映画を観て音楽を聴いて解説と感想を書くブログ

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映画「アネット」ネタバレ考察&解説 作家性が炸裂したアート作品!レオス・カラックス初のダーク・ミュージカル!

 「アネット」を観た。

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汚れた血」「ポンヌフの恋人」「ポーラX」などで知られるフランスの鬼才レオス・カラックスが、「ホーリー・モーターズ」以来9年ぶりに発表した新作が公開となった。今回はなんとカラックス監督初のロックミュージカルで、ロン&ラッセルのメイル兄弟によるバンド「スパークス」が原案と音楽を担当している。出演は「スター・ウォーズEP7~9」「マリッジ・ストーリー」「パターソン」などのアダム・ドライバー、「エディット・ピアフ 愛の讃歌」「インセプション」などのマリオン・コティヤール、「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」のサイモン・ヘルバークなど。アダム・ドライバーは本作のプロデュースも手がけている。作品の評価も高く、第74回カンヌ国際映画祭では「監督賞」を受賞した他、第79回 ゴールデングローブ賞では、マリオン・コティヤールが「最優秀主演女優賞(コメディ/ミュージカル)」にノミネートされている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバーマリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーク
日本公開:2022年

 

あらすじ

舞台は現代のロサンゼルス。観客に挑発的なパフォーマンスを行うスタンダップ・コメディアンのヘンリーと、国際的に有名なオペラ歌手のアン。“美女と野人”とはやされる程にかけ離れた二人が恋に落ち世間から注目されるが、二人の間にミステリアスで非凡な才能をもったアネットが生まれたことで、彼らの人生は狂い始める。

 

 

パンフレット

価格1200円、表1表4込みで全56p構成。

オールカラーできわめてクオリティが高いパンフレット。インタビューやレビューも充実していて、ムックのような作りである。冒頭から黒沢清氏の特別インタビューが掲載されており、他にもレオス・カラックス監督、アダム・ドライバー、ザ・スパークスのインタビュー、前島秀国氏、川口敦子氏、諏訪敦彦氏、岸野雄一氏の評論、作品解説や監督のフィルモグラフィーなどが掲載されている。

感想&解説

エドガー・ライト監督によるドキュメンタリー「スパークス・ブラザース」が日本公開になっているが、ほぼ同時期に「スパークス」が原案と音楽を手掛けた本作「アネット」が公開になり、さらに夏フェス「SONICMANIA」にも出演が決まっているとは、完全に日本では「スパークス」の大きな波が来ていると言えるだろう。かく言う僕も「スパークス・ブラザース」を鑑賞して以来、彼らのアルバムにすっかり魅了されているため、公開からやや時間が経ってしまったが「アネット」を鑑賞してきた。監督は「汚れた血」「ポンヌフの恋人」のレオス・カラックスで、約9年ぶりの新作である。レオス・カラックスにとっては長編6作目にして初めての英語作品であり、しかもミュージカルという事でまったく想像がつかなかったのだが結論、非常に「レオス・カラックスらしい映画」となっていた。

冒頭は、「ただ今より映画を始めます。息すらも止めてご覧ください。」というカラックス本人のナレーションによるプロローグに続き、スタジオでミュージシャンがリハーサルしている様子が映り、その中にはスパークスの二人が確認できる。コンソール側にはレオス・カラックスと彼の娘がいて、彼の指示によってカウントが始まり演奏がスタートする。するといきなりボーカルを取るロン・メイルが立ち上がり、マイクから離れて歩きだすと、キーボードを弾いていたラッセルもそれに続き、カメラは歩く彼らを正面に捉え続けたまま、スタジオの外に出ていくスパークスを追い続ける。もちろん音楽は続いたままだ。するとそこにアダム・ドライバーマリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバークの3人が合流し、彼らは夜の街を歌いながら闊歩する。最高のオープニングシークエンスである。そして、このまま映画は幕を開ける。

 

序盤はアダム・ドライバー演じるスタンダップ・コメディアンのヘンリーと、マリオン・コティヤール演じるオペラ歌手のアンの成功を描いていくのだが、彼らは「美女と野人」と言われ、基本的には違う人間であることが描かれる。ヘンリーは観客の声を聞きながら、かなり露悪的で即興的なパフォーマンスをし、最後は観客に尻を見せてステージを降りる。対してオペラ歌手のアンは、作り込まれた舞台の中で必ず最後は”死ぬ”という結末に行きつき、深々とお辞儀をしてステージを降りる。二人は”表現する世界”に住んでいることは同じだが、”生き方”が違うのである。だがそんな違う二人だからこそ彼らは愛し合い、結婚する。それにしても、この二人のステージの様子だけ切り取っても、どこまでが現実なのか?が分からなくなる演出が満載だ。ヘンリーのステージを観ている観客は全員でいきなり歌いだすし、アンのステージの奥は、突然深い森に続いている。序盤から劇中のリアリティラインが非常に曖昧なのである。

 

そのもっとも顕著な例が、中盤にヘンリーとアンの間に産まれる娘「アネット」だろう。なんと彼女は”人形”なのである。そして、このアネットは決して”幸せの象徴”ではなく、この夫婦を幸せにはしない。アンはオペラ歌手として成功していくが、ヘンリーは反対にコメディアンとして落ちぶれていく。子供が生まれることにより、夫婦関係が変化するのはよくある話だが、特に男がダメになっていく姿は痛々しい。ラスベガスのショーにおけるスベりっぷりには本当に背筋が寒くなったが、自分の愚痴を垂れ流し、観客を喜ばせようという姿勢が皆無のあのステージでは仕方がないだろう。そして夫婦の関係修復のために出かけるヨットでの旅で悲劇が起こる。ここからネタバレになるが、酔ったヘンリーが嵐の夜に嫌がるアンを踊りに誘い、海に落としてしまうのである。もちろん、あの嵐の甲板でワルツを踊る事自体、まったく現実味がないシーンなのだが、ここからより一層本作はダークファンタジーとしての濃度が上がっていく。ほとんどホラー映画のような演出すらあるのだ。

 

これ以降、アンが亡霊としてまだ幼児の「アネット」に歌声を与えたことにより、ヘンリーが彼女を搾取して金儲けを始めるという展開になり、ますます物語は混沌としてくる。仲間に引き入れた「伴奏者」と共に成功を収めるヘンリーだが、ここからアンとアネットの復讐が始まり彼は転落していく。伴奏者すらも殺し、文字通り娘を”人形”のように操り、幼い子供をステージに立たせては金儲けをしていたヘンリーに対して、アネットはスーパーボウルのハーフタイムショーという大舞台で、突然父親の殺人を告白する。そしてラストシーン。刑務所の中でアネットは”生身の人間”としてヘンリーと対峙する。これは「もう父の人形ではない」という表れだ。そして「あなたにはもう愛するものが何もない」と告げて、アネットは刑務所を後にする。対するヘンリーは、カメラ(=観客)に対して、「もう俺を観るな」と言い背を向けたところでエンドクレジットとなる。なんという悲惨なエンディングだろう。

 

 

本作はミュージカルではあるが、「シェルブールの雨傘」や「ウエスト・サイド・ストーリー」のように、音楽のチカラでグイグイと引っ張っていくタイプの作品ではない。基本的には、全編のセリフ一つ一つに音楽が付いているというイメージで、起伏のある楽曲の中でストーリーが展開されていくというよりは、短い曲の積み重ねとリフレインで構成されているのだ。スパークスが担当した音楽自体のクオリティは高いのだが、楽曲そのものにカタルシスを感じる作品ではないし、キャッチーで印象に残る曲もない。歌いながら劇場を後にするタイプの映画ではないのである。ここがミュージカル・ファンには好みが分かれるポイントかもしれない。アダム・ドライバーマリオン・コティヤールが、ほとんど生で歌ったというサウンドは確かにいい意味で上手すぎず、まるでセリフと呼吸のように聞こえる。良くも悪くも”ミュージカル感”が薄い、不思議なミュージカルなのである。

 

映画という”総合芸術”の新しい形を観たという感想だ。レオス・カラックスの作家性が完全に浮き出たアート作品であり、「愛と芸術」といったこの監督らしいテーマの映画だった。また画面が圧倒的に美しいのも本作の特徴だろう。撮影監督はカロリーヌ・シャンブティエで、前作「ホーリー・モーターズ」でもカラックスと組んでいるが、序盤のバイクシーンや衣装の「緑/黄色」の配色を活かしたライティングなど、幻想的な撮影の美しさには目を奪われる。ただ、正直ストーリーの起伏も少ないし、上映時間も140分とやや長い。楽しい娯楽映画とは言えないが、他にはない映画を観たという満足感は高いし、レオス・カラックス監督の次回作はまたかなり先になると思うので、音響の良い劇場で鑑賞しておきたい作品だ。

7.0点(10点満点)