「死刑にいたる病」を観た。
「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」「孤狼の血」の白石和彌が監督し、櫛木理宇の小説「死刑にいたる病」(初版タイトルは「チェインドッグ」)を映画化したサイコサスペンス。「舞妓Haaaan!!!」「パコと魔法の絵本」などの阿部サダヲ、「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」などの岡田健史、「名も無き世界のエンドロール」の岩田剛典、「うみべの女の子」の宮崎優などが出演している。佐藤二朗が主演し、好評を博した「さがす」の高田亮が脚本を手がけた。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:白石和彌
日本公開:2022年
あらすじ
鬱屈した日々を送る大学生である雅也のもとに、世間を震撼させた連続殺人事件の犯人榛村から1通の手紙が届く。24件の殺人容疑で逮捕され死刑判決を受けた榛村は、犯行当時、雅也の地元でパン屋を営んでおり、中学生だった雅也もよく店を訪れていた。手紙の中で、榛村は自身の罪を認めたものの、最後の事件は冤罪だと訴え、犯人が他にいることを証明してほしいと雅也に依頼する。独自に事件を調べ始めた雅也は、想像を超えるほどに残酷な真相にたどり着く。
感想&解説
邦画は普段あまり観ないのだが、2013年の「凶悪」が好みの作品だったことと、”予告編”に惹かれて白石和彌監督のサイコサスペンスを鑑賞した。ちなみに櫛木理宇による原作は未読である。まず主演の阿部サダヲの演技は、各所で絶賛されている通り素晴らしいと思う。そもそもはコミカルなイメージのあるタレントだが、本作においてはゾッとするほど冷たい目の演技で、役柄に存在感とリアリティを与えていたし、物腰の柔らかいサイコパスというキャラクターがハマっていた。”街のどこにいてもおかしくない人物”が実は殺人鬼という、この作品の一番肝になる部分は阿部サダヲの功績によって、しっかりとした説得感があったと思う。また岡田健史が演じる”雅也”というキャラクターも、繊細で鬱屈した人物という内面が伝わる良い演技で、物語を引っ張る主人公として申し分なかった。そういった意味で、出演陣は総じて良かったと感じる。
ただ観終わったあとのイメージは”印象の薄い映画”という感じで、本作の描こうとしているエキセントリックな題材に比べて、イマイチ満足度の上がらない作品だったのは残念だ。死刑判決を受けた男が拘置所の中から、ある人物にメッセージやヒントを与えながら捜査を進めさせるといった、いわゆる「羊たちの沈黙」のレクター博士のような人物が、阿部サダヲ演じる”榛村”というキャラクターなのだが、前述のとおり彼の演技は素晴らしい。ただ、このキャラクターの設定があまりに他と比べて特殊すぎて、物語の結末としてはあまり意外性のない着地に落ち着いてしまったと感じる。予告編では「映画史に残る驚愕のラスト」などと謳われていたので期待しすぎたのかもしれないが、この終盤の展開には正直落胆させられた。終盤までは十分に面白い映画なのに、勿体ない。
おおよそのストーリーとしては、下記だ。父親の期待に応えられずFランクの大学に通い、友人関係も希薄で鬱屈した日々を送る大学生の筧井雅也。ある日、そんな彼のもとに24件の殺人容疑で逮捕され、死刑判決を受けた”榛村”という男から手紙が届く。拘置所に向かった雅也に榛村は、「立件された9件の事件の内、最後の1件だけは自分はやっていない。他に犯人がいるから探してほしい。」と告白する。逮捕される前の榛村は雅也の地元でパン屋を営んでおり、当時中学生だった雅也はそこに通っていたのだが、彼に共感を感じていたという理由から調査を依頼してきたのだ。事件に興味を持った雅也は、事件を担当している弁護士の元に行き、24件の殺人事件に関する調書を読んだ結果、彼が無罪を主張する9件目の事件だけは、その他の事件と異なる点が多数あることに気付く。
榛村の犯行手口は共通しており、ターゲットである「真面目な16~17歳の少年少女」とじっくりと長い時間をかけて信頼関係を作った末に、自分の小屋に連れ込んで「爪を剥ぐ」といった痛みを伴う拷問を行ったのち、殺害して焼くというものだったが、この9件目の事件の被害者”根津かおる”だけは様子が違っていた。被害者は「26歳の成人女性」であり、さらに「爪も剥がされておらず、首を絞めて殺害され」ている上に、彼女はストーカー被害に悩まされていた事実にたどり着くのだ。そんな時、榛村と雅也の母親である衿子が、若いころにボランティア活動を通じて知り合いだったことを知る。そして父が母を家政婦のように扱っていることを知っている雅也は、「自分の本当の父親は榛村なのでは?」と疑い始める。そして彼は自分の狂暴性が増していくことを自覚していき、町で絡まれたサラリーマンの首を絞めたり、大学の同級生であり自分に好意を寄せている、”灯里”という女性にも荒っぽく接してしまう。
ここからネタバレになるが、その後事件の調書を読み直した雅也は、「榛村を現場で目撃した」と証言した”金山”という男が証人として裁判に出廷していたこと、彼のこの証言が榛村の立件の決定打になったことを知る。さらに金山は子供のころに、榛村によって「弟とお互いを刃物で刺し合う」という”遊び”をやらされており、トラウマを抱えていた。「犯人は金山ではないか?」という疑念を抱きながら、雅也がかおるの殺害現場を訪れるとなんとそこに金山が姿を現し、追跡劇の果てに彼から事件の真相を打ち明けられる。そして拘留所で対峙する二人。実はかおるは過去に榛村が殺害に失敗した女性であり、その後もずっと榛村は彼女を狙い続けていたこと、そして金山のトラウマを利用して彼女の殺害を「選ばせた」ことにより、罪悪感から共犯関係のように思いこませていたことなどを告発する雅也。榛村は刑務所の中にいながらも、外にいる雅也と金村を動かし、意のままに操ることで快感を得ていた真のサイコパスだったのだ。そして、その榛村のコントロールは雅也の恋人になった灯里にもすでに及んでいることが解ったところで、本作はエンドロールとなる。
終盤まではの多くの「伏線」を予想しながら、しっかりワクワクしながら鑑賞できる。グロテスクに腐乱した死体の写真を見ながら、平然と焼きそばをすする雅也の姿は明らかに不自然に映るため、この後いつ彼自身がサイコパスに覚醒するのだろう?とか、榛村と母親である衿子が知り合いだと判明し、「自分の父親が榛村なのでは?」となる唐突すぎる一連の展開、謎に「私は決められない」を連呼する母、そして父親が無言でビールを飲み干すシーンの異様な不穏さ、留置所のガラス越しに重なる雅也と榛村の顔の演出、序盤から不自然に拘置所に現れる長髪の金山、明らかに演出された不自然で不気味な場面が連発し、これらのシーンの末にどういう結末を迎えるのか?を想像しながら鑑賞するのだが、結果的にはこれらは全て「ミスリード」に終わる。
もちろん意図的なミスリードなのは理解できる。ただ問題なのは、ミスリードの末の”肝心の結末”が全然こちらの想像の範疇を越えてくれない点だ。正直、もっとぶっ飛んだ飛躍したオチが待っているのか?と期待したのだが、結局は「すべて榛村の犯行でした」ではあまりに”そのまま”ストレートな展開過ぎる。阿部サダヲの演技テンションから、彼が只者ではないことは明白なのだから、ミスリードで紆余曲折させた挙句に”彼が全てをコントロールしていました”というのは、安パイすぎる気がするのだ。ラストの”灯里すらもコントロールされていた”という展開も、正直それほどの驚きはない。彼女が血だらけの雅也の手をいきなり舐めるシーンがあるが、あんな女子大生はこの世にいないので、むしろギャグシーンかと思ったが、あれもラストの「伏線」ということだろう。確かにあの後で二人がセックスしないとラストの展開が成り立たない。とにかく「いわくあり気」な展開とミスリードに頼り過ぎる脚本が、本作でもっとも残念な点である。
もちろん決して面白くない映画ではないし、むしろストーリーの推進力は強いため中盤までは集中して鑑賞できるのだが、終盤に急速にテンションが落ちる作品だと思う。突然、根津かおるの殺害現場で金山と遭遇したり、雅也の父親はなぜあれほど高圧的なのか?、弁護士も勝手に名刺を作って事件の捜査をする学生をあんなに野放しにさせておくか?など、都合よく出来過ぎている点と描かれない点が多いのも気になる。”意外なラスト”を期待しすぎていてハードルが上がっていたせいかもしれないが、この映画ならではの”特別な何か”を感じられないままに終わってしまったという惜しい印象だ。
最後に、本作はかなり「痛い」演出場面が多い。爪を剥がす場面などは工程をモロに映すし、腕が骨ごと切れてプラプラしている様子だったり、足の肉が裂けて骨が見えている傷口に指を突っ込んだりと、グロさもあるがむしろ”痛い”場面が多い気がする。普段ホラー映画を観慣れている僕でも目を背けたくなったくらいなので、そういった描写が苦手な方は厳しいかもしれない。このあたりは白石和彌監督の特性なのかもしれないが、「PG12」というレーティングの割には過激な描写が多いし、明らかに子どもが観るには相応しくない内容の作品だろう。なにか教訓が得られたり、カタルシスを感じるような楽しい作品ではないので、体調と観に行く相手にはご注意を。
5.5点(10点満点)