「TITANE/チタン」を観た。
日本公開2018年の「RAW 少女のめざめ」で鮮烈なデビューを飾った、フランス人女性監督ジュリア・デュクルノーの長編第2作。2021年第74回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で最高賞に輝き、カンヌ史上2人目のパルムドール受賞の女性監督としても話題を集めている。カンヌの審査委員長を務めたスパイク・リー監督が「これまでに見たことがなかった映画」と評し、ポール・トーマス・アンダーソン、エドガー・ライトらも強烈な賛辞を贈っている作品が、日本でも公開となった。主演のアレクシア役は、インスタグラムで発掘されたアガト・ルセルという女優で、本作が映画初出演となる。監督は彼女の持っている潜在能力とバイタリティを買ったと語っている。共演は「ベティ・ブルー 愛と激情の日々」などのフランスのベテラン俳優、バンサン・ランドンなど。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ジュリア・デュクルノー
出演:アガト・ルセル、バンサン・ランドン、ガランス・マリリエール
日本公開:2022年
あらすじ
幼少時に交通事故に遭い、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア。それ以来、彼女は車に対して異常なほどの執着心を抱き、危険な衝動に駆られるようになってしまう。自身の犯した罪により行き場を失ったアレクシアは、消防士ヴィンセントと出会う。ヴィンセントは10年前に息子が行方不明となり、現在はひとり孤独に暮らしていた。2人は奇妙な共同生活を始めるが、アレクシアの体には重大な秘密があった。
感想&解説
カニバリズムに目覚めた少女を描いた、2018年公開「RAW 少女のめざめ」は日本でも話題になったが、本作でも女性フランス人監督のジュリア・デュクルノーが、再び強烈な作品を撮ったという印象だ。彼女は「デビッド・クローネンバーグ監督から大きな影響を受けている」と公言しているらしいが、本作はまさにクローネンバーグ作品の直系に当たると感じる。特に2021年に「4K無修正版」が公開になったばかりの、ジェームズ・スペイダー&ホリー・ハンター出演の「クラッシュ」や、”ボディ・ホラー”の名作「ザ・ブルード 怒りのメタファー」、クローネンバーグの代表作であり、ジェフ・ゴールドブラムの快演が印象的だった「ザ・フライ」、ジェームズ・ウッズが主演していた「ヴィデオドローム」あたりは、ジュリア・デュクルノー監督のインスパイア元ではないかと想像できる。彼女の他のお気に入り作品としては、深作欣二監督「バトル・ロワイアル」、三池崇史監督の「オーディション」ということで、本作を観たあとならこれは素直に頷ける。これらの作品が好きな方であれば、本作は好みに合うだろう。
とにかく、一言では言い表せない"不条理劇"だ。特に「車とセックス」は本作の重要な題材で、クローネンバーグ作品の中で、もっとも連想するのは「クラッシュ」だろう。自動車事故をきっかけにエクスタシーに目覚め、倒錯的なセックスにのめりこむ男女を描いたかなり風変わりな映画で、「第49回カンヌ国際映画祭」では審査委員特別賞を受賞している。やはりカンヌ映画祭で評価される作品というのは、ある種の傾向があるのかもしれない。またリドリー・スコット監督の「悪の法則」で、キャメロン・ディアス演じる「マルキナ」が、”車ともセックスできる”とポルシェのフロントガラスで開脚していたシーンを思い出したりしたが、本作でも仰天の”カー&セックス”の場面がある。全裸で車のバックシートで一人あえぐ主人公と、”ローライダー”のように跳ねまくる車体との編集は、ほとんどギャグすれすれだ。とにかく本作は理屈で観てはいけない、「体感するアート映画」なのである。
冒頭のシーンから、父親が鳴らすカーステレオの音楽をかき消すように、後部座席からエンジン音のような声を発している少女が登場するのだが、音楽の音を大きくする父の運転席に蹴りを入れる彼女は、すでに異様な雰囲気が漂っている。その後、怒った父親の運転ミスにより事故が起こり、少女の頭蓋骨にはチタンプレートが入れられる。そして彼女が病院から出てくると、少女は車を愛おしそうに撫でるとキスをする。この時点で本作の主人公は、一般的な感情移入ができるキャラクターではないということが示される。さらにダンサーとして成長した主人公アレクシアは、近づいてくるファンの男性や行きずりの女性など、相手を選ばずに次々と殺人を犯していくのだが、この殺害方法が全て「鋭利な棒を耳に突き刺す」「椅子の脚を口の中に突っ込む」と、セックスのメタファーになっているのも特徴的だろう。とにかく前半は”性と死”にまつわる描写が満載で、しかもどれも痛々しい。アレクシアが女性の乳首を強く噛み千切ろうとするシーンの暴力性、妊娠した自分の性器に無理やり鋭利な棒を入れる場面の不可解さ、顔を変えるために自分の鼻を折ろうとする滑稽さなど、人間の身体を破壊することに躊躇しない主人公の行動には、目を覆いたくなる。このあたりの描写は確実に、人を選ぶと思う。
ここからネタバレになるが、車とのセックスで妊娠したアレクシアは、警察から逃げるために髪を切ってまゆ毛を剃り、鼻を折る事で人相を変えて、10年前に息子が行方不明になった男の家に、”息子”だと偽って潜り込む。彼は消防団の隊長であり、老化に抗うためステロイドを打ちながら筋トレするような、極めて”男性的”なキャラクターとして描かれるのだが、妊娠して段々とお腹が大きくなっていくアレクシアと、彼女を”息子”だと信じ込もうとする中年男との奇妙な生活を描いていく。アレクシアは”さらし”で胸やお腹を圧迫することで男性に変装するのだが、このあたりはもはや無理がありすぎで、ファンタジックですらある。女性が妊娠することでの身体の変化を、本作はこれでもかと生々しく見せつけるが、消防団員という男だらけの極めてホモソーシャルな世界にあえて彼女を放り出すことで、彼女を孤立化させる。父であるヴァンサンは、決して彼女を”女”だとは認めないし、周りの団員もそれに倣う。突然、父親とダンスするシーンから殴り合いに発展する場面や、終盤に消防車の上でアレクシアがセクシーなダンスをするシーンの、それを見る男たちの戸惑いと”ヒキっぷり”から、彼らは女を遮断して男だけの世界で生きていることが示されているのである。
そして遂に、あのラストシーン。アレクシアは父ヴァンサンに「愛してる」と告げ、彼の唇にキスをする。だが、それを驚き拒否する父。最後までヴァンサンにとってのアレクシアは性の対象ではなく、”無償の愛”の対象なのである。そして、アレクシアの出産シーンが訪れる。身体が半分機械と化したアレクシアがエンジンオイルのような黒い液体を垂れ流しながらイキみ、父ヴァンサンが赤ちゃんを取り上げると、人間とチタンが融合したような子供が生まれる。そしてアレクシアはそのまま死に、ヴァンサンは「俺が付いている」と泣く赤ちゃんを抱きかかえるシーンで映画は終わる。きわめて宗教的なニュアンスを感じるエンディングだが、中盤でもヴァンサンは消防団員の前で「俺は神で、息子はイエス・キリストだ」と告げるシーンがあり、まるでヴァンサンが性別を超越した”聖母マリア”のような描写になっている。人間と機械の子供は「新たな神」の象徴かもしれないが、妊娠して変化していく女性の身体とミソジニー的な男性だけの世界を描くことで、劇中では強烈に男女の違いを見せつけながらも、最終的には"人間と機械の子供"という、ジェンダーを越えた存在の誕生を描くのである。
まず「痛いシーン」が苦手な方は観ない方が良いかもしれない。特に前半は強烈なシーンが多く、途中で退場した方もいたくらいだ。そしてシナリオに整合性を求めたり、シンプルなエンターテイメント作品が好きな方にもオススメしない。決して、ストーリーが面白くて推進力がある映画ではないからだ。ただし、「他とは違った映画が観たい」という欲求には十分に応えてくれる作品だし、観ている者の神経を逆なでするような描写の数々は、良くも悪くも記憶に留まり続ける。特別な映画体験になることは間違いないだろう。主演のアガト・ルセルは、本編3分の1くらいは裸じゃないかと思うくらいに体当たりの演技だったし、ジュリア・デュクルノー監督の独創性とアイデアには驚くばかりだ。ただ個人的には、もう一度観たいと思える作品ではなかったのは事実で、そこは前作「RAW 少女のめざめ」とも共通する点でもある。強烈に好みが分かれる作品だと思う。
6.0点(10点満点)