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映画「キャンディマン」ネタバレ考察&解説 リブートではなく、93年日本公開版の完全な続編なのでご注意を!

「キャンディマン」を観た。

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1993年日本公開の映画「キャンディマン」を「ゲット・アウト」「アス」のジョーダン・ピールが製作し、28年ぶりに蘇らせたホラー映画。監督はマーベル映画「キャプテン・マーベル」の続編にも抜擢されている、黒人女性監督のニア・ダコスタ。主演は「アクアマン」「グレイテスト・ショーマン」のヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世。共演は「ワンダヴィジョン」「ビール・ストリートの恋人たち」のテヨナ・パリスや、前作でもアン=マリー・マッコイ役で出演していたヴァネッサ・ウィリアムズなど。ジョーダン・ピールのプロデュースで単なるホラー映画のリブート作になる事は考えにくいが、果たして本作はどんな作品になっていたか?今回もネタバレありで、感想を書いていきたい。


監督:ニア・ダコスタ

出演:ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世、テヨナ・パリス、ヴァネッサ・ウィリアムズ

日本公開:2021年

 

あらすじ

シカゴの公営住宅「カブリーニ・グリーン」地区には、「鏡に向かって5回その名を唱えると、右手が鋭利なかぎ爪になった殺人鬼に体を切り裂かれる」という都市伝説があった。老朽化した公営住宅が取り壊されてから10年後、恋人とともに町の高級コンドミニアムに引っ越してきたビジュアルアーティストのアンソニーは、創作活動の一環としてキャンディマンの謎を探っていた。やがて公営住宅の元住人だという老人と出会ったアンソニーは、都市伝説の裏に隠された悲惨な物語を聞かされる。

 

 

パンフレット

価格880円、表1表4込みで全28p構成。

縦型オールカラー。ジョーダン・ピール、ニア・ダコスタ監督のインタビューの他、映画ライターの高橋諭治氏、大場正明氏によるコラムやプロダクションノートなどが掲載されている。

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感想&解説

まず本作2021年版「キャンディマン」は、完全に1993年に日本公開された作品の”続編”なので注意が必要だ。リブート作品だと思って、いきなり本作から観ると理解できない場面が多々あると思う。舞台となる「カブリーニ・グリーン」という公営住宅群が前作と同じ舞台であり、ここで噂されている「キャンディマン」の都市伝説が物語の背骨となるからだ。また劇中の主人公たちによって怪談のように語られる、前作の主人公である「ヘレン・ライル」という大学院生のエピソードも、ここで語られてるストーリーが”実際とは違う”ことが93年版を観ていないと分からないだろうし、キーワードのように登場するヘレンに誘拐されたという「赤ちゃん」についても、中盤で「ネタ明かし」があるのだが(正直、名前でピンとくるが)、前作を観ていることが前提の演出になっている。むしろ本作を観る直前に、もう一度前作を観なおした方が良いくらいに内容がリンクしているのには驚いた。劇場で近くに座っていた夫婦が終わったあとに、「まったく意味が分からなかった」と言っていたが、本作は28年ぶりの「続編」として宣伝したほうが良かったと思う。

そういう意味では、パンフレットで映画ライターの高橋諭治氏も語っているが、前作と本作は1978年のジョン・カーペンター監督版と、2018年にリブートされたデヴィッド・ゴードン・グリーン版「ハロウィン」の関係に非常に近い。キャラクター設定や舞台も含めて完全に世界観を踏襲しながら、前作にも登場した「あるキャラクター」が成長した姿を描くからだ。だからこそ、前作の主人公ヘレンがキャンディマンに追い詰められていった様子や、そもそもキャンディマンが誕生した背景などの前情報は必要になる。1993年版はヘレン・ライルという既婚の女子大学院生が、「カブリーニ・グリーン」という黒人居住地区にまつわる都市伝説の研究をしているうちに、「鏡の前で名前を5回唱えると現れる」殺人鬼キャンディマンのことを知り、半信半疑で名前を言ってしまう。すると本当に彼女の身の回りにキャンディマンが現れ、「カブリーニ・グリーン」の調査で知り合った黒人女性マリーの赤ん坊アンソニーを誘拐したばかりか、彼女の近辺にいる人々を次々に殺していく。


常に血だらけで現場にいるヘレンに殺人事件の疑惑がかかり、遂に彼女は精神病院に強制入院させられるが、夫に会いたい一心でヘレンはそこから脱走する。だが、夫はすでに別の若い女性との生活を始めていた。失意のあまりキャンディマンの住処である「カブリーニ・グリーン」を再び訪れるヘレン。そこで待ち構えていたキャンディマンは彼女に、「私のものになれ。そうすれば、あの赤ん坊も傷つけずに帰してやる」と話すがヘレンはそのまま気を失ってしまう。目が覚めると、赤ん坊であるアンソニーの泣き声を広場の中央にあるゴミ山の中から聞き、彼を助けるためにそこに侵入するが、キャンディマンと見間違えた住民たちによって火を付けられてしまう。大火傷を負いながらもなんとかアンソニーを救い、母親マリーに手渡すとヘレンはそのまま死亡し、キャンディマンと共に永遠の存在となる。そして夫に最後の復讐を遂げるところで93年度版は終わる。

 

 


そしてここからネタバレになるが、本作2021年度版の主人公は前作のラストでヘレンが救った「アンソニー」なのである。しかも母親であるマリーも再登場し、この事実をアンソニーに告げるシーンもある。ではなぜ、「ゲット・アウト」や「アス」で繰り返し”黒人問題”を描いてきたジョーダン・ピールが、改めてこの「キャンディマン」の続編を製作したのか?と言えば、ここに彼が語るべきテーマを感じたからだろう。キャンディマンというキャラクターの誕生が、「黒人差別と暴力」を強烈に想起させるのだ。そもそもキャンディマンは1890年ごろの黒人奴隷の息子で、当時画家として活躍していたために、裕福な地主の白人から娘の絵を描くように依頼される。しかし2人が恋に落ちて娘が妊娠してしまった為に、激怒した地主は金で男たちを雇い、錆びたノコギリで彼の右手を切り落とし、蜂に全身を刺させるという拷問を行う。そしてそのまま死亡した男は遺体を焼かれ捨てられたのだが、その男がキャンディマンとして復活したという誕生の背景があるのだ。


前作の荒廃した「カブリーニ・グリーン」という黒人専用の公営住宅が、今は高級住宅地として変化したという2021年度版だが、それでもこの土地に出現し続けるキャンディマンは、自分の存在を継承させていくことに執念を燃やしている。だからこそ本作では、アンソニーが前作のヘレンと同じようにキャンディマンに魅入られ、彼が選ばれキャンディマンと同一化していく姿が描かれる。アンソニーが「黒人画家」であるという設定も生前のキャンディマンと同じだ。映画のオープニング、1970年代の公営住宅で少年の前にキャンディマンが現れるが、複数人の白人警官によって襲撃を受けるシーンなど、常に白人たちのリンチや暴力によってこの怪物は再生されることが表現される。これはリアルな現代社会でもまったく同じ事象が起こっており、そのことによって黒人の犯罪者が生まれていることをジョーダン・ピールとニア・ダコスタ監督は描きたかったのだろう。


映像的にも、冒頭のユニバーサルのクレジットが反転して表示されていたり、前作のオープニングショットだった「高速道路の上空からの俯瞰映像」が、今回は高層ビルを下から見上げるショットになっていたりと、「鏡」をテーマにした作品ならではの反転ショットの数々でビジュアル的に主題を演出をしているし、特徴的な影絵を使った説明シーンもまさに光と影の反転をテーマにして効果をあげている。鏡の中でキャンディマンが行う複数の殺害シーンも、それぞれ趣向を凝らしており、序盤のギャラリーの中で画商とその彼女が殺されるシーンや、学校のトイレで女子学生たちが惨殺される場面なども、ホラー映画としてフレッシュな恐怖演出が楽しめると思う。ただ、どうしても90年代の「殺人鬼もの」がメインの話なので、やや古臭さは感じるし、恐怖表現に特化した作品ではないので怖さもマイルドで、コアなホラーファンには物足りないだろう。


単純にホラー映画として楽しむ作品というよりは、ジョーダン・ピールとニア・ダコスタ監督のメッセージ性が強く出た映画である上に、前作の予習はマストなのでややハードルのある作品かもしれない。「アンソニー」という黒人主人公の名前を聞いて、直前に「U-NEXT」で前作を観直しておいて本当に良かったと思ったくらいだ。本作のラストで、アンソニーが完全に「キャンディマン」として生まれ変わったところで、唐突にこの映画は終わる。前作も映画としてはややマニアックな作品で微妙な完成度だったことを考えれば、それよりはかなり高い作品クオリティになっているのは間違いないし、海外ではそれなりにヒットしているようなので、また続編があるかもしれない。だが強いメッセージ性が先行し過ぎていて、娯楽映画としてはややインパクトの弱い作品になっていたのは残念だった。

 

 

5.5点(10点満点)

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