「博士と狂人」を観た。
世界最高峰と称される「オックスフォード英語大辞典」の誕生秘話を描いた、ノンフィクション原作「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」の映画化。主演はメル・ギブソンとショーン・ペンで、なんとこの二人は初共演らしい。監督のファラド・サフィニアは、2007年メル・ギブソン監督作の「アポカリプト」の脚本家という事で、監督としては今作が処女作になるようだ。完成まで70年を要したという辞典制作の裏側に存在した二人の天才を描いた作品であり、同時に熱い友情の物語だった。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:ファラド・サフィニア
日本公開:2020年
あらすじ
貧しい家庭に生まれ、学士号を持たない異端の学者マレー。エリートでありながら、精神を病んだアメリカ人の元軍医で殺人犯のマイナー。2人の天才は、辞典作りという壮大なロマンを共有し、固い絆で結ばれていく。しかし、犯罪者が大英帝国の威信をかけた辞典作りに協力していることが明るみとなり、時の内務大臣ウィンストン・チャーチルや王室をも巻き込んだ事態へと発展してしまう。
感想&解説
本作は「オックスフォード英語大辞典の誕生秘話を描いた映画」というイメージだったので、NHK「プロジェクトX」のような大辞典作りという偉業を成し遂げた男たちの伝記作品を想像していたのだが、実際は少し違った。どうやって辞書を作っていったのか?を描くシーン自体は少なく、基本的にはメル・ギブソン演じる学者マレーと、ショーン・ペンが演じる精神を病んだ殺人犯マイナーの友情を描く作品だったという印象だ。日本でも「舟を編む」という辞書編集部を舞台にした作品があったが、ああいう雰囲気の映画だと思っていると期待を裏切られる。思いのほか突然に凄惨なシーンも挟みこまれるし、このあたりは「アポカリプト」のコンビ作だと思い知らされる。
舞台は、19世紀のイギリス。独学で勉強し言語学博士となった、メル・ギブソン演じるジェームズ・マレーは、オックスフォード大学で「全ての単語を収録した完璧な辞典」編纂の責任者に抜擢される。だが、そのあまりの分量と精度の為に作業は難航していた。ある日、一般市民にまで広くボランティアを求めたマレーの元へ、膨大かつ精密な資料を送ってくる協力者が現れる。それは元アメリカ軍人のショーン・ペン演じるウィリアム・チェスター・マイナーという男で、彼は南北戦争時に負ったトラウマから殺人を犯してしまい、精神病院に収監されていた。マレーはマイナーの優れた知識と能力に感服し、手紙のやり取りだけで知性と教養を感じていたが、実際に病院までマイナーに会いに行った事で、彼らの間に本当の友情が芽生えるようになる。
一方、マイナーが殺した男には家族があり、その妻であった未亡人イライザはマイナーを当初ひどく恨んでいたが、マイナーの真摯な態度により、徐々に二人の距離は近づいていき、イライザは遂に彼を愛するようになる。マレーとマイナーの友情により順調にみえた辞書作りだったが、それでもあまりに膨大な作業量ゆえに工程は遅れだす。さらにイライザとの間に愛を感じたマイナーは、彼の夫を殺したという自責の念に駆られ、更に精神を病んでいく。そこに精神病院長の非人道的な実験治療により、ほとんど廃人と化していってしまう。
ここからネタバレだが、その事を知ったマレーとイライザはマイナーを助けるべく、彼を病院から釈放させるように動くが、審査会では危険だという理由で却下される。そこでマレーは、イギリス政府のウィンストン・チャーチルを訪ね、マイナーの釈放を懇願する。結果、チャーチルはマイナーを元いたアメリカに追放するという処分を下し、アメリカで自由になれる事が確約される。そしてマレーとマイナーは固い友情で抱き合うと、またマレーは辞書の制作に戻っていく。そしてテロップにて、マレーは1915年、マイナーは1920年に死去したこと、オックスフォード英語辞典は70年の時を経て遂に1928年に完成したことが流れ、映画は幕を閉じる。
前述のように、本作は「辞書作り」がメインテーマの映画ではない。おそらく、主要人物のマレーとマイナーが直接一緒に作業していた訳ではないし、映画としてはあまりに地味な画になってしまう為に、そこの場面は取り上げにくかったのだろう。それよりも、苦難に対してそれを乗り越えようとする男たちの友情と、それを支える女性たちという、割とステレオタイプな作風となっている。もちろん精神を病んだショーン・ペンの演技は素晴らしかったし、ジェニファー・イーリーが演じたマレーの妻役も、現代的にしっかりと夫に意見を言う女性という描き方で好感が持てた。
だが未亡人イライザとマイナーの恋愛に関しては、少し違和感があった。今回の上映時間の中で自分の夫を殺した相手に対して恋心を抱くという展開は、かなり性急な印象だし、終盤のイライザと出会う事で廃人同様だったマイナーが正気を取り戻すという展開も、ここだけあまりにファンタジックに感じる。またウィンストン・チャーチルに直談判するシーンも、簡単に事が運んでしまい過ぎ拍子抜けしてしまった。ここはもっと映画的にタメた演出でも良かったと思う。精神病院の警備係マンシーなど各登場キャラクターにもそれぞれ見せ場があるのだが、なぜかシーンやセリフとして深く残らない。全体的に前半はじっくりとした演出で良いシーンが多いのに、後半が急にバタバタしてしまう。まとめきれなかったかなという印象で惜しいのだ。
ストーリーも良いし、メル・ギブソン&ショーン・ペンの演技も申し分ない。映画としての平均点は高いだろう。だが、かっちりと優等生すぎる作りで、この作品を映画で観て良かったと思えるシーンが少ない気がする。また、いわゆるキャラクターに自分を入れ込んで観るタイプの映画ではない為、個人的には「辞書作り自体」の苦難や工夫をもっと観たかったというのが正直なところだ。期待が高かった分、やや期待外れな作品であった。
採点:6.0点(10点満点)