。少なくとも、僕自身はまるで昔の自分を観ているような気分になった。このシーンからこの作品にすっかり心を掴まれてしまったのだ。他にも「涙のサンダー・ロード」を歌いながらの告白シーンや、「明日なき暴走」のあえて稚拙なミュージカルシーンなど、この作品にはスクリーンを観ながら思わず笑みがこぼれてしまう場面が目白押しだ。

 

更にこの映画の大きなポイントとしては、思春期における「父と子」の関係を描いている点だ。ジャベドは詩や記事、レビューなどの文章によって自分を表現したいと思っており、将来もその方向に進みたいと考えている。スプリングスティーンを称賛する文章や、迫害されている立場からの言葉などを発表するうち、その文章が教師や周囲の大人たちの目に触れる事により評価され始めるジャベド。結果、遂にインターンとして新聞社で働ける事になるが、失業中であり保守的な父親は、金にならない物書きを認めず、アメリカのミュージシャンに影響を受ける息子がとにかく理解できない。ジャベドもスプリングスティーンの音楽が持つ肯定的なメッセージを信じて行動することにより、イギリスの田舎町ルートンを離れ大学に行くチャンスを掴み、自分の可能性をどんどんと広げていくが、家庭を離れることが許せない父親はそれを良しとしないのである。

 

だがこの作品が多様性に満ちているのは、一方的に父親を悪い存在だけであるとは描かないところだ。一家の主でありながら企業の都合で失業してしまったばかりに、家族に負担をかけている事を恥じている事、申し訳ないと思っている事を、もっとも苦労をかけている妻の前だけで涙ながらに吐露する。そして、そのシーンでの妻であり母が表現する夫や子供への深い愛。やはり女性は強いなと思わされる名シーンだった。そして、この父親も昔はパキスタンを捨てイギリスに渡り、家族を築いた勇気ある男だったのである。終盤のジャベドから父親へのスピーチシーンで告げる「誰もが勝てなければ、誰も勝てない」は、スプリングスティーンの言葉からの引用らしい。自分の幸せの追求だけではなく、周りの幸せも一緒に達成する事が真の豊さであるという意味だが、これを聞いて父は遂に我が子を理解する。このシーンも感涙必至の名場面だった。

 

そして大学への旅立ちの時、今まで運転していたはずの父親が車のキーを息子に投げ渡し、息子に運転を任せる。そしてかかっていたパキスタンミュージックのカセットテープを抜き、父親がかける音楽はもちろんブルース・スプリングスティーンだ。そして旅立っていく車をルートンの丘から見送っているのは、子供時代のジャベドである。これ以上ないくらい、登場人物たちの成長を映画的に表現した素晴らしいラストシーンだろう。「ペット・ショップ・ボーイズ」や「ビリー・ジョエル」、「ザ・スミス」や「ティファニー」などの80年代ポップシーンをネタにしたシーンも多く、音楽に造詣が深ければより楽しめるという意味では、大傑作「シング・ストリート」などのジョン・カーニー監督作品のテイストにも近い本作。鑑賞後の満足感やクオリティの高さも、まったく引けを取らないと思う。全ての音楽ファンにオススメしたい名作だった。

採点:8.5点(10点満点)