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映画「Mank マンク」ネタバレ感想&解説 「市民ケーン」の復習は必須の難解作!ただフィンチャーらしい懐の深さが堪能できる作品!

「Mank マンク」を観た。

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2014年の「ゴーン・ガール」から長編映画としては、6年ぶりのデビッド・フィンチャー新作が公開となった。とはいえ、いわゆる劇場公開作とは違いNetflixオリジナル映画なので、今は一部の劇場で期間限定で先行公開されているのみだ。フィンチャーNetflixと4年の独占契約をしたらしいので、しばらくはこういった形態の公開になるのだろう。個人的に新作映画は劇場で観たい派なので、少し残念な気もする。主演は「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」でオスカーを獲り再評価された、ゲイリー・オールドマン。他には、アマンダ・セイフライドや、ミュージシャンであるフィル・コリンズの娘であるリリー・コリンズらが名を連ねる。Netflixでは2020年12月4日から配信のようだ。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

監督:デビッド・フィンチャー

出演:ゲイリー・オールドマンアマンダ・セイフライド、リリー・コリンズ

日本公開:2020年

 

あらすじ

1930年代のハリウッド。脚本家マンクはアルコール依存症に苦しみながら、新たな脚本「市民ケーン」の仕上げに追われていた。同作へのオマージュも散りばめつつ、機知と風刺に富んだマンクの視点から、名作誕生の壮絶な舞台裏と、ハリウッド黄金期の光と影を描き出す。

 

パンフレット

販売無し。

 

感想&解説

デビッド・フィンチャーが久しぶりの長編新作を作っていると知って、大変楽しみにしていた本作。「セブン」ファイト・クラブ」「ゾディアック」「ソーシャル・ネットワーク」「ゴーン・ガール」など数々の名作を残してきた名匠で、個人的に現存している映画監督の中ではもっとも好きな監督だ。もともと寡作な監督だし、最近はNetflixと組んで「ハウス・オブ・カード」などのドラマ制作に集中していた事もあり、なかなか新作映画が公開されなかった為、本作を心待ちにしていた。ただ「市民ケーン」の脚本家を主人公にしたゲイリー・オールドマン主演作という事で、かなり地味目な作品になるだろうという予想はしていたが、「まさかここまでとは思わなかった」というのが正直な感想だ。


本作「Mank マンク」は「デビッド・フィンチャーの新作だから」という動機だけで鑑賞すると、完全に置いてけぼりを食うことになるだろう。かなり難解な作品であることは間違いないが、この作品を観るにあたってはいわゆるメタファーを読み解く力といった「映画リテラシー」ではなく、明確な「前知識」が必要だからだ。その上セリフ量が多いし、詳細な登場人物の説明もない。さらにゲイリー・オールドマン演じるマンクのセリフが、脚本家という「言葉を操る職業」ゆえに回りくどくて解りにくいのだ。多くの固有名詞がバンバン飛び出しては、時系列もコロコロ変わるので、「これは誰のことについて言ってるの?」と考えている間に、次の場面に移ってしまう。これはネトフリ用のコンテンツとして家で観るというよりも、むしろ集中できる映画館で観るべき作品なのでは?と思ってしまうほどだ。


それはさておき、一度目の鑑賞では正直理解できなかった為に、登場人物や設定を整理して二度目の鑑賞に臨んだことで、やっと作品の輪郭が理解できた本作。この感覚はアダム・マッケイ監督の「マネー・ショート 華麗なる大逆転」などにも通じるものがあると思う。特に、本作のテーマになっている1941年「市民ケーン」は絶対に観直しておいた方が良いだろう。劇中でもオーソン・ウェルズが登場し、ハーマン・J・マンキーウィッツ=マンクに「市民ケーン」の脚本を依頼するところからこの物語は始まるのだが、この「市民ケーン」という作品が若き天才監督オーソン・ウェルズのデビュー作であり、主人公ケーンは当時の新聞王であるウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたこと、さらに彼の愛人で歌手のマリオン・ディヴィスも孤独なヒロインとして「市民ケーン」に登場すること、そしてオーソン・ウェルズとマンクはこの主人公ケーンを傍若無人な大富豪として描き、モデルにされたウィリアム・ランドルフ・ハーストは自らの新聞で上映妨害運動を展開した事などは、劇中では特に説明がないが、本作を観るうえでマストな前情報になる。


さらに本作をややこしくしているのは、映画業界と政治の関係だ。マンクはMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)という映画メジャースタジオに雇われている脚本家なのだが、そこの最高責任者であるルイス・B・メイヤーとプロデューサーのアーヴィング・タルバーグはマンクと反りが合わないうえに、労働者の賃金カットを簡単にやってしまうような悪徳経営者であると描かれる。さらに彼らは次のカリフォルニア州知事に、共和党員であるフランク・メリアムという政治家を会社を挙げて推しており、彼が勝利するためにMGM社員を監督に抜擢し、不正のプロパガンダ映画を作って公開していたことが描かれる。ちなみにマンクは、社会主義を啓蒙していたアプトン・シンクレアという民主党を擁護するスタンスのようだ。これは、1929年から始まった世界恐慌が背景にあるからだろう。世相的に貧困の差が広がっており、映画業界の上層部が望む資本主義との考え方に差が生まれているのだ。


このような1930年代アメリカの背景が、特別な説明もなくさらっと描かれるために初見は混乱するのだが、本作から浮かび上がる作品のテーマは「体制や権力への反逆」である。新聞王でありメディア王でもあった、ウィリアム・ランドルフ・ハーストへの反抗を作品として表明した「市民ケーン」、そしてそれに難色を示すメジャー映画会社であるMGM上層部の腐敗と政治的なスタンス、そしてそれらの体制に反抗するオーソン・ウェルズとハーマン・J・マンキーウィッツのコンビ。ちなみにオーソンとマンクも「市民ケーン」の脚本クレジットを巡って諍いがあり、決して蜜月ではないのも面白い。これらの位置関係が見えて初めて、この作品のテーマがハッキリするのである。そして、本作の監督デビッド・フィンチャーは大手映画スタジオの手から離れNetflixと組み、自由な作品作りへと舵を取り出している。これらの符号は偶然ではないだろう。


市民ケーン」は第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながらも、ハーストの妨害行為により脚本賞のみの受賞にとどまった。これは今の作品評価から考えると、考えられない結果だ。本作のラストシーンは脚本賞を獲ったマンクの皮肉の効いたインタビューシーンで終わる。ちなみに本作の脚本はデビッド・フィンチャーの父ジャック・フィンチャーが担当している。あのゲイリー・オールドマンの笑顔の裏に、フィンチャー一家が込めた想いは大きく、これは念願の企画だったのだろう。そして、デビッド・フィンチャーはこの商業的とは程遠い作品を、Netflixの出資で作り上げた訳だ。

 

映画のルックスとしては、モノクロ作品ということもあり、過去のフィンチャー作品のようなエッジの効いた画面構成というよりは、やはり「市民ケーン」を多分に意識したであろうコントラストの効いた色彩設計と演出の作品だったと思う。時間軸を行き来する脚本も意図的だろう。また音楽は監督とは4度目のタッグとなる、トレント・レズナーアッティカス・ロスのコンビであり、今までの彼らの作風とはかなり異なる楽曲を提供しているのも面白い。どうやら、この映画の舞台が1930~40年代なので、その当時に存在した楽器だけを使って制作したとの事で、このあたりは彼らのこだわりを感じるポイントだ。

 

映画館での客入りはフィンチャー新作としては寂しいものだったし、劇場内ではいびきをかいて寝ているお客さんもいた。この地味さでは仕方ないとは思うが、この映画は何度も味わい尽くすと良さが出るタイプの作品だと思う。なにより個人的にはフィンチャーの新作長編がまた劇場で観れたことに感謝したい。もちろんネトフリで観るのも良いが、こういう作品は、特典映像付きでブルーレイソフト化してほしいものだ。

採点:7.5点(10点満点)