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映画「カラダ探し」ネタバレ考察&解説 「ホラー」と「タイムループ」は相性が悪い!「ある70%」の要素が楽しめるかどうか?がカギ!

カラダ探し」を観た。

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制作プロダクション「ROBOT」に所属する映画監督であり、過去に「海猿」シリーズや「暗殺教室」「劇場版 MOZU」「太陽は動かない」など、娯楽映画を中心として、多数のヒット作を手がけてきた羽住英一郎がメガホンをとったホラー映画。そもそもは小説投稿サイト「エブリスタ」で話題を集めた携帯小説で、漫画化もされているらしい。主演は今年に入ってからも「キングダム2 遥かなる大地へ」「バイオレンスアクション」など、次々と出演作が公開されている橋本環奈。共演は「東京リベンジャーズ」の眞栄田郷敦、「今日から俺は!!劇場版」の山本舞香、「HiGH&LOW THE WORST」の神尾楓珠、「野球部に花束を」の醍醐虎汰朗など。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:羽住英一郎
出演:橋本環奈、眞栄田郷敦、山本舞香神尾楓珠、醍醐虎汰朗
日本公開:2022年

 

あらすじ

7月5日、女子高生の森崎明日香は、校内でいるはずのない幼い少女と出会い、「私のカラダ、探して」という不気味な言葉をかけられる。不思議な出来事に違和感を覚えつつも、いつも通りの一日を終えようとしていた明日香。しかし、午前0時を迎えた瞬間、気が付くと彼女は深夜の学校にいた。そこには明日香の幼なじみで最近は疎遠になっていた高広と、普段は接点のないクラスメイト4人も一緒にいた。困惑する6人の前に、全身が血で染まった少女「赤い人」が現れ、6人を次々と惨殺していく。すると明日香は自室のベッドで目を覚まし、7月5日の朝に戻っていた。その日から6人は同じ日を繰り返すことになり、そのループを抜け出す唯一の方法は、とある少女のバラバラにされたカラダをすべて見つけ出すことだった。

 

 

感想&解説

予告編を劇場で観た時に、かなり恐怖心を煽る映像の数々だったので「これは期待が出来る学園ホラーかもしれない」と気になり、公開日に鑑賞してきた本作。結論、残念ながら”ホラー映画としては”かなり薄味で、気の抜けた作品だったと思う。”ある一日”をひたすらループして毎日殺人鬼に殺されるというアイデア自体は、クリストファー・B・ランドン監督の2019年作品「ハッピー・デス・デイ」という傑作がある為、原作を含めた作り手は確実に意識していたと思うが、本作と「ハッピー・デス・デイ」とは決定的に違う点がある。それはミステリー要素の有無だ。「ハッピー・デス・デイ」は、誕生日に殺されてはまた同じ誕生日の朝に戻ってしまうという悪夢のタイムループを繰り返しながら、「ベビーマスク」を被った殺人鬼の”正体”を探っていくという、強烈なストーリー上の推進力があったため、主人公ツリーが何度も殺されながらも試行錯誤して犯人を捜す姿に感情移入できた。この源流は、1997年のウェス・クレイヴン監督「スクリーム」シリーズが、いわゆる”ホラー映画のお約束”と”犯人捜し”というミステリー要素を組み合わせたことをヒントにしていると思う。いわば”タイムループ”と「スクリーム」の合わせ技という発明が、「ハッピー・デス・デイ」だった訳だ。そして、このミステリー要素こそが”映画の面白さ”に大きく寄与していたと思う。

それに対して、本作「カラダ探し」はこのミステリー要素は一切ない。カラダ探し」というタイトルが示すとおり、深夜0時を迎えるとなぜか飛ばされる学校内で、全身血が染まった”赤い人”と呼ばれる怪物から逃げつつも、過去に殺された少女の身体のパーツを探し出すというのがストーリーの主軸のため、一見すると”ミッションクリア型”のアドベンチャー要素が強くなりそうな展開だ。ところが、本作はそうもならない。この”カラダ探し”の部分は軽快なAdoが歌うBGMに乗せてあっという間にクリアされ、オミットされてしまうのだ。このタイムループという設定を活かし、メンバーが何度も同じ日を繰り返せるがゆえに、知恵を絞り試行錯誤しながら身体のパーツを探すという、映画的に面白くなりそうな部分を本作はほとんど描かないのである。このパターンの作品だと、ダグ・リーマン監督の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」という、これまた傑作があったがこの手法も踏襲しない。では本作では、ホラー要素とプラス何を描くのか?と言えば、それはずばり「青春」だ。ここからネタバレになるので、ご注意を。

 

個人的な感覚だと、本作は「70%が青春もの、30%がホラー」くらいのバランスだと思う。このホラー要素は「赤い人」の造形の不気味さや、そこそこ頑張っているゴア描写などでなんとか担保されているが、それでも「怖い映画」になっているかといえば、残念ながらまったく怖くはない。そもそも、”ホラーとタイムリープ”は相性が悪い組み合わせなのだ。観客は主人公たちが何度死んでもタイムリープできることを知っているため、そこにスリルは生まれない。どれだけ絶叫しようが逃げ惑おうが、殺されてしまえばまた彼女らはリセットされて生き返るためだ。映画の中とはいえ、「このキャラクターに死んでほしくない」と観客が思い、そのキャラクターが必死に悪霊の呪いや殺人鬼から逃げるからこそ、初めて恐怖が生まれる。ホラー映画で最後に生き残る人物を”ファイナル・ガール”と呼ぶが、その名のとおり圧倒的に女性キャラが多いのは、このスリルが作りやすいからだろう。タイムリープによって、恐怖感が薄くなることを逆手にとって、その代わりに強いミステリー要素を加えたのが「ハッピー・デス・デイ」だった訳だ。ちなみに続編である「ハッピー・デス・デイ 2U」では、タイムリープの理屈に”量子反応炉”というSF要素を加えて、もはやホラー映画というジャンルからも脱却し、マンネリを回避していたのは、さすがの慧眼だと思う。

 

 

例えば劇中で橋本環奈、山本舞香、横田真悠の女子高生3人が、夜の学校内にあるプールで「赤い人」から逃げているというシーンがある。本来であれば非常に緊迫感の高い場面であり、ホラー映画であれば恐怖を感じさせなければいけないシーンだろう。ところが、ここで彼女たちは溺れたフリをして笑い合うのである。もちろん、演出の意図は理解できる。何度も死にながら同じ目的を共有することによって、彼女たちに友情が芽生えていること、この後に彼女たちは実際にプールに現れた「赤い人」によって殺されてしまうのだが、その伏線としても機能させることが演出の意図なのだろうが、こういう場面があることで、「ホラー映画」としての強度は著しく下がる。彼女たち自身がそのシチュエーションにおいて恐怖を感じておらず、安心していると観客が感じてしまうからだ。その後の展開で「赤い人」の変化形に食べられると、存在自体が消滅するためループしなくなるという設定が追加になるが、実際にそうなるのは本当に終盤だけ、かつ犠牲となるのは結局最初の一人だけなので、最終決闘の盛り上げのための設定になってしまっている。結局、本作で一番怖いのは彼らが昼間に訪れる、殺害された女の子の家に侵入するシーンなのは皮肉だ。

 

よってこの「カラダ探し」が楽しめるかどうかは、この70%を占める「青春もの」の要素が楽しめるか否かだろう。ところが、正直これもなかなか厳しい。まずこれは、日本の"劇場用映画"で言っても仕方ないことなのだが、登場人物たちがあまりに美男美女すぎて、一般的な高校生にまったく見えない。そもそも橋本環奈が、まったく友達のいないというキャラ設定のうえ、男子生徒からもまったく相手にされていないという時点で、違和感があり過ぎる。しかも終盤、眞栄田郷敦がポツンと、「俺たち6人が選ばれた理由が解る気がする。俺たちの孤独の隙間につけ込まれたんだ。」という趣旨の発言をするが、劇中で描かれる”彼らの孤独”とやらが、あまりに安易でチープすぎるのだ。「水泳大会を休んだら無視され始めた」「バスケで強豪校に推薦してもらえたが、怖じ気づいた」「彼氏だと思ってた年上の彼氏に本命がいた」「怪我して運動での推薦入学がダメになった」「うわべの友達は多いけど、本当の友達がいない」、こんなレベルで悩んでいる高校生など、ゴマンといるだろう。もちろんそれこそが高校生なのだという見解もあると思うが、ジョン・ヒューズ監督「ブレックファスト・クラブ」や「桐島、部活やめるってよ」などで描かれているテーマの深度と比べてしまうと、あまりに取って付けた感が強い。これなら、むしろ理由付けなど要らなかったのではないだろうか。

 

放課後にパフェを食べながら女子同士でおしゃべりする場面、海岸でのナンパされる女子たちを守るためのゴタゴタと、その後の海辺を走る姿のスローモーション、そして「俺が明日香を守る」というセリフからのバックハグ。あまりに古めかしい、80年代青春ドラマ的なシーンの数々には思わず頭を抱えたくなってしまうが、もしかすると現役の高校生が観れば共感できるのかもしれない。ただ、ホラー映画を観に来たという意識がある為、この青春描写の要素が多すぎて、「いま、何を観せられているのだろう?」という感覚が終始抜けないのだ。これは完全に予告編に騙されたという事だろう。突然、挿入される「エクソシスト」のスパイダーウォークや「オーメン」の板による身体切断シーンのオマージュは、かろうじてホラー映画としての矜持を感じるし、過去名作への目配せとして微笑ましいが、あまりに全体のバランスが悪い。「赤い人」とのラストの戦闘シーンもあれだけ強かったキャラクターが、なぜか橋本環奈のパイプ攻撃ごときでひるんだ上に、キリストへの信仰心もまったく劇中では描かれないくせに、ルチオ・フルチばりに十字架によって串刺しにされる最期というのも、かなり安易に感じてしまう。単純に礼拝堂という設定を活かしたかっただけだろう。

 

エンドクレジット後、井戸の中の新聞に写る被害者の写真が橋本環奈に変わるシーンも、これまでの展開からすると意味が分からない。彼女は今回の劇中で苦難を乗り越えているし成長してしまっているのだが、彼女の少女時代にまた時間が遡って次の被害者になるという事だろうか?となると、今作内の恐怖を増幅させるための演出ではなく、単に続編のための”屁理屈”を加えたというだけだ。ラストカットに「実はこうだったんです」という説明を入れることで、これまでの鑑賞体験が一変するような”どんでん返し演出”なら大歓迎だが、これぞまさしく”蛇足”というものだろう。序盤はかなり良かったのだが、中盤からは完全に失速してしまう本作。タイムリープの理由なども語られないし、そのルールの基本設定もガバガバだ。そして特に怖くもない為、予告を観て期待したホラーファンは、完全に肩透かしを喰うと思う。先日観た「“それ”がいる森」もそうだが、ジャパニーズホラーは完全に冬の時代なのだろう。既視感だらけなのでコアな映画ファンにはまったくオススメできないが、高校生カップルのデートムービーとして一定の需要はあるのかもしれない。

 

 

3.5点(10点満点)