「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」を観た。
ジョン・ワッツ監督の新三部作「スパイダーマン ホームカミング」「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」に続く、マーベル・シネマティック・ユニバースの「スパイダーマン」シリーズ第3弾。MCU作品「アベンジャーズ エンドゲーム」などでも重要キャラクターだった、ベネディクト・カンバーバッチ演じる「ドクター・ストレンジ」も再登場する。しかも今作は予告編でも明らかになっているが、サム・ライミ監督版「スパイダーマン」シリーズから「グリーン・ゴブリン」「ドクター・オクトパス」「サンドマン」、マーク・ウェブ監督版「アメイジング・スパイダーマン」シリーズから「リザード」「エレクトロ」など、過去の関連作品からヴィランが登場するという事で、非常に話題になっていた。しかもウィレム・デフォー、アルフレッド・モリーナ、ジェイミー・フォックスら旧シリーズのオリジナルキャストも登場するという、まさに”お祭り映画”の本作。もちろんトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジェイコブ・バタロンらのキャストも続投している。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ジョン・ワッツ
出演:トム・ホランド、ゼンデイヤ、ベネディクト・カンバーバッチ、ジェイコブ・バタロン
日本公開:2022年
あらすじ
前作でホログラム技術を武器に操るミステリオを倒したピーターだったが、ミステリオが残した映像をタブロイド紙の「デイリー・ビューグル」が世界に公開したことでミステリオ殺害の容疑がかけられてしまったうえ、正体も暴かれてしまう。マスコミに騒ぎ立てられ、ピーターの生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが、それが失敗した為に別次元からスパイダーマンを知るヴィランたちを呼び寄せてしまう。
感想&解説
ネット上でも大好評の嵐、そして多くの賛辞が並ぶジョン・ワッツ監督版スパイダーマン三部作の完結編「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」を、やっと鑑賞。感想としては「こんなにスパイダーマン映画で泣かされるとは思っていなかった」だ。正直最近は、MCUやDCなどの「ヒーロー映画」が自分の中でかなり醒めてきてしまっており、「ブラック・ウィドウ」や「エターナルズ」も鑑賞後に特に感想を書くほどのモチベーションが上がらなかったという有様で、今作も観るまではほとんど期待していなかった。ところが「スパイダーマン」シリーズの集大成という意味で、本作には強く涙腺を刺激されてしまった。2002年公開のサム・ライミ監督版でトビー・マグワイアが演じていた初代三部作から、マーク・ウェブ監督版「アメイジング・スパイダーマン」で不遇な打ち切りを経たアンドリュー・ガーフィールドの二代目、そしてトム・ホランドの三代目まで続く、”スパイダーマン映画”の歴史をイッキに振り返る、愛に溢れた作品になっていたと思う。そういう意味では、本作を観る前に過去の7作品は観ておいたほうが楽しめると断言したい。(CGアニメ版の2019年日本公開「スパイダーバース」も傑作なので、ぜひ)
最近の”ヒーロー映画”では「倒すべき悪役の存在」を設定するのが、だんだん難しくなっていると思う。膨大に増え続けるアメコミシリーズに今の観客が観てリアルに感じられる悪役の設定がないと、「なぜ彼らを倒す必要があるのか?」に説得力を持たせられないのだ。”宇宙からの侵略者”や”マッドサイエンティスト”が地球の侵略を狙うだけの動機ではそろそろ飽きがくるし、限界がある。個人的にヒーロー映画が醒めてきているのも、最後は悪役と殴り合って一件落着という話にウンザリしてきているからだ。まず本作「ノー・ウェイ・ホーム」は、ここで大きな差別化してくれているのが素晴らしい。ここからネタバレになるが、今回の「スパイダーマン」は“親愛なる隣人”という基本姿勢をしっかりと踏襲し、ピーター・パーカーは「悪側だろうが関係なく助けること」を目指す。なぜならスパイダーマンシリーズの敵は根っからの悪人ではなく、悪の力に魅入られたり、実験による事故などで狂暴化した元善人ばかりだからだ。そもそも「スパイダーマン」は悪人を倒すことよりも、”市民を助ける存在”として活躍してきたヒーローだと思う。決して完全無欠ではなく、ピンチの時には逆に市民に助けられたりもするし、落ち込んでスランプに陥ったりもする。この人間臭さこそが、「スパイダーマン」の魅力なのだ。
その対比として、ベネディクト・カンバーバッチ演じる「ドクター・ストレンジ」は、異次元より招き入れてしまったヴィランたちを早々に送り帰そうとする。彼らがその後に死ぬことは承知の上でだ。もちろんこれは「普通のヒーロー」の姿勢としては正しく、世界を危険に陥れる悪役は退治されるべき存在だからだ。だがピーター・パーカーはそのまま彼らを帰還させず、「治療して更生させたい」とドクター・ストレンジと対立する。これはスパイダーマンだからこその行動であり、この対比が本作を特別な存在にしていると思う。まさに「スパイダーマン映画」としての面目躍如だろう。そしてもちろん、この行動には「責任」が伴ってくる。それが中盤で訪れる「メイおばさんの死」だ。グリーンゴブリンに爆弾を投げられることによりメイおばさんは負傷し、過去シリーズではベンおじさんが語っていた名セリフ、「大いなる力には大いなる責任が伴う」を彼女が語る。死に際にもこのピーターの行動は間違っていないのだと、彼を諭すのである。この言葉とおりに、序盤ではあれほど狂暴だったドクター・オクトパスが、終盤ではスパイダーマンたちを助けてくれるというシーンが用意されているという展開も上手い。このメイおばさんの絶命シーンから、作品のエモーショナル度はどんどんと加速していく。
その後、メイおばさんを失ったショックからヒーローとしての自信を無くしたピーターの元に、トビー・マグワイア&アンドリュー・ガーフィールドが演じた二世代の「ピーター・パーカー」が現れ、共闘していくというファン感涙の展開になっていく。しかも、これらが本当に”スパイダーマン愛”に溢れた名シーンばかりで、トビー・マグワイア版ピーターがネッドに「親友はいたの?」と聞かれるシーンでの答えに、観客は間違いなくジェームズ・フランコが演じていた「ハリー・オズボーン」の存在を頭に浮かべるだろうし、シリーズの途中だったにも関わらず制作中止になり、MCUにも参加していないという理由から自分を卑下するアンドリュー版ピーターに、トビー・マグワイアが「君はアメイジングだ」と言うシーンには、思わず泣き笑いがこぼれてしまう。また「アメイジング」と「ホーム」シリーズは、原作の通り”ウェブシューター”というガジェットによって”糸”を出すのだが、トビー・マグワイア版の初代だけはサム・ライミ監督のこだわりによって、自分の身体で蜘蛛糸を生成するという設定だったのだが、本作ではこれについて言及しており、「すごい、どうなってるの?」と興味津々に聞かれるシーンも面白い。
また最高だったのは、終盤でMJが高所から落下するシーンだ。「アメイジング・スパイダーマン2」では恋人グウェンを救えなかったアンドリュー版ピーターが、今作では見事にゼンデイヤ演じるMJをキャッチし、思わず泣きそうな表情を浮かべるシーンは、過去シリーズとキャラクターへの愛情が最高に感じられて、もらい泣きしてしまう。またグリーンゴブリンとのラストバトルで、メイおばさんの敵討ちとばかりに憎悪に満ちたトム版ピーターが、グリーンゴブリンにトドメを刺そうとするシーンで、トビー・マグワイアが彼を止めるシーンでは、実際に45歳を過ぎたトビー・マグワイアがまるでトム・ホランドの父親のようにも見えてきて、とにかく全編スパイダーマンシリーズ総力戦で、泣かせて笑わせて楽しませてくれるのである。こんなに情報量の多い作品を散漫にならないようコントロールした、ジョン・ワッツ監督の手腕は見事というしかない。またノーマン・オズボーンの豹変シーンはウィレム・デフォーの名演もあって、イカレた”大人の怖さ”がしっかりと表現されていた。このあたりの演出は、「クラウン」「コップ・カー」という監督の過去作を思い出し、しっかりとジョン・ワッツ印が刻印されているのも興味深い。
とはいえ、「魔法のチカラで人々の記憶を消せる」とか、「別次元の扉が開いて”死んだはずのキャラクターたち”が押し寄せる」などの、”トンデモ&何でもあり展開”を許容することで成り立っているストーリーであることは否めず、正直言って前半に関してはノレなかったことは白状しておきたい。そもそも2017年に公開された、ベネディクト・カンバーバッチ主演の「ドクター・ストレンジ」を観たときにも、主人公キャラの能力や設定などの”映画内ルール”が曖昧な作品だと思ったが、本作はこのご都合主義の部分をうまく利用した脚本という印象は強い。個人的にはエンドクレジットにおける「ヴェノム」要素も本当にどうでもよくて、SSU(ソニーズ・スパイダーマン・ユニバーサル)やMCUの要素が、この作品においては邪魔に感じた。そうはいっても、この「ドクター・ストレンジ」の設定がないと成り立たないストーリーなので、非常にアンビバレントな気持ちだ。ここは本作で唯一モヤモヤするポイントであった。
ラスト、ピーター・パーカーが存在したという記憶が消し去られた世界で、ピーターがMJのバイトであるコーヒーショップに立ち寄るシーンは名場面だ。友人たちが大学に入学し新しい人生を歩み始めたことへの安堵と同時に、自分の気持ちを伝えることへの逡巡を見事に表現したトム・ホランドの表情だけで、また涙が溢れてしまう。本作のトム・ホランドは本当に素晴らしい。そして再び彼は真のヒーローとして、市民の平和を守り続けるというエンディングも含めて、「ノー・ウェイ・ホーム」はスパイダーマンファンが見たいであろう夢のシチュエーションを惜しみなく見せてくれたと思う。149分というやや長尺の作品だが、ダレるシーンはほとんど無く物語がテンポよく進行していくのも良い。とにかくキャスト陣へのネタバレ防止の”情報統制”も含めて、本作の製作は相当に困難だったと思うが、この”究極のスパイダーマン映画”を作ってくれたスタッフやキャスト一同には感謝しかない。
8.5点(10点満点)