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映画「わたしは最悪。」ネタバレ考察&解説 デンマーク出身監督による、短いエピソードの積み重ねで、人間の複雑な感情を描いた傑作!

「わたしは最悪。」を観た。

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デンマークに生まれ、あの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ドッグヴィル」を手掛けた鬼才ラース・フォン・トリアーの遠戚にあたる、ヨアキム・トリアーが監督したロマンチックコメディ。ただしかなり皮肉が効いているのが、本作の特徴だろう。監督の前作である、2018年「テルマ」はかなりの傑作であったが、本作も第94回アカデミー賞で「国際長編映画賞」と「脚本賞」の2部門にノミネートされている。主演はヨアキム・トリアーの「オスロ、8月31日」で俳優デビューしたレナーテ・レインスベで、本作では第74回カンヌ映画祭「女優賞」を受賞している。レーティングは「R15+」だが、これは結構な量で描かれる性描写の為だろう。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:ヨアキム・トリアー
出演:レナーテ・レインスベ、アンデルシュ・ダニエルセン・リー、ハーバート・ノードラム
日本公開:2022年

 

あらすじ

30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとする。

 

 

感想&解説

ヨアキム・トリアー監督による2018年公開の前作「テルマ」が本当に大好きな作品だったので、4年ぶりの新作という事でさっそく映画館に行ったが、若めの客層を中心に休日の劇場はほぼ満席であった。「わたしは最悪。」というキャッチーなタイトルもあるだろうが、作品自体のクオリティが口コミを呼んでいるのだろう。それにしてもこのデンマーク生まれの映画監督が撮る映画は、なぜにこれほど魅力的なのだろう。本作「わたしは最悪。」も映画が始まるやいなや、ファーストカットから文字通り目が離せない。決して聖人君子とはいえない主人公ユリヤに、強烈に感情を持っていかれるのである。自分とは性別も年齢もかけ離れている主人公に、これほど感情移入させられる映画は稀だが、それは彼女が自分と同じく悩み揺れながら、それでも人生の中で何かを選択していく物語だからだ。そして人生の先はわからないから、「とにかく進め」と教えてくれる作品なのである。

映画の冒頭ユリヤは医学の道を志すが、「自分の好きなのは魂だ」と速攻で心理学の道に変更し、ボーイフレンドを講師に乗り換える。かと思えば、突然自分には写真の才能があると思いこみ、写真家の卵になった途端にモデルを彼氏にする。さらに、パーティで知り合った過激で風刺的な漫画を描くクリエイターのアクセルと知り合い、彼と猛烈な恋に落ちるのである。主人公のユリヤは、語弊を恐れずに言えば”何も持っていない”し、猛烈に移り気で飽きっぽい。そして自分でも、それをコンプレックスに感じている。だからこそ、新しい世界で出会う新しい男性の才能に猛烈に惹かれ、すぐに恋に落ちてしまうのだろう。そして子供を持って家庭に入ることに対し、恐れを感じてもいる。漫画家として成功しつつ彼女のことを真剣に愛しているアクセルは、「子供が欲しい」とユリヤに告げるが、彼女はそれを拒絶してしまう。そして「人生のコンセプトがおかしい」と彼に言われてしまうが、この時点での彼らの人生は絶対に噛み合わないのである。

 

アクセルの出版イベントでファンにサインや写真をせがまれるアクセルを見ながら、ユリヤはパーティを抜け出し、オスロの街並みを一人歩きながら涙する。これは、改めて成功しているアクセルと自分を比べて、自分がまだ何も成し遂げていないことを痛感しているというシーンだろう。この時点で成功しているアクセルと過ごす時間が彼女にとって、少しずつストレスになっているのである。だからこそ、この直後にアイヴィンという「優しいけど、何も才能のない男」に出会い、彼女は彼こそが運命だと感じる。アイヴィンはユリヤが一切のプレッシャーを感じることなく、”自然体でいられる存在”だからだ。妄想の中で、コーヒーショップで働くアイヴァンに走って会いに行くシーンは、本作の中でも最高のシーンだ。町中の人たちが静止している中で、ユリヤとアイヴァンだけが行動でき、二人は最高の一日を過ごす。どうやらこのシーンはVFXではなくアナログで撮影しているらしいが、スクリーンを観ているこちらもユリヤと同じく走り出したくなる、本作でもっとも視覚的に素晴らしいシーンだった。

 

そして、ユリヤに別れを切り出されるアクセルの演技がまた良い。彼は彼なりに全力でユリヤを愛し大事にしてきたはずなのに、理不尽に別れを突きつけられる。その男の無力感と混乱を表情とセリフによって完璧に演じており、彼にも完全に感情移入させられるのである。そして改めて生活を共にするアイヴァンとユリヤ。アイヴァンにもヨガと地球温暖反対の活動に興味があるスニバという彼女がいたが、別れてしまう。彼も意識の高すぎるスニバと温度感の差を感じていたのだろう。この時点のアイヴァンとユリヤは”似た者同士”でお似合いの二人なのである。そんな時、ジムでトレーニング中にテレビ出演していたアクセルをたまたま見つけてしまうユリヤ。番組の中では、アクセルの書いている「ボブキャット」という漫画が、性差別的で前時代的だとフェミニストに叩かれていたのだが、それを見てユリヤは微笑む。これは久しぶりに彼の姿が見れたという安堵感と、自分の知っている以前のアクセルとまったく変わっていなかったことを知ったがゆえの笑顔だったのだと感じた。

 

 

だが、そんな安定した状況も長くは続かない。ここからネタバレになるが、ある日ユリヤはアクセルの兄からアクセルが膵臓ガンに冒されており、もうあまり先が長くないと聞かされてしまう。それを聞いたことで、また精神的に不安的になったユリヤは、ふとした事でアイヴァンに怒りをぶつけてしまう。さらにアイヴァンの子を妊娠していることが発覚し、さらに動揺するユリヤ。ガンになったアクセルの見舞いに行ったユリヤは、彼と人生について語り合うのだが、このシーンのセリフがまた良い。もう人生の先がないアクセルは過去を振り返り、レコードや本、過去の映画「狼たちの午後」や「ゴッドファーザー」について語る。世間ではもう過去の遺産になってしまったものも、彼にとってはかけがえのない自分の人生の一部であり、”手に取って触れる記憶”なのだ。一方、ユリヤは「本当に自分は良い母親になれるか?」という未来の事に悩んでいる。この二人の苦悩を同時に描くことで心は通じていながらも、二人はもう違う地点にいることを対比して描いているのだろう。そしてその後、「死にたくない、僕のアパートで君と生きたい」というアクセルの心の叫びを聞いてしまう。

 

全12章+プロローグ&エピローグで作られた128分は、それぞれ時間の感覚をはぎ取った短いエピソードの連続で構成されており、人間の複雑な感情がさまざまな色で描かれている。エピソードが進むたびに少しずつ成長していくユリヤの最終章は、彼女にとっての”ハッピーエンド”ということなのだろう。結局、流産してしまったユリヤはもう一度、写真家として活動する。アイヴァンとは別れ、彼には子供もいて新しい家族がいる。ユリヤ自身には恋愛のパートナーはいないが、仕事を通して彼女は新しい人生を歩んでいるのである。個人的に、今まで付き合う男性を通して”自分の存在”を認識してきたユリヤが、しっかりと自分の脚で世界と対峙しているという、開かれたエンディングだと感じた。きっと成長した彼女は、また新しい恋愛に巡り合えることが想像できる、ホロ苦くも希望のあるエピローグであったと思う。

 

本作の脚本は監督のヨアキム・トリアーエスキル・フォクトという男性らしいが、”目いっぱい想像力を発揮して”この魅力的なキャラクターを作り上げたそうだ。とにかく最高にキュートでありながら毒っ気もあり、刺激的でありながらも思考を促される映画体験だった。やはりヨアキム・トリアー監督の作品は、見逃せない。完全に好みの映画だったので、これから恐らく何度か観直すことだろうが、その度に発見がありそうな作品だ。本年度トップ10入りは確実な傑作だった。

8.5点(10点満点)