「リコリス・ピザ」を観た。
「ブギーナイツ」「マグノリア」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」などの作品で多くの映画ファンの心を掴んでいる、ポール・トーマス・アンダーソンが監督した青春ドラマ。前作「ファントム・スレッド」から4年ぶりの新作となり、第94回アカデミー賞では作品賞/監督賞/脚本賞の3部門にノミネートされた。主演は、3人姉妹バンド「HAIM(ハイム)」のアラナ・ハイム、また故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンで、二人とも本作が長編映画初主演作となる。共演は「ミルク」「21グラム」のショーン・ペン、「アメリカン・ハッスル」「アメリカン・スナイパー」のブラッドリー・クーパー、「グッド・タイム」のベニー・サフディらが出演している。音楽はポール・トーマス・アンダーソンとは蜜月の関係にある、「レディオヘッド」のジョニー・グリーンウッドが今作も担当している。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン、ショーン・ペン、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディ
日本公開:2022年
あらすじ
1970年代、ハリウッド近郊、サンフェルナンド・バレー。高校生のゲイリー・ヴァレンタイン(クーパー・ホフマン)は子役として活躍していた。一方、アラナ・ケイン(アラナ・ハイム)は、社会に出て働くも、将来が見えぬまま過ごしていた。ゲイリーは、高校の写真撮影のためにやってきたアラナに一目惚れする。「君と出会うのは運命なんだよ」「僕はショーマン。天職だ」。未来になんの迷いもなく、自信満々のゲイリーに、アラナは「自分の将来?夢?分からない」と力なく答える。それでも、ふたりの距離は徐々に近づいていく。目がくらむほど眩しくても、君から目をそらすことができなかった。誰もが「あの頃の気持ち」を思い出す、ある夏の記憶。
感想&解説
過去のポール・トーマス・アンダーソン監督作品だと、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「ファントム・スレッド」よりも、「ブギーナイツ」「パンチドランク・ラブ」寄りの作品だと思う。1970年代アメリカのサンフェルナンド・バレーを舞台にした、大らかで牧歌的な恋愛劇であり、典型的な”ボーイ・ミーツ・ガール”映画なのだが、ポール・トーマス・アンダーソンらしい”映画的な快感”に満ちた作品になっていた。ただ、いわゆる太い物語的な推進がある作品ではなく、短いエピソードが連なって構成されている映画の為、ややキャラクターの感情の変化が急激に見えてしまい、こちらの感情移入を妨げる部分もあるにはある。だがこの唐突感さえも、”若い恋愛”の表現なのだとも思わされる、絶妙なバランスで作品が成り立っている。
まず主演の二人が良い。ヒロインは、アメリカ合衆国ロサンゼルス出身の三姉妹「HAIM(ハイム)」のアラナ・ハイムで、「HAIM」は過去3枚のアルバムをリリースしており、最新作「Women in Music Pt. III」は第63回グラミー賞にもノミネートされている、実力派ポップバンドだ。ポール・トーマス・アンダーソンは、シングル「Little of Your Love」のMVを監督しており、その繋がりで今回の出演をオファーしたらしい。このアラナ・ハイムが、絶妙な”普通の女の子感”でヒロイン「アラナ」を演じており、リアリティがすごい。顔もまったく美人ではない(失礼)のだが、10歳も年下の男の子に言い寄られるという設定にも違和感がないし、彼女は劇中で色々なキャラクターから相当にモテるのだが、それでも自分に自信がなく不器用に生きている女性を見事に演じている。監督は脚本を”当て書き”で書いたらしいが、それも頷ける。本作が映画デビューらしいが、これからオファーが殺到しそうだ。
そしてもう一人、高校生のゲイリー・ヴァレンタインを演じるのは、クーパー・ホフマンで彼も本作が映画デビュー作らしい。そして、なんと故フィリップ・シーモア・ホフマンの実子ということで、お父さんと驚くほど似ている。しかもまだ10代の青年なのだが堂々とした演技で、スクリーンに映っていることにまったく違和感がない。この才能は父親譲りなのだろう。フィリップ・シーモア・ホフマンは、ポール・トーマス・アンダーソン監督作として「ハードエイト」「ブギーナイツ」「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」「ザ・マスター」と数多く出演しており、信頼し合っていた間柄だったことが想像できるが、2014年2月に46歳という若さで亡くなった後、息子がこうやって監督作に主演として登場したことに、二人の深い友情を感じてしまう。クーパー・ホフマンも、このあとのキャリアが楽しみな俳優だ。
映画は、高校の写真撮影会で15歳のゲイリー・ヴァレンタインが、カメラマンのアシスタントをしていた25歳の女性アラナ・ケインに声をかけるシーンから始まる。「どこに住んでいるの?」「君と出会うのは運命なんだ」としつこくナンパするゲイリーを、「あなた、子供でしょ」といなしていくアラナ。だが、遂にその熱意に根負けした彼女は、ゲイリーが指定したレストランで再開することになる。このあたりの一連のシーンがすでに良い。学校でしつこく言い寄ってくるゲイリーに背を向けた瞬間に、思わずアラナは静かな笑みを浮かべるのだが、年下とはいえここまで熱烈に求められたことによる「女としての自尊心」が満たされた瞬間が垣間見える。また本当にレストランに来てくれたアラナを思わず”荒い鼻息”で出迎え、すでに子役として活動している自信から、「君の将来の夢は?」「僕はショーマン。天職なんだ。」と無駄にマウントを取ってしまうゲイリーはやはり子供だ。この映画の良いところは、若い頃の恋愛を綺麗な側面だけではないと、両面描くところだと感じる。
例えば、このゲイリーとアラナはとても打算的だ。ゲイリーはもっと若くて可愛い女の子がいれば、アラナの目の前でもイチャイチャしてしまうし、アラナは少しでも将来性のある男だと思えば、ゲイリーの俳優友達だろうが、ショーン・ペン演じるベテラン俳優だろうが、簡単にそちらになびいてしまう。ゲイリーがニューヨークで撮影がある際にアラナが付き添うシーンでは、ステージ上のゲイリーを観て「私は彼の付き添いなの」と聞かれてもいないのに、周りに吹聴する場面も彼女の性格がよく表現されているし、終盤の市長選に立候補しているワックスから”お誘いの電話”があるシーンなどは、彼女の打算的な面が見事に表現されているシーンだった。自分を選挙事務所に推薦してくれた友人と、直前まで良い雰囲気になっていたとしても、それを瞬時に断ち切って彼女はワックスのもとに駆け付けるのだが、これは社会的な地位と将来性が明らかにワックスの方が高いからだろう。
ガス欠したトラックをニュートラルで逆走させ坂道を下るシーンは、ゲイリーとアラナのこれからの関係性を示しているようで面白い。トラブルに陥った時、結局自分の力でそれを解決したアラナと、それに動揺するだけで子供っぽい対応しかできないゲイリー。そして、そんなゲイリーの様子に心底ウンザリしてしまうアラナ。この対比は”男女あるある”過ぎて、観ていて苦笑いが出てしまう。ショーン・ペンとトム・ウェイツ演じる”大人の男”も、外見のクールさとは裏腹に、結局は成長していないことも描いており、本作に登場する男たちはゲイリーに限らずほとんどが”子供”なのだ。
そしてその中でも、本作のMVPはブラッドリー・クーパー演じるジョン・ピーターズだろう。このジョン・ピーターズは実在の人物で、劇中でもバーブラ・ストライサンドと付き合ってるというセリフがあったが、彼女が主演している76年版「スター誕生」のプロデューサーだ。そして「スター誕生」といえば、レディー・ガガを主演に迎えたリメイク版である、2018年「アリー/スター誕生」の監督がこのブラッドリー・クーパーということで、ややネタ的な登場になっているのが面白い。それにしても本作のブラッドリー・クーパーは最高で、”女好きな上に、狂暴で理不尽な勘違い男”を嬉々として演じている。劇場でもかなりの笑いが起こっていたが、ガソリンを取り巻く彼のトラブルは爆笑ものだったし、一連の騒動のあと、まったく懲りずにまた女性をナンパするシーンも最高だ。個人的には本作でもっとも印象的なキャラクターだった。
いかにもフィルムの柔らかい質感で描かれる本作の世界観は、ジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」を参考にしているそうだが、全体的なビジュアルは当然70年代レトロポップで統一されている。またジョニー・グリーンウッドが担当した音楽は、前作「ファントム・スレッド」のピアノを主体とした固い音像からかなり趣きを変えて、明るいカリフォルニアを彷彿とさせるソフトな楽曲にシフトしていた。タイトルの「リコリス・ピザ」とは、70年代の南カリフォルニアに実在した”レコードチェーン店”らしいが、本作でかかる音楽も非常にセンスが良い。劇中かなりの曲数で正直知らないアーティストも多かったが、記憶にあるだけでもニーナ・シモンから始まり、ザ・ドアーズ、デヴィッド・ボウイ、トッド・ラングレンあたりの曲はテンションが上がる。そして個人的には、ポール・マッカートニー&ウイングスの「Let Me Roll It」が、ウォーターベッドで二人が横になるロマンティックなシーンでかかったのが嬉しい。この曲は1973年リリースの名盤「バンド・オン・ザ・ラン」に収録された楽曲だ。同年ウイングスは同名映画の主題歌になった「007 死ぬのは奴らだ」のシングルをリリースしており、ビートルズ解散後におけるポール・マッカートニーの脂の乗り切った作品だが、まさにシーンにピッタリの楽曲だった。
ここからネタバレになるが、ラストはすれ違いばかりだった二人をクロスカッティング編集で、抱き合うまでを描く。まるで王道ロマンスの展開で非常にエモーショナルな場面だろう。二人が抱き合う場面は映画館の前で、前述の「007 死ぬのは奴らだ」とチャールズ・ブロンソン主演アクション映画「メカニック」を上映している劇場前だ。もう少し気の利いた恋愛作品もあっただろうに、このあたりにポール・トーマス・アンダーソン監督の皮肉を感じてしまう。一度は結ばれた二人だが、この後もこの関係が続くとは限らないのが人生だし、それも含めて青春時代の恋愛だからだ。個人的には鑑賞した直後よりも、各シーンを思い返すとどんどん評価が上がってくるタイプの作品で、男の不甲斐なさや女の打算的な面をしっかり描きながらも、最後はほっこりさせられる”可愛らしい”作品だった。これは主演二人の魅力が大きいだろう。「マグノリア」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のように映画史に残る傑作ではないかもしれないが、ポール・トーマス・アンダーソン監督のセンスに溢れた佳作だったという印象だ。
7.5点(10点満点)