「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」を観た。
今年はかなり遅れて「第93回アカデミー賞」の作品賞ノミネートが発表されたが、本作がノミネートされていることを知り、さっそく鑑賞してみた。「Amazon Prime」で昨年から配信している作品だ。主演は「ナイトクローラー」「ヴェノム」のリズ・アーメッド。共演は「レディ・プレイヤー1「ライフ・イットセルフ 未来に続く物語」などのオリビア・クックや、「007 慰めの報酬」のマチュー・アマルリックなど。監督・脚本は「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命」の脚本家ダリウス・マーダーだが、監督としては本作がデビュー作となるようだ。今回もネタバレありで感想を書きたい。
監督:ダリウス・マーダー
出演:リズ・アーメッド、オリビア・クック、マチュー・アマルリック
日本公開:2020年
あらすじ
ドラマーのルーベンは恋人ルーとバンドを組み、トレーラーハウスでアメリカ各地を巡りながらライブに明け暮れる日々を送っていた。しかしある日、ルーベンの耳がほとんど聞こえなくなってしまう。医師から回復の見込みはないと告げられた彼は自暴自棄に陥るが、ルーに勧められ、ろう者の支援コミュニティへの参加を決意する。
感想&解説
この作品についてはほとんど知らなかったのだが、タイトルが「サウンド・オブ・メタル」で、メインビジュアルがタトゥーだらけの半裸ドラマーなので、いわゆる音楽ジャンルの”ヘヴィメタル”をテーマにした青春映画かと思っていたが、実際の内容はかなり違っていた。オープニングはリズ・アーメッドが演じる主人公ルーベンの演奏シーンから始まり、爆音のドラミングから映画は幕を開けるのだが、ここで若干の違和感を感じる。冒頭で彼とボーカル&ギターの女性が演奏しているのは、”ヘヴィメタル”ではないのである。そもそも、ギターボーカルとドラムしかいないメタルバンドなど聞いたことがない。
メタルとはキャッチーなリフに重低音のドラムとベースが重なり、楽曲としてある程度の起伏とカタルシスがあるジャンルの音楽だと思う。国内アーティストではやや衰退ぎみのジャンルだが、海外の有名バンドでは「メタリカ」「メガデス」「アンスラックス」などで、いまだに根強い人気がある。だがルーベンたちが演奏しているのは、いわゆる”ハードコア”に近いだろう。もっとパンクの要素が強いアングラな音楽で、コード感やメロディが希薄だからだ。だが本作の「サウンド・オブ・メタル」というタイトルは、実は音楽ジャンルとしての”ヘヴィメタル”を表現していたのではないという事が、映画を最後まで観ると理解できる。このタイトルとメインビジュアルが、いわゆる”ミスリード”になっているのである。
おおよそのストーリーとしては、下記だ。ドラマーのルーベンは恋人ルーとバンドを組み、トレーラーハウスでアメリカ各地を巡りながら、ライブハウスでの演奏に明け暮れるという日々を送っていたが、ある日を境にルーベンの耳はほとんど聞こえなくなってしまう。焦るルーベンは医師の診断を受けるのだが、結果はインプラントによる手術を受けるしか回復の見込みはないという告知だった。ただ手術は4万ドル以上する高額なもので、すぐには受けられない。自暴自棄に陥り、恋人ルーとの関係も不安定になったルーベンは、ろう者の支援コミュニティへ参加することになる。初めは手話も理解できず孤独を味わうルーベンだったが、コミュニティの責任者や参加者たちとの触れ合いの中で徐々に自分のペースをつかみ、ろう者達との生活に喜びを感じていく。
だが、常に恋人ルーのことが忘れられないルーベンは、トレーラーハウスや音楽機材を売り払うことで手術を受け、もう一度前の生活に戻れることを望み始める。そしてついに彼は、自分勝手にコミュニティを離れ、耳の手術を決行してしまう。ここからネタバレになるが、耳のインプラント手術とは電気的な小型マイクを耳の一番奥に直接入れて、耳にはイヤフォンを入れることにより聞こえるようにするという”人工内耳”で、手術後の音は以前とはかなり違っており、ルーベンはその聞こえ方に違和感を覚える。だが手術を行った彼は、恋人ルーの実家を訪れる。彼女の父親とルーに会いパーティに招かれるのだが、そこでも強い疎外感を感じるルーベン。ルーと父親がデュエットする歌を聴きながら、もう以前の関係には戻れないと感じたルーベンは、翌朝ルーの家を出る。そしてノイズだらけの音をシャットアウトするようにイヤフォンを外すとルーベンに真の静寂が訪れる。そして、そのまま映画は終わる。
ルーベンが聴力を無くす前の描写として、トレイラーの中でルーと生活している時の生活音がやや大きめのボリュームで表現されている。スムージーを作るミキサーの音、コーヒーメーカーの音、レコードで聴くソウルミュージックなど、これらが突然聴こえなくなる恐怖を、仮想体験できるのが本作の大きなポイントだ。劇中ではほぼ70%の聴力が失われていると言われていたが、実際に体感するとこれほどの情報が遮断されるのかと驚かされる。人の声はこもってしまってほとんど聞こえないし、街の生活音もシャットアウトされる。そして何より他人とのコミュニケーションがとても難しくなるのだ。
だからこそ、ろう者の支援コミュニティの責任者が伝える、施設での生活の重要性がひしひしと伝わる。それは「助け合い、今を受け入れること」だ。施設でのルーベンは耳の不自由な子供たちにドラムを教え、自分の役割を全うすることで”聴こえない生活”を乗り越えていく。最初は出来なかった手話を覚え、自分の現状を受け入れることで彼は成長していくのだ。だが、つい恋人ルーのソロライブ映像をパソコンで観てしまうことで、ルーベンはもう一度以前の人生に戻りたいと焦り出す。自分の本当の居場所が分からなくなり、彼はトレーラーや機材を売って、誰にも相談せずに手術を受けてしまうのだ。だが、この「一番良かった頃の自分に戻りたい」と思うルーベンの気持ちもとても良く理解できる。
そして本作の肝は、ラストシーンにおける”真の静寂”を体感するところにある。そういう意味ではなるべく静かな環境、できればヘッドフォンで鑑賞することをオススメしたい。様々な犠牲を払い、やっと手にしたお金で耳の手術をしたルーベンだったが、その先で手に入れた「価値=音」は以前とは全く違ったものだったという事が、音響演出を通して明解に伝わる名シーンになっていたと思う。この「サウンド・オブ・メタル」の”メタル”とは、ルーベンが手術後に聞く「ノイジーで機械的な音」を表現していたのである。
ルーと父親がデュエットするシーンにおける演出も上手い。観客にはその場で鳴っている豊かな歌声やピアノが聴こえているのだが、ルーベンの耳にはノイズが混じった不愉快な音に聴こえるというシーンで、これにより”音楽”や”ルーとの関係”自体が決定的に変わってしまったことを、セリフではなく観客に伝えてくる。またルーベンと再会したことで、恋人ルーの”肌を掻く”という癖が再発する小さなシーンからも、このまま以前の生活に戻ることに明るい未来がないという描写になっていて、ラストの彼の選択に説得力を増していると思う。そして最後は「人生とは常に何かを失いながら、それでもそれを受け入れていくことだ」という事実に気づき、”静寂”をルーベン自らが選択するという行動で、この物語は終わるのである。
映画はいろいろな人生を疑似体験ができるエンターテイメントだと思う。そういう意味でも本作「サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ」は、新しい音の表現方法を使いながら、耳が不自由な生活を体感させ、それにより観客に明確なメッセージを伝えてくる佳作だった。特にラストシーンの表現は素晴らしい。アカデミー作品賞にはやや地味な作品だと思うが、「Amazon Prime」に加入しているなら観る価値は十分にある映画だろう。