映画を観て音楽を聴いて解説と感想を書くブログ

エンタメ系会社員&バンドマンの映画ブログです。劇場公開されている新作映画の採点付きレビューと、購入した映画ブルーレイの紹介を中心に綴っていきます!

映画「アムステルダム」ネタバレ考察&解説 なぜ本作のタイトルは「アムステルダム」なのか?を考察!歪なバランスの惜しい作品!

アムステルダム」を観た。

f:id:teraniht:20221031182447j:image
「ザ・ファイター」「アメリカン・ハッスル」「世界にひとつのプレイブック」など多くのアカデミーノミネート作品を手掛けてきた、デビッド・O・ラッセル監督が、製作・脚本・監督を手掛けた犯罪ドラマ。豪華出演陣が話題となっており、「アメリカン・ハッスル」でもデビッド・O・ラッセル監督とタッグを組んだクリスチャン・ベール、「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY」のマーゴット・ロビー、「ブラック・クランズマン」「TENET テネット」のジョン・デビッド・ワシントンが主演を務めたほか、共演も「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」のラミ・マレック、「ラストナイト・イン・ソーホー」アニヤ・テイラー=ジョイ、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のゾーイ・サルダナ、「シェイプ・オブ・ウォーター」のマイケル・シャノン、「オースティン・パワーズ」のマイク・マイヤーズなどが出演している。また今年のアカデミー賞で司会を務め、ウィル・スミスとトラブルになったクリス・ロックやミュージシャンのテイラー・スウィフト、名優ロバート・デ・ニーロなども脇を固めており、出演者を観ているだけでも眼福の作品だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:デビッド・O・ラッセル
出演:クリスチャン・ベールマーゴット・ロビー、ジョン・デビッド・ワシントン、ラミ・マレックロバート・デ・ニーロ
日本公開:2022年

 

あらすじ

1930年代のニューヨーク。かつて第1次世界大戦の戦地で知り合い、終戦後にオランダのアムステルダムで一緒の時間を過ごし、親友となったバート、ハロルド、ヴァレリー。3人は「何があってもお互いを守り合う」と誓い合い、固い友情で結ばれていた。ある時、バートとハロルドがひょんなことから殺人事件に巻き込まれ、容疑者にされてしまう。濡れ衣を着せられた彼らは、疑いを晴らすためにある作戦を思いつくが、次第に自分たちが世界に渦巻く巨大な陰謀の中心にいることに気づく。

 

 

感想&解説

デビッド・O・ラッセル監督の前作「アメリカン・ハッスル」から、約7年ぶりとなる新作が公開になった。デビッド・O・ラッセルの作品と言えば、2011年の「ザ・ファイター」、2013年「世界にひとつのプレイブック」、2014年「アメリカン・ハッスル」と近作はすべてアカデミー監督賞にノミネートされており、さらにその中でも前作「アメリカン・ハッスル」は10部門にノミネートと、非常に高く評価されていたのが記憶に新しい。そんな監督の最新作は、第一次世界大戦後のアメリカを舞台にした「ほぼ“実話”」を、クリスチャン・ベールマーゴット・ロビー、ジョン・デビッド・ワシントン、ロバート・デ・ニーロといった豪華キャストで描く犯罪ドラマだということで、楽しみにしていた作品であった。そもそもデビッド・O・ラッセルの作品は、シリアスなテーマに対して絶妙なバランスでユーモアがブレンドされた作品が多く、その塩梅こそが大きな魅力になっていた為、あの”眼帯をしたクリスチャン・ベール”のビジュアルを観たときには大きく期待が高まったものである。

ただ実際に映画を鑑賞してみると、相当に歪なバランスの作品だったという印象だ。序盤の展開こそクリスチャン・ベール演じる、義眼の医師バート・ベレンセンと、その親友であるジョン・デビッド・ワシントン演じるハロルド・ウッズマンがタッグを組み、上院議員ビル・ミーキンスの死体から毒物を発見しつつ、その娘であるテイラー・スウィフト演じるリズ・ミーキンスが目の前で殺害され、二人が容疑者になるというショッキングな展開が起こることによって、物語はグイグイ進んでいく。単純にサスペンスとして力強いのだ。その後、時代が過去に遡ってバートとハロルド、それからマーゴット・ロビー演じる看護師ヴァレリーの3人が野戦病院で出会い、オランダのアムステルダムで意気投合して親友になっていく場面も、悲惨な戦争を経て満身創痍になりながらも、彼らがかけがえのない友情で結ばれていくことが、手に取るように伝わってくる名場面だ。また、アムステルダムで出会うガラス技師のポールと財務省の役人ヘンリーもそれぞれ、マイク・マイヤーズマイケル・シャノンという意外性のあるキャストで驚かされたし、マイク・マイヤーズが実は”MI-6”というのは、もちろん「007」シリーズのパロディ映画である「オースティン・パワーズ」シリーズへのオマージュだろう。こういう遊び心自体はとても楽しい。

 

ここからネタバレになるが、だがその後、再び12年の時が経った現在に時間が飛び、ラミ・マレック演じるトム・ヴォーズ氏の館でバートとハロルドがヴァレリーと驚きの再会を果たしてから、一気に物語のスピード感とテンションが落ちる。ここからロバート・デ・ニーロ演じるギル・ディレンベック将軍を巻き込みながらストーリーは進むのだが、実はトム・ヴォーズを含むアメリカ財界の指導者たちが、ナチスに傾倒していたことから、彼らが民衆人気の高いディレンベック将軍を指導者に推して、ファシストとしてクーデターを起こそうとしたのだという”陰謀論”がストーリーのメインになっていくのだ。冒頭の上院議員ビル・ミーキンスと娘のリズはこの陰謀に巻き込まれたということなのだが、こうなるとほとんど主人公であるはずのバートとハロルド、ヴァレリーの3人には、大きな活躍の場はなくなってしまう。銃による暗殺を止めたり、カメラで撮影したりといった補佐的な役割は担っているが、いわゆる一般市民の彼らには扱う問題として大きすぎるのである。最終的には、ディレンベック将軍が黒幕である「5人委員会」を糾弾して終わるのだが、これではストーリーの起伏としてどうしてもカタルシスが不足していて、地味な着地だと感じてしまう。

 

本作は「ほぼ“実話”」としている割には、実はこのギル・ディレンバック将軍にはスメドレー・バトラー少将という実在のモデルがおり、彼がクーデーターを止めたということ以外は、どうやらほとんどがフィクションらしい。であればもっと脚本を、エンタメ的に膨らませられたのでは?とも思うが、ここでふと気づく。本作のタイトルは「アムステルダム」だ。この作品のラストショットは、マーゴット・ロビーとジョン・デビッド・ワシントンが、「アムステルダム」と呟いて終わるという意味深なショットだが、先ほどの「5人委員会」のクーデーター事件と、このアムステルダムとは実は一切関係がない。なのに本作のタイトルは「アムステルダム」なのである。本作における「アムステルダム」とは、バート、ハロルド、ヴァレリーの3人における理想郷であり、友情の証であり、愛の住処だ。よって本作のタイトルを「アムステルダム」としているのは、ナチス信奉者のクーデターというサスペンスを背景にしながら、本当はこの3人の友情関係こそ、監督がもっとも描きたいテーマだったのではないだろうか。

 

 

ただ残念ながら、それでもその描き込みが中途半端だ。観客の興味は、どうしてもこの陰謀論の着地に引っ張られるので、後半になればなるほど、前述のように3人の存在感は希薄になってくる。逆に終盤は完全にロバート・デ・ニーロの独壇場になってしまうので、作品全体の方向性がぼやけてくるのである。この「アムステルダム」というタイトルと、強引に3人の友情&愛情に引き戻したような描写のエンディングの着地、さらに劇中で行われている演出のバランスが完全にチグハグになってしまっている。また撮影を担当しているのは、「ゼロ・グラビティ」や「レヴェナント 蘇えりし者」でオスカーを受賞しているエマニュエル・ルベツキなのだが、本作においてもっとも効果的な画面構図は、”俳優の顔面アップである”という事なのかと思う位に”寄り”の構図が多く、いわゆる抜け感のない閉鎖的なショットが多い気がする。カラーコーディネートとライティングは見事なのだが、どうにも画面のスケール感が希薄だ。これも本作を単調にしている要因かもしれない。

 

どうしても辛口のレビューになってしまったが、これだけの豪華キャストが次々に登場するのを観られるのは、映画ファンにとって眼福であることは間違いない。衣装やセットの造形も素晴らしいし、役者陣も当然のように良い。特に本作のマーゴット・ロビーの美しさには目を奪われたし、エンドクレジットで流れるスメドレー・バトラー少将の発言を、ロバート・デ・ニーロが完コピしている場面はさすがの貫禄だったと思う。ただ本作を、例えば1年に数本しか映画を観ないライトファンにもオススメできるか?と言われれば、単純に映画としての面白さを比べた時に、他に観るべき作品がある気がしてしまう。やはり物語の推進力が小さ過ぎるのである。ヴァレリー看護師が、怪我を負った兵士の体内から取り出した破片からアート作品を作っているというキャラクターや、義眼の医師という設定、主役3人が適当に選んだ歌詞でナンセンスな歌を歌う場面など、膨らませれば面白くなりそうな場面はあったのに残念だ。

 

上映時間134分をあと30分くらいタイトに編集して、「アムステルダム」のタイトル通りにクリスチャン・ベールマーゴット・ロビー、ジョン・デビッド・ワシントンらのキャラクター描写をより深堀しながら、もっとブラックユーモアを主軸に映画化すれば、もう少しコンセプトのハッキリした作品になった気がする。そもそも娯楽映画として厳しい題材だったのだろうが、今回はデビッド・O・ラッセル監督の手腕に期待しすぎたのかもしれない。まったく「面白くない」という作品ではないのだが、いろいろと惜しい映画だった。ちなみにパンフレットの販売がないのはディズニー配給だからかもしれないが、こういう史実から作られている作品はパンフレットを読みたいタチなので、これも重ねて残念であった。

 

 

6.0点(10点満点)