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映画「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」ネタバレ考察&解説 あの唐突な終わり方の意図とは?母であり妻である女性ジャーナリストたちの闘い!

「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」を観た。

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「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」のマリア・シュラーダーが監督を務め、「ドライヴ」「プロミシング・ヤング・ウーマン」のキャリー・マリガンと、「ルビー・スパークス」「ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ」のゾーイ・カザンが主演した社会派ドラマ。「それでも夜は明ける」などを手掛けた、ブラッド・ピット率いる「プランBエンターテイメント」が記事の出た数か月後には映画化権を獲得し、製作総指揮を手がけている。「#MeToo」の元になった、映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる性的暴行を告発した、2人の女性記者の活躍を描く。第80回ゴールデングローブ賞でも、キャリー・マリガンが「最優秀助演女優賞」にノミネートされている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:マリア・シュラーダー
出演:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソンアンドレ・ブラウアー、アシュレイ・ジャッド
日本公開:2023年

 

あらすじ

ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイーとジョディ・カンターは、大物映画プロデューサーのワインスタインが数十年にわたって続けてきた性的暴行について取材を始めるが、ワインスタインがこれまで何度も記事をもみ消してきたことを知る。被害女性の多くは示談に応じており、証言すれば訴えられるという恐怖や当時のトラウマによって声を上げられずにいた。問題の本質が業界の隠蔽体質にあると気づいた記者たちは、取材対象から拒否され、ワインスタイン側からの妨害を受けながらも、真実を追い求めて奔走する。

 

 

感想&解説

90年代に一世を風靡した映画プロダクション「ミラマックス」の創業者であり、インディペンデント映画の配給でスティーヴン・ソダーバーグ監督「セックスと嘘とビデオテープ」、クエンティン・タランティーノ監督「パルプ・フィクション」、ガス・ヴァン・サント監督「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」などを送り出してきた、映画プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインミラマックスは「イングリッシュ・ペイシェント」「恋におちたシェイクスピア」などのアカデミー作品賞を筆頭に、いくつものオスカーを獲得しているが、同時に”オスカー・キャンペーン”を根こそぎ変えてしまった人物としても有名だ。ノミネートされたライバル作品のネガティブキャンペーンを仕掛けたり、過剰なお金を使って広告戦略を立てたり、監督やスターを試写やパーティに呼んでアカデミー会員にセッティングしたり、選挙戦ばりにアカデミー会員に電話攻撃を仕掛けたりといったやり方は、作品単体の評価とは別の効果を生んだ為、今では禁止になった手法ばかりだ。映画プロデューサーとしてやり手だったことは事実だろうが、強引なやり口でも有名だった訳だ。

そんな20年以上にわたりハリウッドの頂点に君臨したハーヴェイ・ワインスタインが、長年にわたって多数の女性を暴行し、さらに被害者が事件をメディアなどに口外しないよう口止め工作を行ってきたことが、2017年にNYタイムズ誌によって世界中に大きく報道された。その後この報道は、「ピューリッツァー賞公益部門」を受賞、さらに「その名を暴け #MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」というベストセラー本を産むことになり、一連の報道の影響を受けて、ワインスタイン・カンパニーは破産、ワインスタイン自身も強姦などの罪で起訴され、禁錮23年の刑を受けた。これが性暴力・セクハラを受けていた女性たちが声を上げる「#MeToo運動」と呼ばれる、世界的な社会現象へとつながったことは記憶に新しい。そして本作「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」は、まさにそれらの映画化なのである。

 

とにかく映画作品としては、”アンチカタルシス”な作りだと思う。誤解を生む表現かもしれないが、安易に楽しめるタイプの娯楽映画ではないのだ。演出も終始平坦であり、大仰に盛り上げたり泣かせる展開は用意されていない。BGMも必要最低限しか鳴ることはなく、ある意味で淡々と映画は進行していく。だがこれは事件発覚から日が浅く、この事件に対して、まだ作り手からの”過度なメッセージ性”を込めたくなかったという意図だと感じる。それよりも本作は、この世にもおぞましい事件の全容を正確に、そして鮮明にスクリーンに刻むことを目的に作られているように見えるのだ。それがこの実際に起こった事件の被害者や関係者に対しての、もっとも真摯な姿勢だということなのだろう。ドイツ出身の女性監督であるマリア・シュラーダーは、女性として被害者たちの心情に寄り添いながらも、あえて冷静に、そして少し俯瞰した視点からこのハリウッドを揺るがした事件を描いているのである。

 

鑑賞中もっとも頭に浮かんだ作品は、やはり1976年のアラン・J・パクラ監督「大統領の陰謀」だ。ワシントン・ポスト紙に所属する二人のジャーナリストが、ニクソン政権下のウォーターゲート事件を調査し、体制に逆らいながら記事にしていくさまを描いた社会派サスペンスで、ダスティン・ホフマンロバート・レッドフォード名優二人の演技が印象深い傑作である。二人の新聞記者が巨大な権力者に立ち向かいながら、真実を追い求めるという基本的な構造は非常に近しいし、デスクが整然と並ぶ新聞社というロケーション自体も、時代は違うがやはり似通った光景に見える。また実際のジャーナリストたちの手記を元にしたドラマという部分も、本作と同じである。「波止場」「エデンの東」などで有名なエリア・カザンの孫娘にあたる、ゾーイ・カザンが演じたジョディが、「祖母の腕に刻まれた数字」というセリフを言うシーンがあるが、これはホロコーストからの生還者だということだろう。これによってジョディがユダヤ系だという事が示されるが、「大統領の陰謀」でダスティン・ホフマンが演じた、カール・バーンスタインユダヤアメリカ人だ。彼とロバート・レッドフォード演じるボブ・ウッドワードとのコンビは、本作のジョディとキャリー・マリガン演じるミーガンとの組み合わせにも近いのだ。

 

 

だが本作と「大統領の陰謀」で決定的に違う点は、主人公が女性であり母親であるという点だろう。この映画ではミーガンとジョディの生活の様子が描かれる。ミーガンは妊娠中から子育ての経過まで描かれ、それぞれの夫の描写まである。本来の作品のテーマからすれば、「大統領の陰謀」のように主人公たちがひたすら巨悪を追い詰めるために取材を進め、正義のペンを振う姿を描くだけで良いだろう。だがこれらのシーンを描く意味は、彼女たちが一般のどこにでもいる女性だという事を伝えるためだ。これだけの大きな仕事を成し遂げた彼女たちも普通に家庭を持ち、時には子育てに悩む”地に足の着いた”女性たちだという事を描くことで、過剰なヒーロー性が薄まる。それと同時に世の女性たちが持っている、勇気と能力にフォーカスしているのだと思う。この作品の中で事態を変えていくのは、すべて勇気を振り絞った女性たちだからだ。

 

中盤の印象的なシーンに、バーの場面がある。NYタイムズの編集局次長レベッカとミーガン、ジョディが事件について語っていると、男性がナンパしてくるシーンだ。最初は「大事な話をしてるから、向こうに行ってほしい」と言うミーガンだったが、最後はしつこい男に対して大声で「向こうへ行け!」と怒鳴る場面。まるでハーヴェイ・ワインスタイン本人に言っているかのようなこのシーンは、卑劣な男たちに向けた圧倒的な「NO」の表現だ。言われた男は「Crazy Bitch」と言い残し去っていくが(字幕では「不感症女だ」となっていた)、ミーガンも恐怖やリスクを感じていただろうに、席を移るでもなく中途半端な態度を取るでもなく、あのきっぱりした対応は胸がすくシーンだった。この場面はフィクションのようだが、彼女は普段から誰しもにあの対応をしている訳ではなく、ハーヴェイ・ワインスタインと戦うことを決意し、怒りに燃えているからこその行動だという演出意図だと感じた。あの場面だけでミーガンの決意が表現された良い場面だったと思う。

 

それにしてもこの内容の作品で、すべて実名というのも驚かされる。冒頭から「プラネット・テラー in グラインドハウス」(この作品の製作はワインスタイン・カンパニーだ)に出演していたローズ・マッゴーワンや、「恋におちたシェイクスピア」のグウィネス・パルトローらの名前が挙がり、「ヒート」「コレクター」などに出演していたアシュレイ・ジャッドに至っては、なんと本人役としてアシュレイ本人が出演している。グウィネス・パルトローは、本作の製作をしている「プランBエンターテイメント」代表であるブラッド・ピットの元恋人であり、ブラッド・ピット本人も過去にハーヴェイ・ワインスタインに対し、グウィネスに対するセクハラについて”強い言葉”で警告した過去を認めている事から、彼が本作を製作する流れは自然だったのだろう。ちなみに被害者の一人であるローラが、子供たちと映画を観ているシーンで、「ペッパー・ポッツって誰だっけ?」というセリフがあるが、もちろんこれは「アベンジャーズ」におけるグウィネス・パルトローが演じていたキャラクターの役名で、本作ほぼ唯一のほっこりシーンだったことは記載しておきたい。ミラマックスに所属していた被害者である女性スタッフや、ハーヴェイ・ワインスタインの周りにいる会社関係者や弁護士たちもすべて実名で登場し、ドキュメンタリーの一面としても本作は価値があると感じる。

 

「問題は(被害者ではなく)性加害者の方を守る、法のシステムにある」という本作中のセリフがある。記事を公開する場面をラストシーンにして、その後の顛末はエンドクレジット前に文字で処理するという唐突で素っ気ない終わり方は、ワインスタインが逮捕された事実は周知とはいえ、このセクハラや性暴力はまだ決して終わった問題ではないため、エンディングの後味として安易なカタルシスや大団円が相応しくないからだろう。「良かった、良かった」で劇場を後にできる作品ではないのだ。繰り返しになるが、エンターテイメントとして気楽に観に行くという作品というよりは、この歴史に残る事実を体験し、知っておくための映画なのだと思う。劇中のセリフ、「あなたに起きたことは変えられない。でも事態が繰り返されることを止め、未来を変えることは出来る」、まさにこの軌跡を描いた作品だ。終盤にある、NYタイムズに訪れたハーヴェイ・ワインスタインを見る、ミーガンの表情。あの場面におけるキャリー・マリガンの演技は、本作のすべてを物語っていたと思う。

 

 

7.5点(10点満点)