「アラビアンナイト 三千年の願い」を観た。
「ロレンツォのオイル 命の詩」「ハッピー フィート」「マッドマックス」シリーズなどのジョージ・ミラーが、「怒りのデス・ロード」以来8年ぶりに製作/脚本/監督を担当したファンタジーロマンス。ジョージ・ミラー監督にとっては、劇場長編10作目という節目にあたる映画であり、イギリスの作家A・S・バイアットの短編集「ザ・ジン・イン・ザ・ナイチンゲールズ・アイ」をベースに映画化した作品だ。ちなみに脚本にクレジットされている “オーガスタ・ゴア”とは、ジョージ・ミラー監督の実娘である。主演は近年、「ザ・スーサイド・スクワッド」「ソー ラブ&サンダー」「ビースト」といった超大作が続いているイドリス・エルバ、「コンスタンティン」「ムーンライズ・キングダム」「サスペリア」などのティルダ・スウィントン。すでに次回作の「フュリオサ」を製作しているジョージ・ミラーが、久しぶりに撮影した監督作ということもあり、注目が集まっている本作。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ジョージ・ミラー
出演:イドリス・エルバ、ティルダ・スウィントン、アーミト・ラグム、ニコラス・ムアワッド、エチェ・ユクセル
日本公開:2023年
あらすじ
古今東西の物語や神話を研究する学者アリシアは、講演先のイスタンブールで美しいガラスの小瓶を買う。ホテルの部屋に持ち帰ると、中から巨大な魔人が飛び出し、瓶から出してくれたお礼に「3つの願い」をかなえると申し出る。しかし物語の専門家であるアリシアは「願い事」を描いた物語にハッピーエンドがないことを知っており、魔人の誘いに疑念を抱く。魔人は彼女の考えを変えさせようと、3000年におよぶ自らの物語を語り出す。
感想&解説
ジョージ・ミラー監督の最新作というだけで、「内容はさておき観なくては」という方は多いのではないだろうか。出世作となったオーストラリア産バイオレンスアクションの「マッドマックス1~3」を始め、人間賛歌に溢れた難病ドラマ「ロレンツォのオイル 命の詩」、動物たちの精巧なアニマトロニクスに驚かされた「ベイブ」、まさかのペンギンを主人公にしたミュージカルCGアニメ「ハッピーフィート」と、多岐に亘るジャンルを手掛けながらも、ミラー監督らしい作家性が刻まれた作品群になっているのには驚かされる。だがその中でも圧倒的な金字塔的作品は、2015年「マッドマックス 怒りのデス・ロード」だろう。もはや説明不要のアクション映画だと思うが、30年ぶりの「マッドマックス」シリーズ新作が、まさかここまでの完成度で公開されるとは当時は大層感激したものだ。ちなみに2023年現在でも、まだこの映画を超えるアクション映画は存在していないと個人的には感じる。
さて、そんなジョージ・ミラー監督の最新作「アラビアンナイト 三千年の願い」がいよいよ公開となったのだが、予告編を観た印象だと「軽めのお伽話かな」というくらいの薄い感想しか抱けず、ポップなファンタジー映画だと思ってしまったのは否めない。ところが結論、そんな映画をジョージ・ミラーが撮る訳もなく、鑑賞してみると完全に”大人向けの物語論”になっていて、示唆に富んでいながらも、様々な解釈の余地がある相当に面白い映画になっていた。個人的には、2013年に日本公開されたアン・リー監督の「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」という作品を思い出すような作風で、”人はなぜ物語を必要とするのか?”、さらに”物語を語ることの重要性”について描いた作品だと感じる。そして本作では、”物語を聞いた側の人物”の心の変化にも踏み込んでいて、これは過去に多くのオリジナル映画を生み出してきた、世界的なストーリーテラーの一人でもあるジョージ・ミラーが現代に伝えたい作品なのだろう。
主人公はティルダ・スウィトンが演じる、世界中の物語を研究しながら国々を飛び回っているイギリス人女性のアリシアで、彼女は自身を「十分に幸せな独りぼっち女」と語っている。そんな彼女が講演会に出席するため、トルコのイスタンブールに降り立つのだが、そこのバザーで美しいガラス瓶を手に入れる。そしてホテルの一室でそのガラス瓶を擦ると、中からイドリス・エルバ演じる巨大な”魔人ジン”が現れて、3つの願いを叶えてやろうという、”例の展開”になる。まずこの魔人が出現するシーンの前に、冒頭からアリシアには不思議なことが次々と起こる。空港に着いた彼女に、突然現れた不思議な小人が話しかけてきたり、講演会の最中にもアリシアにしか見えていない、謎の衣服を着た白塗りの男が壇上の彼女を睨みつけてくる。この後アリシアには、子供のころから”イマジナリーフレンド”の男の子が存在しており、彼の存在をノートに記録していたことが描かれるのだが、魔人を見た時のアリシアのリアクションは、悲鳴を上げるでも腰を抜かすでもない。”目を閉じて3秒数える”という落ち着き払った彼女の行動から解るのは、アリシアにとって、これらの不思議な出来事は”特別なことではない”という事である。
序盤に講演会のステージに立つアリシアが、「なぜ人々は物語を必要とするのか?」という議題に対して、「かつて物語は津波や地震、未知のウィルスの発生といった自然災害が起こったとき、その混乱を鎮める唯一の方法だったが、これからは科学の力で今までの役目を終え、隠喩としての存在になるだろう。」と語るシーンがある。この後、先ほどの白装束の男に威嚇されて気を失うという場面だ。これは研究者としてのアリシアの見解なのだが、アリシア個人にとって”架空の友達”や”物語を見聞きすること”は、彼女の内面にある混乱を落ち着け、ある意味で現実と向き合うための手段なのだと思う。だからこそ彼女は魔人を見ても大騒ぎしないし、極めて冷静に対処しようとする。そんなアリシアと突然現れた魔人ジンがホテルの一室にて、過去に自分の欲望が原因で三度も瓶の中に閉じ込められたという、ジンの3つのエピソードを順番に聴くという流れになる。そして、ジンは解放してくれた相手の”3つの願い”を叶えてあげることで、初めて自由になれるというのである。だが自分の願いを叶えるという行為は、”欲をかくな”という教訓の意味合いが強く、物語の専門家であるアリシアとしては簡単には願いを言わないという展開になっていく。
さらに魔人ジンが語る、「シバ女王とのエピソード」「スレイマン大帝の愛妾グルタンのエピソード」「ムラト4世の時代の兄弟と大女のエピソード」「ゼフィールのエピソード」という4つのエピソードでは、それぞれの時代でジンが出会った女性たちとの話が語られていく。その中でも特に、天才的な頭脳を持つゼフィールという女性を主人公に据えた、4番目の話では「飽くなき知識への欲求」がテーマになっており、魔人ジンがこのゼフィールを深く愛していく過程が語られていくのだが、ここで今まで受動的な”聞き手”だったアリシアの心境に変化が訪れていることが、話を聞く彼女の表情と”ごくりと唾を飲み込む”反応から解る。これは序盤のシバ女王がソロモン王の演奏を聴いた後に行った行為と同じだ。しかもここではゼフィールとアリシアを、”貧乏ゆすり”というアクションによって、演出的に同一化しているのも上手い。冒頭のアリシアが飛行機に乗っているシーンで、夢中で書き物をしているアリシアが貧乏ゆすりしているシーンと、この深くジンに愛されながらも自分の研究を続けるゼフィールの存在を、映像的にリンクさせているのだ。そしてこの後、遂にアリシアの願い事がジンに伝えられる。
ここからネタバレになるが、アリシアの願いは「ジンから愛を与えられ、そして自分も与える関係になること」だった。そしてここから、ジンからアリシアへと語り部が逆転し、アリシアが主体となるストーリーが語られていく。彼女が主人公の物語になるのだ。ジンを連れてロンドンに戻ったアリシアは、しばらく平穏で幸せな日々を送るが、ロンドンの街に飛び交う電磁波や空気の悪さによって彼の身体が弱ったことで、愛とは自分を差し出して得るものだということに気付いたアリシアが、残りの2つの願いを使うことでジンを元の世界に戻そうとする。そして3年後、晴れた公園で今までのジンとの物語をノートに書いていたアリシアが、もう一度ジンと再会して歩き出すシーンで映画は終わるのである。これは、ほとんど”ハッピーエンド”と言って良いだろう。だがひとつ気になるポイントとして、ジンという存在はアリシアにとってイマジナリーフレンドだったのだろうか?という点だ。これがあえて本作内では非常に曖昧にされていて、明確に描かれていないのである。
まず冒頭にアリシアは、過去にイマジナリーフレンドとなるべき存在がいたという描写自体は、大きなヒントになると思う。さらにラストの公園でアリシアがジンについて書いているノートの内容は、イラストが入れられており過去のイマジナリーフレンドについて記載していた内容のようだった。しかもアリシアの家の中にはジンとロンドンに戻ったばかりにも関わらず、アリシアとジンの”目のアップ”のオブジェが飾ってあり、これも非常に不自然だ。このオブジェの目から、アリシアはジンの造形を想像して創り出していたのでは?という推測も可能だろう。だが本作の中で、アリシア以外にジンと出会うキャラクターが存在する。ロンドンで隣に住んでいる、姉妹のお婆さんたちだ。彼女たちがジンに挨拶する場面があるため、やはりジンは存在するのか?とも思うが、一方でアリシアを”独り言をいう変人”扱いする描写もあるため、お菓子を持ってきてくれたアリシアに話を合わせた可能性も捨てきれない。そしてラストのサッカーボールのシーンも、非常に悩ましい。サッカーボールを少年たちに直接渡しておらず、一旦柱に当ててそれを少年が受け取ったという、過度にファンタジックな場面にしているのだ。あの公園でのジンとの再会シーンそのものが、もはや彼女の空想なのでは?と思えてしまう位の絶妙なバランスなのだ。
上記の理由からも、全体的にやはりジンはイマジナリーフレンドとしての描き方が強いと思う。だがそれも含めて、「例えイマジナリーフレンドであったとしても、アリシアは真実の愛を知ったんだから良いだろう?」という、ジョージ・ミラー監督からのメッセ―ジのような気もする。これは世界屈指のストーリーテラーが紡いだ物語なのだ。だからこそ色々な考察も出来るし、観終わったあとの余韻も素晴らしい。映画という”物語を語ること”に特化した、エンターテイメントの存在意義を改めて感じられるという意味でも価値のある一作だったと思う。監督の次回作であり、マッドマックスシリーズのスピンオフである、「フュリオサ」が今から本当に楽しみだ。
7.5点(10点満点)