「ディア・エヴァン・ハンセン」を観た。
「ワンダー 君は太陽」のスティーブン・チョボウスキーが監督を務め、楽曲を「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」など大ヒットミュージカル映画に携わってきた、ベンジ・パセック&ジャスティン・ポールという名コンビが担当したことでも話題の、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。2016年にブロードウェイで初上映後、アメリカでは社会現象となり、2017年のトニー賞では作品賞を始め6部門を受賞しグラミー賞、エミー賞にも輝いている。主演は舞台でも主人公エヴァン・ハンセンを演じたベン・プラット。「ピッチ・パーフェクト」シリーズなどにも出演している。共演は「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」のケイトリン・デバー、「シングルマン」「アリスのままで」のジュリアン・ムーア、「メッセージ」「バイス」のエイミー・アダムスなど。今回もネタバレありで、感想を書いていきたい。
監督:スティーブン・チョボウスキー
出演:ベン・プラット、ケイトリン・デバー、ジュリアン・ムーア、エイミー・アダムス
日本公開:2021年
あらすじ
学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる自己セラピーの為の手紙を、ある日風変わりな同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、コナーは自ら命を絶ち、その手紙を見つけたコナーの両親は”手紙の内容”から息子とエヴァンが親友だったと思い込む。悲しみに暮れるコナーの母親をこれ以上苦しめたくないとエヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない嘘の思い出を語っていく。また片思いだったコナーの妹ゾーイともこの事件がきっかけで親しくなり、追悼式でエヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ったことで、SNSを通じて世界中に広がっていくなど、エヴァンのついた嘘の影響はどんどんと大きくなっていく。
感想&解説
「ラ・ラ・ランド」「グレイテスト・ショーマン」を手掛けたクリエイターである、ベンジ・パセック&ジャスティン・ポールの新作だという宣伝文句から、”お洒落なミュージカル映画”を想像して劇場に向かってはいけない。内容としては、非常に内向的でダークな作品になっているからだ。それは本作が「孤独や自殺」をテーマにしていることと、主人公のエヴァン・ハンセンが劇中でいくらハッピーな展開になろうとも、それは彼がついた”嘘”のうえで成り立っている幸せだと観客には解っているため、そこにカタルシスがない為だろう。作品上、この”嘘”が最後まで続くはずがないので画面上のエヴァンが幸せそうであればあるほど、いたたまれない気持ちになるのだ。映画の冒頭から主人公のエヴァンがコミュニケーション能力に問題があり、いわゆる「スクールカースト」の中では下位に属していること、母親はエヴァンを愛しているがシングルマザーで仕事が忙しく、それによって孤独を感じていることなどが、「Waving through a window」という”歌”によって表現される。ミュージカル作品にとって、この歌が始まるシチュエーションは非常に重要だと思う。
一般的にはいわゆる”セリフ”をそのまま”歌詞”に置き換えて、登場人物たちが踊りながら歌うことでストーリーが進行していくという作品が多いと思うが、本作においての”歌”はキャラクターの「内面の声」というニュアンスに近い。学校の廊下でいくらエヴァンが大声で歌によって自分の内心を吐露していても、誰も不審がらないし彼を見向きもしない。自殺したコナーとの嘘の思い出話を彼の両親に語るシーンでは、多分に情緒的な歌詞で二人の友情を歌っているが実際にはこの歌詞そのままの言葉ではなく、もっと普通の”話し言葉”として両親には伝わっているのだろう。
それを強く感じるのは、追悼式でエヴァンがコナーについてのエピソードを語るシーンだ。「暗闇の中でも周りを見回そう。どんなに孤独だと感じても、君は一人じゃない」と朗々と歌い上げるエヴァンの”歌”に対して、周りの人たちは皆「感動的なスピーチだった」と評する。ステージ上でいきなりどこからともなく伴奏が流れるところからも、この映画の中で流れる”歌”は実際に聴こえているものではなく、歌っているキャラクターの内面を表現したものなのだ。この表現によって観客は表面的ではない、彼の内面や本音に深く触れている感情になれる為、非常に良い演出だと思う。そして、この追悼式でエヴァンが歌っている内容は、実はコナーに対してではなく「自分に向けて歌っていた歌」だという事が終盤に解るのである。
ストーリーの概要としては、こうだ。主人公は人と接するのがとても苦手で、ほとんど友達もおらず学校生活に苦しむ高校生のエヴァン。父親は彼が7歳の時に出て行ったため母子家庭で育っているが、母親は仕事で忙しく殆ど家にいない。彼はカウンセラーの指示で、自分を勇気づけるような「親愛なるエヴァン・ハンセン」から始まる、”自分宛の手紙”を書いていた。彼にはゾーイという憧れの女子もいるが、もちろん声をかけることもできず、遠くから眺めるだけの毎日。さらに彼は木から落ちて腕を折ってしまったことからギブスをつけて登校していた。そんなある日、まったく名前の書かれていない白いギプスに、ひょんなことからコナーというやはり社会に馴染めないタイプの青年からエヴァンは名前をサインしてもらう。しかも彼はエヴァンが憧れていたゾーイの兄であった。だが「自分宛の手紙」にゾーイの名前を書いていた事とそれをコナーに見られたことで、コナーは怒り手紙を持って行ってしまうのだが、その数日後コナーが突然自殺するという事件が起こる。
自殺したコナーの両親は、「親愛なるエヴァンへ」という手紙が彼のポケットから出てきたことから、エヴァンがコナーの友人だったと勘違いし「あの息子にも友達がいたのだ」と喜び、彼とのエピソードを聞く為にエヴァンを家に呼ぶ。コナーは薬物依存の施設に入っていたり暴力衝動が抑えられず、生前は家族を悩ませる存在だったのだ。孤独だったエヴァンは、暖かく受け入れてくれるコナーの両親を喜ばせたい気持ちとゾーイへの想いから、思わずコナーと一緒に過ごした時の話などを創作し、まったくの”嘘”を伝えてしまう。コナーの自殺は学校でも大きなニュースとなり、コナーの追悼式が催されることになる。その追悼式で”自分の感情”を素直に吐露したスピーチがSNS上で話題を呼び、それをきっかけにエヴァンは一躍有名となる。さらに兄の知らなかった一面をエヴァンから次々と伝えられることで憎んでいたはずの兄への気持ちが解けていくと同時に、ゾーイの気持ちはエヴァンに傾いていく。ついに「コナー基金」というクラウドファンディングも立ち上がり、コナーが好きだった場所である果樹園を復活させようという運動にまで繋がり、コナーの両親もまるでエヴァンを自分の息子のように可愛がるようになっていく。
だがそんな順風満帆な日々は長く続かなかった。ここからネタバレになるが、クラファンの結果に焦った実行委員会のリーダーであるアラナが、エヴァンの書いた「自分宛の手紙」=「偽コナーの遺書」をSNSに流出してしまったことで、コナーの家族に対して非難が集まるという事態になる。自分の嘘がきっかけでこんな事になったという自責から、エヴァンは遂に全てをコナーの家族に打ち明けると同時に、SNSでも自分の嘘を告白する。ゾーイの気持ちも離れコナーの両親も悲しみに暮れる中、失意のエヴァンは母親に木から落ちたのは実は自殺だったことを打ち明けるが、それを聞いた母親は最後まで彼の味方でいると伝えてくれる。そしてエヴァンは、本当に生前のコナーのことを知ろうと行動を始める。その結果、薬物施設でコナーが「今日という日が少しだけ近くに感じる」というオリジナルソングを歌っている動画を見つけ、それをコナーの家族に送ることで彼らに僅かな癒しを与える。そして果樹園でゾーイと和解し二人は別々の道を歩むこと、そしてエヴァンはまた新しい人生を歩み始めることが示唆されて映画は終わる。
多くのミュージカル作品のように、本作は安易なハッピーエンドを与えてくれないし、非常にほろ苦い後味のエンディングだと思う。ただ、主人公のエヴァンは今回の一連を通じて確実に成長したことが表現されており、そこは好感が持てる。嘘を付いた自分と向き合いそれを認めてやり直すことで、孤独だった若者が失ったものはありながらも、”真の自分の生き方”を手に入れたという着地だ。ただ最初はコナーの両親を想っての「善意の嘘」だったということで気持ちも理解できるし、それ自体は人を幸せにする嘘だと思えるのだが、中盤以降のエヴァンの行動の数々は「自らの保身」のために見えてしまう。作劇手法として、いったん主人公から気持ちが離れてしまう作りなのが、本作を観てい
例えば「If I Could Tell Her」などにおける、エヴァンのゾーイに対する想いをまるで「兄コナーの気持ち」のようにすり替えて、「I love You」と伝えるシーンなどは顕著だ。涙もろいはずの僕が本作を観てもまったく泣けなかったのは、最後までこのエヴァン・ハンセンというキャラクターに感情移入できなかったからだと思う。ただ逆に、ジュリアン・ムーア演じるエヴァンの母親が歌うシーンには、シングルマザーとして子供をここまで育てた彼女の努力や、父親が出て行った時の孤独、エヴァンへの溢れんばかりの愛情がすべて詰まった名場面で、個人的には劇中でもっとも感情を動かされた。
そしてやはり各楽曲については、素晴らしい。冒頭で歌われる「Waving Through A Window」から、コナーの家族がおのおの複雑な感情を吐露する内容の「Requiem」、本作のテーマソングとも言える「You Will Be Found」、そして終盤でかかる「A Little Closer」など、いわゆる「ラ・ラ・ランド」における「Another day of sun」や「グレイテストショーマン」の「This is it」のようなキャッチーな楽曲とは違うかもしれないが、しっとりと胸に染みる美しいメロディの曲が多いのが特徴だ。さらにまるで実際にその場で歌っているようなブレスや、感情が高ぶると音程が外れたような歌い方もリアルで、このあたりはブロードウェイミュージカルぽく、もしかするとある程度は現場のライブ感を活かして録音&MIXされているのかもしれない。サントラを購入して、繰り返し聴きたくなるクオリティである。
全体的には、「ワンダー 君は太陽」のスティーブン・チョボウスキー監督が手掛けたミュージカルという事で、まずまず手堅い作品に仕上がっていたと思う。やや平面的なSNSの扱われ方や予定調和なストーリー展開、感情移入しにくい主人公などの気になる点はありつつも、ミュージカル作品として各楽曲の質も高いし、ベン・プラットの圧倒的な歌唱力やジュリアン・ムーアとエイミー・アダムスはさすがの存在感で、138分という長めの上映時間だったが飽きずに楽しめた。できれば音響の良い劇場で観たほうが良い作品だと思う。エンドクレジットの最後に蛇足のようなメッセージが付くが、悩める若者には生きていくこと自体を優しく肯定するような作品になっている。「イン・ザ・ハイツ」や「tick,tick...BOOM!:チック、チック、ブーン!」など、今年はミュージカル映画の話題作が多くて嬉しい。
6.0点(10点満点)