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映画「ファーザー」ネタバレ考察&解説 斬新な手法で認知症を表現しながらも、アンソニー・ホプキンスの名演技が楽しめる傑作!

「ファーザー」を観た。    

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日本を含め世界30カ国以上で上演された舞台「Le Pere 父」をベースに、原作者フロリアン・ゼレール自らが監督し作り上げたヒューマンドラマ。本作がフロリアン・ゼレールの長編初監督作となる。脚本は「キャリントン」や「危険なメソッド」の脚本家クリストファー・ハンプトンとゼレールが共同で手がけた。第93回アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、助演女優賞など計6部門にノミネートされ、主演男優賞と脚色賞の2部門で受賞した。また第78回ゴールデングローブ賞でも、4部門でノミネートされている。出演は主人公アンソニーアンソニー・ホプキンス、娘のアン役に「女王陛下のお気に入り」のオリビア・コールマン、他には「ビバリウム」のイモージェン・プーツ、「ゴーストライター」のオリビア・ウィリアムズなど。今回もネタバレありで感想を書きたい。

 

監督:フロリアン・ゼレール

出演:アンソニー・ホプキンス、オリビア・コールマン、イモージェン・プーツ、オリビア・ウィリアムズ

日本公開:2021年

 

あらすじ

ロンドンで独り暮らしを送る81歳のアンソニー認知症により記憶が薄れ始めていたが、娘のアンが手配した介護人を拒否してしまう。そんな折、アンソニーはアンから、新しい恋人とパリで暮らすと告げられる。しかしアンソニーの自宅には、アンと結婚して10年以上になるという見知らぬ男が現れ、ここは自分とアンの家だと主張。そしてアンソニーにはもう1人の娘ルーシーがいたはずだが、その姿はない。現実と幻想の境界が曖昧になっていく中、アンソニーはある真実にたどり着く。

 

 

パンフレット

価格880円、表1表4込みで全32p構成。

縦型A4サイズ。アンソニー・ホプキンス、オリビア・コールマン、フロリアン・ゼレール監督、脚本のクリストファー・ハンプトンのインタビューや、映画評論家の町山智浩氏、斎藤敦子氏、解剖学者の養老孟司氏、福祉ジャーナリストの町永俊雄氏らのコラムが掲載されており、全体的に読み応えがある。

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感想&解説

「ファーザー」というタイトルや、アンソニー・ホプキンスとオリビア・コールマンが微笑み合う優しい雰囲気のメインビジュアルから、完全に”ヒューマンドラマ”だと思って鑑賞したが、実はかなりサスペンス映画の要素が強かった本作。主人公の認識している世界がコロコロと変化し、主演のアンソニー・ホプキンス演じる”アンソニー”と共に、こちらの頭が混乱するような状況になっていく。これはまるで、ジョディ・フォスター主演2006年公開の「フライトプラン」における主人公を思い出す。一緒に飛行機に乗っていた娘が突然行方不明となり、さらに誰からも「子供などいなかった」と証言されて、自分自身がおかしくなってしまったのか?と不安になるような感覚。「フライトプラン」は乗務員の陰謀というオチだったが、本作の場合はそれがアンソニー自身の「認知症」により引き起こされていく。

本作の主人公の名前は「アンソニー」だが、これは監督のフロリアン・ゼレールが今回の映画化の際に、アンソニー・ホプキンスを”当て書き”した結果らしい。名前だけではなく年齢や誕生日の設定まで同じにして、この名優を主演に迎え入れたわけだが、その結果アカデミー主演男優賞を受賞してしまったという意味では、まさしく「ハマリ役」だったという事だろう。1991年ジョナサン・デミ監督「羊たちの沈黙」以来、彼は二度目のオスカー受賞となる。ホプキンスも本作の役柄について自分の父親をロールモデルにしたといい、「演じることに難しい点はなかったし、役についてもすぐに理解できた」と語っているが、本作における大量のセリフ暗記だけは大変だったようだ。それにしても撮影当時81歳という年齢で、本作のような繊細な演技ができること自体が凄まじい。

 

本作のストーリーを語ることは難しい。認知症であるアンソニーの視点で物語が語られる為に、登場人物や時系列に一貫性がなく、突然シーンとは関係のない人物が現れたりするからだ。だが、これこそが「認知症」の症状そのものを表現しており、この映画を過去にない特別な作品にしている。冒頭は、ロンドンで一人暮らしをしている老人アンソニーの元へ、オリビア・コールマン演じる娘のアンが訪れるシーンから始まる。「誰の世話も必要ない」と介護人を拒絶し、すぐに暴言を吐いて辞めさせてしまう父に対し、アンは「愛する人を見つけてパリに行くから、もう頻繁には面倒を見られない」と告げる。「私を見捨てるのか?」とアンソニーは怒るが、認知症が始まった父に対して「何度も説明したことよ」とアンは言い聞かせる。

 

別の日、アンソニーが自宅のキッチンで紅茶を入れているとリビングに知らない男がいて、アンの夫ポールだと名乗る。「パリに行く」とアンに聞いたところだったアンソニーはこの男を疑うが、もう結婚して10年になると言い、しかもこの家はアンとポールの家だと彼は告げる。そのうちアンが帰ってきてポールは別の部屋に行くのだが、今度はオリビア・ウィリアムズ演じる女性が自らをアンと名乗り出す。だがアンソニーにとっては、彼女はまったく知らない女性であった。ポールについて聞くと、5年前に離婚しているから夫などいないとアンは笑い、アンソニーはますます混乱していく。さらに別の日、オリビア・コールマン演じる方のアンが、イモージェン・プーツ演じる”若い介護人”を紹介する。その介護人のことを、アンソニーは「ルーシーに似ている」と言い、今は画家で家に戻ってこないアンの妹ルーシーに会いたいとアンに伝えるが、アンは微妙な顔をするだけだった。

 

 

さらに別日。アンソニーがキッチンに行くと、さらに知らない男がいた。男はアンから「ポール」と呼ばれているが、前に見た男とは別人だ。男は「アンはよくやっている、頑張っている。」とアンソニーに告げるが、アンソニーは「アンとは合わない」と答える。そしてアンの妹ルーシーがどれだけ素晴らしい娘であることを語り始めるが、そんなアンソニーに「いつまで我々をイラつかせる気ですか?」と男は語気を強める。ここからネタバレになるが、ある夜、どこかからルーシーの声が聞こえてアンソニーは目を覚まし部屋を出る。すると、そこは何故か病院の廊下へと繋がっており、声に導かれてある部屋に行くと傷だらけでベッドに横たわるルーシーの姿があり、その姿はあのイモージェン・プーツが演じる若い看護人そっくりだった。ルーシーは過去の交通事故ですでに亡くなっていたのだ。

 

場面は変わり、アンソニーは見知らぬ施設にいる。近くにアンやポールはおらず、介護人の女性とスタッフらしき男性が部屋に入ってくるが、なんと女性はオリビア・ウィリアムズが演じるアンだと名乗っていた女、そして男性のほうはリビングで座っていた男だった。アンはパリに旅立ってしまっており、絵葉書を送ってくれていた。アンソニーは混乱し取り乱しながら、「ママに迎えにきてほしい」と泣きじゃくる。そしてそんなアンソニーを、介護人の女性が優しく抱きかかえ「今日は天気が良いから散歩しましょう」と語りかけるところで、この映画は終わる。

 

登場人物は6名だけだし映画の舞台となるのも、ほとんどがアンソニーが住む部屋だけという密室劇ともいえる内容だが、本作は驚くほどスリリングな作品となっている。それはアンソニー認知症による混乱が”映像”として表現される為、こちらもまるで迷宮に迷いこんだような感覚に陥るのと、その混乱によってアンソニー・ホプキンスとオリビア・コールマンらがお互いにとまどい、怒り、悲しんでいる様子が卓越した演技によって表現されているからだ。また小道具の使い方についても上手い。冒頭からアンソニーは自分の”腕時計”に強く執着している。看護人に盗まれたとか、ポールが付けている時計に対しても自分のものではないかと疑ったりする。アンソニーはいつも家の中で時計を失くしているのだが、「正しく時を刻む」という絶対的な指針が自分の手元から失くなる事と、自分の記憶があやふやになって消えていく恐怖をリンクさせる小道具として、映画的にこの「腕時計」を機能させているのだと思う。

 

またどうしても本作は、主役のアンソニー・ホプキンスの活躍にフォーカスが当たりがちだが、やはりオリビア・コールマンの演技があってこその作品であったと思う。どれだけ献身的に父親に接したとしても見返りのない看病への疲れや、自分ではなく過去の思い出である妹ルーシーを求めてしまうアンソニーへの哀しみ、父と夫ポールの苛立ちに挟まれる怒り、でもふとした時に感謝の言葉を伝えてくる父への愛情などを、微細な表情だけで表現していて本当に惚れ惚れする。ヨルゴス・ランティモス監督の「女王陛下のお気に入り」でアカデミー主演女優賞を受賞した経歴があるオリビア・コールマンだが、本作でも勝るとも劣らない演技が堪能できるのだ。

 

ラストシーンで、「まるで自分の葉が一枚ずつ失われていくかのようだ」と泣きながら自らの心情を語るアンソニーには心を掴まれる。そして、劇中ではあれほど自分を「知的な人間だ」「子供扱いするな」と他人を攻撃していたアンソニーが、”幼児退行”し母親を求める姿には「人が歳をとっていくこと」の現実が表現されていた気がする。娘のアンに支えられながら毅然と生きてきたアンソニーも、いよいよ人生の終焉に近づき、残りの葉を散らせながら余生を生きていくという事だろうが、本作のラストカットは窓の外の”葉が生い茂る木々”だ。これは、それでもまだまだ彼の人生は続いていくのだという、監督からの希望に満ちたメッセージにも感じられた。

 

認知症」という難しいテーマでありながらも、映画としての表現方法や演出の巧みさ、俳優たちの演技の質といい97分という短い上演時間でありながら、素晴らしい映画体験だった本作。上映本数が限られている中ではあるが、こういう作品が日本公開されることには素直に喜びたい。本年度屈指の傑作であった。

 

 

9.0点(10点満点)