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映画「バビロン」ネタバレ考察&解説 あのラストのモンタージュの意味は?全編に登場する汚物は何を表現している?そして本作の描くテーマとは?

「バビロン」を観た。

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「セッション」「ラ・ラ・ランド」などのデイミアン・チャゼル監督が、1920年代における激動のハリウッド黄金時代を舞台に、夢を叶えようと藻掻く男女を描いた作品。「ファースト・マン」以外の過去作同様、監督自身がオリジナル脚本を手がけている。第95回アカデミー賞では「美術賞」「衣装デザイン賞」「作曲賞」にノミネート、第80回ゴールデングローブ賞では、「最優秀作曲賞」を受賞していた他、4部門にノミネートされた。出演は「セブン」ブラッド・ピット、「スーサイド・スクワッド」のマーゴット・ロビーら2大豪華キャストの他、「スパイダーマン」シリーズのトビー・マグワイア、「フェンス」のジョバン・アデポ、今回がハリウッドデビュー作となったディエゴ・カルバ、「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のフリーなど多彩なキャストが出演してる。音楽は「ラ・ラ・ランド」のジャスティン・ハーウィッツが音楽を手がけた。とてつもない巨額の製作費がかかったらしい本作、今回もネタバレありで感想を書いていきたい。


監督:デイミアン・チャゼル

出演:ブラッド・ピットマーゴット・ロビー、ディエゴ・カルバ、ジーン・スマート、トビー・マグワイア

日本公開:2023年

 

あらすじ

夢を抱いてハリウッドへやって来た青年マニーと、彼と意気投合した新進女優ネリー。サイレント映画で業界を牽引してきた大物ジャックとの出会いにより、彼らの運命は大きく動き出す。恐れ知らずで美しいネリーは多くの人々を魅了し、スターの階段を駆け上がっていく。やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せ、彼らの運命は徐々に狂っていく。

 

 

感想&解説

デイミアン・チャゼル監督の”作家性”が、ハッキリと刻印された超大作だ。序盤で映画制作を夢見るマニーと、マーゴット・ロビー演じる新人女優のネリーがドラッグをキメながら、「偉大なもの、意味のあるものの一部になりたい」というセリフがあり、これは”映画史に名を残したい”という、まるでチャゼル監督からのメッセージにも聞こえる。思い返せば監督デビュー作の「セッション」は、自他共にいかなる犠牲を払っても自らの信じた音楽の道を突き進むことで、遂に手に入れた鬼教官との”セッション”を描いた作品であったし、二作目の「ラ・ラ・ランド」は愛と自分達の成功をトレードオフするしかない、ミュージシャンと俳優の恋愛を描く作品だったが、このデイミアン・チャゼルという監督は(オリジナル脚本ではない「ファースト・マン」を除いて)、一貫して音楽や映画といったショービズの世界で勝ち上がることを目指し、その世界で生き抜くために、人生を犠牲にするキャラクターたちを描いている気がする。

そして、本作のテーマは”映画そのもの”だ。”キャラクターが描けていないから誰にも感情移入できない”という本作の評価を見たが、これは明らかに意図的な演出だろう。本作では、映画もしくは映画業界という、巨大で得体の知れない”魔物”をメインテーマに据えており、それに魂を吸われていくキャラクターたちは、この業界のあくまで一例なのだ。だから彼らの思想や背景、感情の機微が細かく描かれることはない。本作の主役は、映画業界と映画そのものだからだ。1920年代のサイレント映画時代におけるハリウッドが急成長している上に、なんの撮影上の規制もない時代が前半で描かれるのだが、これはまさに狂乱、酒池肉林の極致だ。タイトルになっている「バビロン」とは、聖書に登場する古代のバビロニア帝国の首都のことで、画家ブリューゲルが描いた、天にも届く神の領域まで手を伸ばそうとした「バベルの塔」でも有名だろう。あまりにも栄華を極めた為に退廃してしまった神話上の都市なのだが、冒頭で描かれるパーティーシーンはまさにそれを表現している。集まった業界人たちが酒とドラッグとセックスに溺れ、浮かれている姿をかなり長い尺を取って描写していくのだ。


本作の上映時間はなんと189分と3時間超えなのだが、この映画においてはこの長さにも意味がある。このサイレント映画の全盛期から、アラン・クロスランド監督の1927年「ジャズ・シンガー」という世界初トーキー作品の登場によって、業界が大変革される1920年代の映画界を描いていくため、この上映時間によって”盛者必衰”の展開が観客にも実感として感じられるのだ。冒頭のパーティーシーンが、悪趣味なくらいに煌びやかで長いのも、後半に俳優たちが落ちぶれていく描写を際立たせるためには必要な尺なのだろう。ちなみにトーキーの出現によって、サイレント映画の人気俳優が没落していくという展開は、ミシェル・アザナヴィシウス監督による、第84回アカデミー作品賞受賞の「アーティスト」を思い出すが、あの作品におけるフランス人俳優のジャン・デュジャルダンが演じていた、”ジョージ・ヴァレンティン”という俳優役は、ジョン・ギルバートという口髭をたくわえた実在の俳優をモチーフにしている。そして本作のブラッド・ピット演じるジャックも同じく、このジョン・ギルバートをモデルにしているのが面白い。それだけ彼がサイレント時代の大スターだったということだろう。


ここからネタバレになるが、このトーキー時代の到来が当時のサイレント俳優たちにとって、どれだけ苦難の時期だったかが描かれるのは興味深い。ブラッド・ピット演じるジャックは、「時代の変化は受け入れるべきだ」という考えの持ち主だったにも関わらず、彼が初めてトーキー作品に出演した際に、観客から笑われてしまうという場面がある。映画は市井の人たちが希望を持つ為に必要であり、演劇よりも崇高な芸術だと信じるジャックが、その観客から声の演技を失笑されてしまうこのシーンは、その後の展開において大きな意味を持つ。女性評論家エリノアに「彼はもう落ち目だ」と書かれたジャックに、エリノアは「あなたが笑われたのに理由はない。俳優として時代に取り残されただけ」と伝え、「でも俳優は本人が死んでも、作品が残るから幸せなのよ。」と語るシーンは、ブラピの寂しげな演技と共に印象的な場面だった。またジャックが自殺するシーンの直前に、ドイツの”ドレスデン”という街について触れる場面があるが、第二次世界大戦において無差別爆撃を受けることになる街の名前をさり気なく出すことで、これから起こる悲劇を予感させるセリフなどは、非常に上手い。

 

 


さらにマーゴット・ロビー演じるネリーが蛇に噛まれ大混乱になるシーンの、”この狂乱時代もいつか終わるのだろう”という長回しの表情など、本作におけるブラッド・ピットは、本当に素晴らしい。アカデミー賞にノミネートされていないのが不思議なくらいだ。またマーゴット・ロビーも、演技の面ではどんな時でも涙が出せる天才肌だったにも関わらず、トーキーの出現で自由な演技が出来ずに、落ちぶれていく女性を体当たりで演じている。彼女にもクララ・ボウという、自由奔放なセックス・シンボルの実在モデルがおり、1929年の大恐慌以降その奔放さが非難されて人気が衰えていった女優らしい。キャリア起死回生をかけた、上流階級でのパーティシーンにおける、「Fワード」連発のからのゲロシーンなど、本作のマーゴット・ロビーは完全に突き抜けていて痛快だ。だがネリーはマニーと結婚を約束するも、ギャンブルによる借金が原因で、最後はギャングに殺されるという悲劇が用意されており、残念ながら彼女にとって幸せな結末には着地しない。安易なハッピーエンドにはしないという、チャゼル脚本らしい展開だろう。


それにしても本作は、冒頭から糞におしっこ、ゲロやタンといった汚物のフルコースだが、これも意図を感じる。劇中の撮影でも、槍が刺さったり熱中症で倒れたりと、バンバン死人が出るし、終盤ではトビー・マグワイア演じるサイコパスなギャングが、映画会社の重役に成長したマニーに自分の考えた脚本の話をする上に、金のためには生きたネズミを丸のみする男を、映画に出演させろなどと言う。これはいわば、映画業界のダークサイドを描いているのだろう。デイミアン・チャゼル監督が考える、”映画”の一面なのだ。煌びやかに見える銀幕の内側は、まるで排泄物が飛び交うような汚れた業界であり、トビー・マグワイアが連れていく地下トンネルのような、”Assholl"と同じだと描いているのである。さらに黒人でトランペットの名手であるシドニーが、照明が当たって白く見えるから、顔を塗料で黒く塗れと言われるシーン。これは白人が顔を黒く塗って踊りや音楽を行った、”ミンストレル・ショー”を思わせる。もちろん差別的なショーなのだが、映画の撮影のためにはこういった人種差別も強要される世界だという事だ。映画は汚く猥雑で、”見世物”の側面があり、キラキラして甘ったるい感傷的な面だけではないという事を、これらの表現を通して伝えているのだと思う。


そして問題なのは、ラストシーンだ。歳をとったマニーが妻と娘を置いて劇場にいき、ジーン・ケリー監督の「雨に唄えば」を観ながら涙を流す場面で終わる。だが、その最中に多くの過去名作のモンタージュが現れる。パッと思い出せるだけでも、ジョルジュ・メリエス月世界旅行」、ヴィクター・フレミングオズの魔法使」、オーソン・ウェルズ市民ケーン」、ルイス・ブニュエル「アンダルシアの犬」、ウィリアム・ワイラーベン・ハー」、スタンリー・キューブリック2001年宇宙の旅」、スティーヴン・スピルバーグ「レイダース/失われたアーク」、さらに「ターミネーター2」や「マトリックス」「アバター」まで現れて、ザっと映画史を一望させるのだ。ここで冒頭の「偉大なもの、意味のあるものの一部になりたい」という、マニーのセリフが甦る。これはデイミアン・チャゼル監督の願望だと書いたが、ここに本作「バビロン」の各シーンを付け加える演出によって、すでにこの作品自体もその一端であるという宣言であるとも感じるのだ。あの場面は、過去から脈々と続く映画史へのリスペクトを表現したものだろうが、表示されるのは60年代以降の作品がほとんどなので、登場人物であるマニーの視点ではなく、間違いなく監督自身の視点だ。これらの名作に自分の作品を平然と並べるという演出は、間違いなく不遜に映るだろう。若いチャゼル監督が生意気に感じてしまうのだ。このあたりがアカデミー作品賞/監督賞にノミネートされなかった理由だと感じてしまった。


とはいえ3時間を超える上映時間にも関わらず、退屈さは感じない。ショットのすべてが本当に贅沢で、とんでもない予算で撮られた作品なのが画面からヒシヒシと伝わってくるし、こういう超大作こそ映画館の大スクリーンで観るのに相応しいだろう。内容的に日本での興行成績は厳しそうだが、デイミアン・チャゼル監督だからこそ撮れた”映画”をテーマにした作品だし、ジャスティン・ハーウィッツが手掛けた音楽も、かなり「ラ・ラ・ランド」を彷彿とさせて微笑ましい。監督のジャズ嗜好は、相変わらず健在だ。映画をテーマにした作品として、3月に公開になるスピルバーグの「フェイブルマンズ」と比べてみるのも面白いかもしれない。

 

 

7.0点(10点満点)