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映画「ザリガニの鳴くところ」ネタバレ考察&解説 意味不明のタイトルの真意とは?ミステリー要素は少ないが、静謐で上品なヒューマンドラマ!

「ザリガニの鳴くところ」を観た。

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2019年と2020年の2年連続でアメリカで最も売れた本となり、日本でも2021年に本屋大賞翻訳小説部門第1位に輝いた、全世界で累計1500万部を売り上げたディーリア・オーエンズの同名ミステリー小説の映画化。「キューティー・ブロンド」などのリース・ウィザースプーンが製作を手がけている。出演は「フレッシュ」のデイジーエドガー=ジョーンズ、「シャドウ・イン・クラウド」のテイラー・ジョン・スミス、「キングスマン ファースト・エージェント」のハリス・ディキンソン、「ノマドランド」のデビッド・ストラザーンなど。監督は新鋭の女性監督オリビア・ニューマン。テイラー・スウィフトがエンドクレジットで流れる、「キャロライナ」というオリジナルソングを書き下ろしたことでも話題を集めている。今回もネタバレありで、感想を書いていきたい。

 

監督:オリビア・ニューマン
声の出演:デイジーエドガー=ジョーンズ、テイラー・ジョン・スミス、ハリス・ディキンソン、デビッド・ストラザーン
日本公開:2022年

 

あらすじ

ノースカロライナ州の湿地帯で、将来有望な金持ちの青年が変死体となって発見された。犯人として疑われたのは、広大な湿地帯で育った無垢な少女カイア。彼女は6歳の時に両親に捨てられて以来、学校へも通わずに湿地の自然から生きる術を学び、たった1人で生き抜いてきた。そんなカイアの世界に迷い込んだ心優しい青年テイトとの出会いが、彼女の運命を大きく変えることになる。そして、法廷ではついに彼女の判決が下されるのだった。

 

 

感想&解説

「ザリガニの鳴くところ」という一見しただけでは、意味のわからないタイトルが印象的な本作。原作は未読だが、「最後まで推理が止まらない」「結末は正真正銘の衝撃!」などと謳われた予告編を観るかぎり、かなりミステリ色が強い「推理モノ」の作品かと思いきや、実際にはその要素はあまりなく、完全に”ヒューマンドラマ”に寄った作品だった。冒頭こそノースカロライナの湿地帯で青年の変死体が発見され、その容疑者として、湿地帯の家でたったひとり育ったカイアという女性が逮捕されるのだが、物語自体はこのカイヤの生い立ちにフォーカスしていく。それと同時に、中盤以降では彼女の裁判の様子が同時に描かれていくという構成になっている。また「事件の真相は、初恋の中に沈む」というキャッチコピーからも伺えるように、恋愛要素も強い作品だと言えるだろう。

舞台は1950年代のノースカロライナ州。父親の暴力によって母親が家を出てから兄姉たちも散り散りになり、幼い頃に家族を失ったキャサリン・クラーク(カイア)は、湿地帯にある自宅で一人たくましく生き抜いていた。そんな彼女にとって、唯一心を許せるのが幼馴染のテイトであり、カイアは彼から文字の読み書きを教わることで、本を読み知識を得ることの楽しさを知る。そして長い時間を一緒に過ごす中で、いつしか2人の間には恋愛感情が芽生え、恋人同士になっていく。ところがテイトは大学に進学するために都会へ行くことになり、カイアに「必ず独立記念日には帰ってくる」と約束するが、彼は湿地帯に現れなかった。失意に暮れるカイアだったが、彼女は自分の住む湿地帯の研究を続け、生態系をイラストにするという作業に没頭していく。それから数年の時が流れた1965年。19歳になったカイアは近くの街に暮らす青年チェイスと知り合い、猛アプローチを受ける。そして自らの孤独を癒すためにカイアは彼を受け入れ、徐々に心を許していく。

 

ここからネタバレになるが、チェイスから結婚の話をされた、ちょうど同じ頃、昔カイアの元に戻らなかった元恋人テイトが故郷に帰ってくる。そしてテイトはカイアに約束を破ったことを謝罪し、もう一度チャンスが欲しいと伝えるが、もちろんカイアはテイトを許す気にはなれず、彼を突き放す。だが、たまたま町に出かけたカイアは、チェイスが別の女性とも婚約していたことを知ってしまう。また人に裏切られたと激怒するカイア。そして「本当に愛しているのは君だけだ」と嘘を重ねるチェイスに、カイアは冷たく別れを告げる。だがそんな彼女をチェイスは暴力を振いレイプしようとするが、カイアは何とか難を逃れる。だが家の中をめちゃくちゃに破壊され、彼女は命の危険を感じていた。そんな時、たまたま本の出版が決まった彼女は、少し地元を離れるが、そのタイミングで湿地帯ではチェイスの死体が発見される。しかも、チェイスが前日まで身に着けていたカイアからのプレゼントである、ネックレスがなくなっていたのだ。そして物語は冒頭に戻り、警察はカイアを殺人容疑で告発するのである。

 

 

映画は大きく、「死体の発見パート」「幼少期~少女期(カイアとテイトとの出会い)」「成長期(カイアとチェイスの出会いと別れ)」「裁判での判決」「カイアとテイトの老年期と真実」という構成になっており、上記の流れを経て、裁判ではデビッド・ストラザーン演じるトム・ミルトン弁護士の敏腕ぶりにより、カイアは無罪を勝ち取る。だがこの時点で、「では誰がチェイスを殺したのか?」という疑問が残るので、このまま映画が終わるはずがないし、「そう考えると・・・」という逆算から、エドワード・ノートンの怪演が印象的だった「真実の行方」を思い出すようなオチに、たどり着くだろう。本作ではカイアかテイトしか、チェイスを殺す動機がある人物はいないのである。そして、もちろんそこに至る伏線も張り巡らされている。「自然界では自らが生き延びるために天敵を殺し、そこに善悪の意識は無い」、これはカイア自身の言葉だ。カイアは湿地で生きる鳥や植物や昆虫たちの生態から学び、生きる術を教わってきたのである。町の人々は彼女を「湿地の娘」と呼んで蔑み遠ざけてきたが、彼女が湿地で生き抜きアイデンティティを構築してきたこと、これは紛れもない事実だ。だからこそ、彼女は自然の法則に従い、自分の命を守ったのであろう。

 

実際に、彼女がどうやってチェイスを殺害したのか?は本作では描かれない。裁判中に検察側が指摘していたように、町外のホテルから深夜バスで往復したことによって移動し、深夜にチェイスを呼び出して”やぐら”から突き落とした、もしくは上から重い床板を落下させたという事だろうが、この辺りの詳細を描かないことからも、本作はミステリ要素を重視した作品ではないことがわかる。ただラストのカイアが老衰で亡くなった後、テイトが彼女の手帳からチェイスのペンダントを見つけ、それを沼に葬るという流れは、いかにも映画的だし(原作は小説だが)、ラストシーンとして重層的な余韻が残る。タイトルの「ザリガニの鳴くところ」とは、「母さんが”自分を守る為に向かう場所”だと言っていた」という兄ジョディのセリフがあったが、架空の場所でありながらも、カイアにとっては母親を思い出す場所であり、心の平穏が得られる場所なのだろう。そしてそれこそ、彼女にとってはこの”湿地帯の全て”がそれに当たる。カイヤにとって湿地帯が、命ある限り離れがたい場所であることは、DV父親の元から母兄姉の全員が出て行った後でも、彼女だけは絶対にそこを離れなかったことからも、序盤からすでに示唆されていると思う。

 

そして本作を観てもう一点、強烈に思うことは、男たちの卑劣ぶりだ。父親は朝鮮戦争からの帰還兵なのか恐らくPTSDを患っており、家族内でDVを繰り返す。本来は最愛の恋人であるはずのテイトでさえも、自分の人生を優先することでカイアとの約束を破り、連絡もなく湿地には数年間戻ってこないし、チェイスに至っては弁解の余地がないくらいのクズだ。ホテルでのチェイスとカイアのセックスシーンにおける、彼の一連の行動には男である自分でも目を伏せたくなるくらいである。かつては貧しさや男性からの暴力で苦しみ耐えていた女性たちが、もう一度自分の力で人生を勝ち取り切り開こうとする、本作でのカイアの姿はヒロイックで感動的だったと思う。そして本作のもうひとつの特徴は、美しい大湿原が描かれていることだ。ここまで湿原自体が舞台となった作品はあまり類がないのではないだろうか?これこそが、本作を劇場で鑑賞する一番の理由かもしれない。

 

地味だが、静謐で上質なヒューマンドラマだったという印象の本作。脚本に面白さを感じるタイプではないし、”本年度必見の一作”という程ではないが、満足感のある作品だったと思う。特に主演のデイジーエドガー=ジョーンズが良い。芯の強い女性の美しさがしっかりと表現できていたし、湿地で暮らす女性という設定にも関わらず、非常に上品な気高さがあった。エンドクレジットで流れる、テイラー・スウィフトの「キャロライナ」というオリジナルソングもカントリー調の優雅な楽曲で、本作の雰囲気にフィットしていたし、美しい作品だったと思う。

 

 

6.5点(10点満点)