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映画「犬王」ネタバレ考察&解説 アニメのクオリティは凄まじいが、シナリオの弱さが残念!作品からのラストメッセージも後味が悪い!?

「犬王」を観た。

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実在の能楽師である犬王をモデルにした、古川日出男の小説「平家物語 犬王の巻」を映画した、長編アニメーション作品。監督は「マインド・ゲーム」「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」などの湯浅政明。キャラクター原案は、「ピンポン THE ANIMATION」で湯浅監督とコンビを組んだ松本大洋、脚本は「図書館戦争」「罪の声」「アイアムアヒーロー」などの野木亜紀子、本作のテーマとして大きな比重を占める音楽は、NHK連続テレビ小説あまちゃん」で有名な大友良英が担当している。また声の出演としては、ロックバンド「女王蜂」のアヴちゃん、森山未來柄本佑津田健次郎松重豊など豪華キャストが担当し、各キャラクターに命を吹き込んでいる。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:湯浅政明

声の出演:アヴちゃん、森山未來柄本佑津田健次郎松重豊

日本公開:2022年

 

あらすじ

京の都・近江猿楽の比叡座の家に、1人の子どもが誕生した。その子どもこそが後に民衆を熱狂させる能楽師・犬王だったが、その姿はあまりに奇怪で、大人たちは犬王の全身を衣服で包み、顔には面を被せた。ある日、犬王は盲目の琵琶法師の少年・友魚(ともな)と出会う。世を生き抜くためのパートナーとして固い友情で結ばれた2人は、互いの才能を開花させて舞台で観客を魅了するようになっていく。そして犬王は、演じるたびに身体の一部が回復していく。そんな二人は遂に、足利義満の前という大舞台でパフォーマンスする事になる。

 

 

感想&解説

日本を代表するアニメ監督の一人である湯浅政明だが、彼の作品は”大衆性”よりも”先進性”や”アート性”を重視している気がして、好き嫌いがハッキリと分かれる作家だと感じる。もちろん「きみと、波にのれたら」のように意図的にポップ路線に舵を切った作品もあったが、もともとの監督の資質と合っているか?と言えば違う気もするし、細田守新海誠といったアニメ作家と比べれば、興行的にも苦戦している印象だ。ただ評論家からの評価は非常に高く、日本アカデミー賞では「夜は短し歩けよ乙女」が最優秀アニメーション作品賞を受賞してるし、海外でも劇場アニメデビュー作の「マインド・ゲーム」はファンタジア国際映画祭で最優秀作品賞、「夜明け告げるルーのうた」もフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭で最高賞を受賞していたりと、玄人受けの監督だという印象が強い。

ちなみに、そもそも本数は少ないが「日本沈没2020 劇場編集版」も含めて、一応「劇場公開作品」は全て追いかけているのだが、作品や映像のクオリティは高いが、何故かそれが直接的に”面白さ”に繋がらないというのが、個人的な湯浅政明監督作の印象である。(もっとも好きな作品は「マインド・ゲーム」だ)そこで、最新作「犬王」も公開初日に鑑賞してきたのだが、今作もやはり良くも悪くも湯浅政明らしさ全開の作品だったという感想だ。松本大洋野木亜紀子大友良英らといったスタッフ陣の過去作品はキャッチーだし、アヴちゃん、森山未來柄本佑といったキャスト陣も非常にポップなうえに、今回は「ミュージカル・アニメーション」だということで、これはいよいよ大ヒット作品を狙いにきたか?と思ったのだが、その予想は大きく外れた。今作もやはり完全に観客を選ぶ、”湯浅作品”の真骨頂だったからだ。逆に言えば、今までのファンにはしっかり刺さる映画になっていると思う。


まず本作が楽しめるであろう観客としては、「女王蜂/アヴちゃん」のファン層だろう。歌声次第ではこのカリスマ性のある「犬王」というキャラ設定に、まったく説得力が無くなってしまうところだったが、”荒々しさと色気と狂気”が同居した非常に人を惹きつけるボーカル力で、主人公「犬王」を活き活きと演じていた。今回、「アヴちゃん」というアーティストの声を初めて聴いたが、今回の作品を語る上では確実に外せない要素だろうし、これだけ役柄にピッタリとハマっている配役という意味では、特にアヴちゃんファンには嬉しい作品になっていると思う。実際、この作品を観て「女王蜂」というバンドの音源を聴いてみたくなったくらいだ。


その次のターゲットとしては、アニメーションを含む”映像表現”に興味のある層だと思う。それだけ本作のアニメ―ションとしての完成度は、とてつもなく高い。キャラクターの動きを捉えた縦横無尽のカメラワークや、明暗の差を駆使した映像演出、目が見えない友魚が”記憶とイメージと音”で対象を把握する演出手法、突然挟み込まれるグロテスクな残酷表現など、これだけの映像を完成させるのに費やされた才能と時間は恐らく凄まじいだろう。とにかくスクリーンを眺めているだけで、映像自体に圧倒される作品であることは間違いない。特に映像表現に興味がある人なら、これら一連の描写を観ているだけで眼福だろうし、繰り返し何度も観たくなる映画になっていると感じる。


ただテーマとして重要な「楽曲」自体に、個人的にはそこまで斬新さを感じなかったのが、本作の残念なポイントだった。犬王と友有のイメージは、「ミック・ジャガーキース・リチャーズ」か「ロバート・プラントジミー・ペイジ」、はたまた「イアン・ギラン&リッチー・ブラックモア」か「リアム・ギャラガーノエル・ギャラガー」といったところかもしれないが、楽曲も「クイーン風」や「ディープパープル風」などの70年代UKハードロックと和楽器の合わせ技という感じだろう。もちろん室町時代における「新しい音楽像」は理解できるのだが、この方式を取るならもう少しキャッチーな曲を入れても良かったとも思うし、後半のまさかのデヴィッド・ボウイ登場にも「往年の洋楽が好きなんだろうな」という印象が補強された程度で、正直それほど笑えない。しかも、どう聴いてもエレキギターの歪み系とバスドラ/スネアの音が聴こえてくるため、映像の中の楽器とギャップがある上に、そもそもこのライブシーンが意外と長いため、次第に退屈だと感じてしまうのだ。

 

 


そして本作の最大の難点は、いわゆる「物語を楽しみたい」という多くの観客が退屈に思えてしまうであろう、メインストーリーの弱さだ。予告編では「ミュージカル・アニメーション」だと銘打たれているが、個人的には「本作はミュージカルとは違うのでは?」という感想を持った。ミュージカル作品とはセリフの代わりに歌で物語を推進していく形式を指し、そのキャラクターの感情やストーリーとして必要な情報が、音楽に合わせて登場人物から語られるものだと思うのだが、本作の「音楽シーン」はストーリーを推進していくよりは、能楽師である犬王と琵琶法師である友有の”ライブパフォーマンス”を伝える役目に徹している。よってまるでロックフェスの映像のように、そこで演奏されている音楽と、それを観ている劇中の観客の熱狂をスクリーンを通して観る気持ち良さはあるが、正直ライブ中にお話そのものはほとんど進まない。しかも全体構成の中で、かなりの時間をこのライブシーンに費やす作りのため、”ひょうたんの面を付けた異形の少年”と、”壇之浦で引き上げた剣のせいで父と視力を失った少年”という、この奇怪でありながらも魅力的な設定やキャラクターの掘り下げが、表面をなぞる程度でほとんど出来ていないのも残念な点だった。


ここからネタバレになるが、犬王の登場によって落ち目になった琵琶法師たちが「あんな連中の音楽は認めない」という趣旨の発言をしていたが、これは新しい芸術やサービスが生まれた時に、いつも旧態依然としたマジョリティ側が語る言葉だろう。足利義満は幕府の支配力を強めるために、庶民から熱狂的に支持され始めた犬王と友有を引き離し、それに反発した友有は悲惨な最期を遂げるのだが、このラストの展開も体制側が、”新しい表現”を規制し抑圧するという着地で、前衛的な音楽をテーマにしている作品としては非常に後味が悪い。もちろん足利義満の愛顧を受けていたという、実在した人物をモチーフにしている以上あのラストは仕方ないだろうし、その後の時空を超えた二人の友情も描かれるとはいえ、あまりにカタルシスが弱いエンディングだと感じる。このあたりにもう少しエンターテイメント性があれば、かなりこの作品の印象も変わったのではないだろうか。ただ繰り返しになるが、才気走った湯浅政明監督らしい一作なのは間違いない。アニメーションとしてのクオリティは高く、すごい作品だとは思うが、ブルーレイを買って繰り返し観たい映画だったか?と言われると、個人的には正直「NO」な一作であった。

6.0点(10点満点)