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映画「イニシェリン島の精霊」ネタバレ考察&解説 指を投げつける理由は?ロバのジェニーの意味するものは?二人の家の扉の色が違う理由は?監督が描くこの寓話が意味するものとは?

「イニシェリン島の精霊」を観た。

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ヒットマンズ・レクイエム」「セブン・サイコパス」のマーティン・マクドナー監督が、世界の賞レースを席巻した「スリー・ビルボード」から5年ぶりに公開した、ヒューマンドラマ。「スリー・ビルボード」と同じく、サーチライト・ピクチャーズとタッグを組んでの公開となっている。主演はマクドナー監督の長編デビュー作だった、「ヒットマンズ・レクイエム」でも共演していた、コリン・ファレルブレンダン・グリーソン。他の出演は「聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア」「エターナルズ」のバリー・コーガン、「ドリームランド」のケリー・コンドンなど。第95回アカデミー賞でも「作品賞」「監督賞」「主演男優賞」「助演男優賞」「助演女優賞」「脚本賞」「編集賞」「作曲賞」の8部門でノミネートされており、第80回ゴールデングローブ賞でも「最優秀作品賞」「最優秀主演男優賞」「最優秀脚本賞」を受賞している超話題作だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:マーティン・マクドナー
出演:コリン・ファレルブレンダン・グリーソンバリー・コーガン、ケリー・コンドン、ゲイリー・ライドン
日本公開:2023年

 

あらすじ

1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。

 

 

感想&解説

映画の舞台となる、このイニシェリン島とは架空の島らしい。ただモデルになった場所はあるようで、アラン諸島というアイルランド西部に位置する島々の中で、もっとも大きな「イニシュモア」と呼ばれる島で、本作の撮影は行われたようだ。この風光明媚なロケーションが生み出す世界観は、映画の大きな魅力になっていると思うが、片や強い”閉塞感”も描いている。島に住む人々の、ただ毎日同じルーチンを繰り返すだけの日々。それに気づいてしまい、人生に新しい価値を生み出そうと考えた男と、そのルーチンが人生の喜びである男との対立を描いた本作は、シンプルなストーリーだが非常に”寓話的”だ。まるでこの島自体と彼らの関係が、なにかの象徴のように感じるのである。そして本作は1928年を舞台にしているため、いつも住民たちが見ているイニシェリン島の対岸にある本島では、アイルランド内戦が起こっており、銃声や大砲の号砲が聞こえてくる。

ストーリーの始まりとしては、毎日午後2時になると、島で唯一のパブで酒を飲む事が日課コリン・ファレル演じるパードリックが、いつものように親友であるブレンダン・グリーソン演じるコルムの家を訪れるのだが、なぜか彼は素っ気なく無視する。後からパブに訪れたコルムに、「全く覚えていないが、俺が何かしたなら言ってくれ。謝るから。」と理由を聞き出そうとするパードリックだったが、コルムは「お前は何もしていない。そしてお前と話をしていても学ぶことがなく、つまらない。もう好きでもない。」と告げ、その場を去ってしまう。突然、親友を失ってしまい苦悩するパードリック。コルムはバイオリンの奏者で、パブでは満足そうに仲間たちと演奏をしているが、パードックにはまったく近づこうとしない。

 

翌日、パブにひとりでいたコルムに思わず感情をぶちまけるパードリックだったが、コルムはバイオリンを弾きながら、「これからの人生はバイオリンで作曲をして生きる。他のことに時間をかけたくない。お前と無駄な時間を過ごしたくない。」と言い、これからパードリックがコルムに話かけたら、自らの指を切り落とすと宣言する。それだけ彼は本気であるというのだ。この言葉を聞き、さらに混乱し消沈するパードリック。ここからネタバレになるが、その後実際に彼は自分の指を切り落として、パードリックの家に投げつけるという行動に出る。この事件の後、パードリックはパブで新人ミュージシャンがコルムと話しているのを目撃する事で嫉妬に駆られてしまい、彼を島から追い出そうと嘘をつく。この嘘が原因となり、コルムはすべての指を切り落とし、パードリックの家に投げつける。さらに唯一の肉親である妹シボーンが島を離れ、一層孤独に陥るパードリック。そんな時、更なる悲劇が起こる。コルムの切られた指を食べたことで、ロバのジェニーが死んでしまったのだ。この事件をきっかけに、彼らの諍いは加速度を増していく。そして、ついにパードリックはコルムの家に火を放ってしまう。

 

劇中、パブにいるコルムに激高したパードリックが詰め寄るシーンで、「俺は良い人間だったのに、なぜお前は変わってしまったんだ?」と問いかける場面がある。それに対して、コルムは「モーツァルトはなんで有名になったんだ?彼は友達に優しくしたから有名なのか?良い人間というだけで周りに覚えてもらえるのは、せいぜい死後15年だ。モーツァルトは全く良い人じゃなかったけど、誰だって知ってるだろ?俺は芸術に生きたいんだ。」と彼に伝える。この映画の最大の謎は、「なぜコルムはパードリックを拒否するようになったのか?」だが、それはこのシーンにすべて描かれている。彼らの生きていく上での、優先するべき価値観が変わったからだ。個人的に、このシーンではデイミアン・チャゼル監督の「セッション」を思い出した。マイルズ・テラー演じる主人公が、J・K・シモンズ演じる鬼教官との出会いによって、すべてを犠牲にしても芸術を優先するという、偏った生き方を選ぶ物語だったからだ。

 

 

パードリックが大事に飼っているのは、ロバのジェニーだ。西洋でロバは、頑固で融通の利かない所や新しい物事を嫌い、駆け引き下手なところから、しばしば愚鈍さの象徴として用いられていている。ロバのジェニーは、パードリックの愚鈍さと良心の象徴だ。それと呼応するように、本作にはバリー・コーガン演じる”ドミニク”というキャラクターが存在し、島で一番の愚か者だと言われているが、彼はふとした時にフランス語の単語を理解し、パードリックの妹であるシボーンにも自分で愛を告げる。さらにシボーンが川の対岸にいる死神の不吉な手招きを受けた時、そこに彼が突然現れたことによって、シボーンが向こう岸に行く事を防いでいる。ドミニクは"無垢"の象徴であり、自主的に考えて行動できるキャラクターだ。だがパードリックはそんなドミニクの本質を見抜けず、彼を自分よりも格下に見ている。本作でもっとも愚鈍なのは、このパードリックなのである。

 

本作は新しい生き方を選んだコルムと、過去から抜け出せないパードリックの争いが描かれる。よってこれはどちらが正しいとか間違っているという事ではなく、”価値観の相違”が起こした争いなので、ラストでも二人の間に明確な決着はつかない。家に火を放ったパードリックは、コルムが死んでこそ”おあいこ”だったと告げ、「終わらないほうが良い戦いもある」とその場を去る。そしてこの二人の戦いは、対岸で行われている「アイルランド内戦」に重ねられている。バイオリニストのコルムにとって「指を切る」という行為は、文字通り「血の代償」を払う行為だ。そしてこの行動は、音楽で偉業を成し遂げたいと告げるコルムの発言とも矛盾するし、現実的にはあり得ない選択だろう。だが本作は映画であり、マーティン・マクドナー監督の描く”寓話”なのだ。1916年にアイルランドはイギリスからの独立を目指し、一部が蜂起したことで独立を宣言したが、それが北アイルランドと南アイルランドの分裂に繋がり、内戦が勃発したという史実。本作ではその戦いを「切り取られ、血塗られた指」を投げつけるという、映画的なメタファーで表現しているのだろう。そして、彼らの争いによって失った二つの命は戻らない。これは実際の戦争と同じだ。これぞ映画ならではの、素晴らしい表現手法だと思う。

 

またパードリックとコルムの家の扉は、それぞれ緑と赤に色分けされていたが、これも作劇的な意味があると感じた。アイルランドの国旗は左端が緑、中央が白、そして右端がオレンジなのだが、この配色は緑はケルトカトリックなどの旧式の文化を、オレンジはプロテスタントの新興文化を表し、中央の白は両教徒が融和することを表現している。だがアイルランド内戦は、そもそも北アイルランド(及びイギリス)が信仰しているプロテスタントと、南アイルランドが信仰しているカトリックの争いでもあった。コルムのドアの色を赤、パードリックのドアを緑に設定することで、視覚的にこの二人の争いをアイルランド内戦に重ねているのも面白い。さらにこの争いが過熱するに伴って、無垢の象徴であるドミニクは自ら命を落とす。この死の直接の原因について、あえて説明しないのは、戦争で市民が突然命を落とす”理不尽さ”を表現しているからだ。そして「スリー・ビルボード」における広告看板のように、最後は赤いドアのコルムの家が、パードリックの放火によって炎に包まれるのである。

 

タイトルにもなっている「イニシェリン島の精霊」の精霊とは、その声が聞こえたら死者が出るという、アイルランドの言い伝えに登場する妖精が元になっているらしい。本作ではその象徴のように現れるマコーミックというキャラクターや、本作で唯一の明るい未来を感じさせる妹のシボーンの存在など、各キャラクターが特徴的で面白い上にセリフの意味が重層的な為、最後までまったく飽きが来ない。ただし表面的に起こっていること自体は、ほとんど中年おじさん二人の諍いだけなので、非常に地味な作品に見えるだろう。だが場面のひとつひとつを深堀すればするほど、面白くなるタイプの作品だと思う。間違いなく「スリー・ビルボード」に続いて、今年のアカデミー賞でも高く評価されるべき、マーティン・マクドナー監督の新たな傑作だろう。

 

 

8.5点(10点満点)