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映画「フェイブルマンズ」ネタバレ考察&解説 なぜ映像を観た”いじめっ子”は涙したのか?タイトルが複数形なのは、”家族の話”という宣言!まるでスピルバーグ監督のセラピー的な作品!

「フェイブルマンズ」を観た。

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1972年のTV映画「激突!」で注目されて以来、「ジョーズ」「未知との遭遇」「E.T.」「レイダース/失われたアーク」「ジュラシック・パーク」など、幾多の名作を世に送り出してきた巨匠スティーブン・スピルバーグによる、自伝的作品。ほぼスピルバーグ本人役であるサミーを、SFアクション大作「ザ・プレデター」などの新鋭ガブリエル・ラベルが務めた他、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「マリリン 7日間の恋」のミシェル・ウィリアムズ、「THE BATMANザ・バットマン」「スイス・アーミー・マン」のポール・ダノ、「40歳の童貞男」のセス・ローゲンなどが共演している。また撮影監督ヤヌス・カミンスキー、音楽ジョン・ウィリアムズ、脚本トニー・クシュナーと、スピルバーグ作品には欠かせない常連スタッフが集結し、この記念碑的な作品を彩っている。第95回アカデミー賞では、「作品賞」「監督賞」「脚本賞」「主演女優賞」「助演男優」「脚本賞」「美術賞」「作曲賞」の計7部門にノミネートされており、第80回ゴールデングローブ賞では、「最優秀作品賞」「最優秀監督賞」に輝いている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:ガブリエル・ラベル、ミシェル・ウィリアムズポール・ダノセス・ローゲン
日本公開:2023年

 

あらすじ

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミー・フェイブルマンは、母親から8ミリカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々のなか、人生の一瞬一瞬を探求し、夢を追い求めていくサミー。母親はそんな彼の夢を支えてくれるが、父親はその夢を単なる趣味としか見なさない。サミーはそんな両親の間で葛藤しながら、さまざまな人々との出会いを通じて成長していく。

 

 

感想&解説

スティーブン・スピルバーグによる初の自伝的作品という情報によって、てっきり彼の映画監督としての半生を振り返り、クリエイターとしての半生を紐解いていくような作品なのだと思っていたが、実際はまったく違っていた。本作はスピルバーグの少年期~青年期に起こった、彼の中の葛藤や混乱を映像化することによって浄化していく、まるでセラピーのような作品だった気がする。タイトルの「フェイブルマンズ」の”フェイブル”とは、ドイツ語における”劇のプロット”の事を指す言葉で、スピルバーグ本人が投影されている主人公の名前でもあり、さらにタイトルが”フェイブルマンズ”と複数形であることから、これは家族の話だと示されている。本作は彼の両親、特に母親との関係を中心にした物語なのである。エンドクレジットの最後に「リア&アーノルドに捧ぐ」と表記されるのだが、これはスピルバーグの両親の名前であり、母のリアは2017年、父のアーノルドは2020年にそれぞれ亡くなっている。この両親の死が、本作の製作にスピルバーグを本格的に踏み切らせた大きな要因だったのではないだろうか。それだけ本作には、スピルバーグ家族の生々しいエピソードが描かれている。

オープニング、映画館の前でサミーと両親が映画を観るシーンから本作は始まる。1秒間に24コマの写真が動くことによって、人間の目を欺くのが”モーションピクチャー”だと説明する父親バートと、映画の楽しさと美しさについて語る母親ミッツィ。技術畑で論理的な父親と、芸術的な感性を持つ母親の対比が冒頭から描かれているが、この映画館で少年サミーが、セシル・B・デミル監督の「地上最大のショウ」を観たことにより、彼の人生は大きく変わっていく。その後、カミナリに当たったように映画から衝撃を受けたサミーは、ミニチュアの列車と車が衝突する映像を残すために、母親からもらった8mmカメラで撮影を始めていくのだ。この「地上最大のショウ」の再現映像という作品コンセプトも、スピルバーグのデビュー作が、1971年のテレビ映画「激突!」だったことを考えると興味深い。それにしても世界最初の映画は、リュミエール兄弟が公開した駅のプラットホームに蒸気機関車が到着する映像だったわけで、車や列車といった乗り物は映像表現と相性が良いのだろう。

 

父親バートからは趣味の範疇だと言われながらも、映画に対しての情熱を持ち続けるサミーは、ジョン・フォード監督作品「リバティ・バランスを射った男」などを参考にしながら自主制作で西部劇を撮り、高い評価を得ていく。そんな時、祖母の死によって不安定になった母親の為に、父の親友であるベニーと家族で行った旅行の記録映画の編集を行っていたサミーは、母親とベニーが親密な関係になっている場面を偶然発見してしまう。それはフィルムの一コマ一コマを”繰り返し観て、繋ぎ合わせていく”という、映画作りの根本的な工程によって発見する訳で、ここにはスピルバーグの人生にとっての映画の”影の部分”が表現されている。それを事前に警告していたのが、ボリス叔父さんという存在だ。ボリスは昔気質のショービジネスの人間で、サーカスから始まって映画業界に行きついており、彼が人の心を引き裂く”芸術”の本質についてサミーに説く場面は、スピルバーグの一生を左右する言葉になっているのだろう。彼の人生において”映画”という存在は、自分の家族をバラバラにした存在であると同時に、これから輝かしいキャリアをもたらす存在でもあるからだ。

 

 

その後、父親バートがIBMへの転職が決まり、カリフォルニアに旅立つフェイブルマン一家。そこでサミーは新しい学校に馴染めず、ユダヤ人という理由でいじめを受けてしまう。この時にいじめっ子のチャドから言われる「ユダヤ人はキリストを殺したんだろ」というのは、金の為にイエスを裏切ったとされるユダの存在と、新約聖書に書かれたユダヤ人がイエスを十字架にかけて殺したという文脈からだろうが、今でも白人におけるユダヤ人差別のお決まりの言葉らしい。前提として、スティーブン・スピルバーグユダヤ人である。だからこそ、ホロコーストの様子を生々しく描いた「シンドラーのリスト」で作品賞/監督賞を受賞するも、「血に染まった金は貰えない」として、作品の監督料の受け取りを拒否したのは有名なエピソードだ。そもそもイエス・キリスト自体がユダヤ人なのだが、非常に高い能力で世界の至る所でサバイブしてきたユダヤ人への妬みと偏見が、高校生にも脈々と続いているという恐ろしい場面だった。

 

そしてガールフレンドとして親しくなったモニカの提案で、学校行事である「おさぼり会」の様子を撮影することになったサミーは、自分をいじめていたローガンをまるで英雄のように撮影する。このシーンもまるで映画の本質を描いたような場面で、被写体本人の性格や思想と、映像として映ってしまう本人の”キャラクター性”は、まったく別モノだということを表現している。これは世界中の監督と俳優が感じていることなのだろう。カメラの裏ではどんなに下劣で残酷な人間だろうが、美しいルックスや運動能力といった”華”があれば、映画の中では観客を魅了することができ、それが本人の内面とイコールなのだと勘違いさせられる。だが出演している当人としては、そこに生じるギャップが大きければ大きいほど、違和感を感じるのである。特にローガンは俳優ではなく、ただの高校生なのだ。彼はサミーが撮った映像を観て、自分の内面とのギャップを感じショックを受け、遂には涙する。映像は演出によって観客に”嘘”がつけるという、映画の一面を描いた場面だ。そしてそういった映像演出ができる、サミー(スピルバーグ)の才能が改めて分かるシーンになっている。

 

終盤、サミーは「駅馬車」「リバティ・バランスを射った男」を撮った、憧れの監督であるジョン・フォードと会話する機会を得る。ジョン・フォードは、壁に飾ってある絵を指して”地平線”は上にあっても下にあっても良いカットが撮れるが、それが真ん中にあるとつまらない画面になるというアドバイスを伝える。これはカメラの設置場所と構図(アングル)の話をしているのだが、数々のスピルバーグ作品にこのアドバイスは活きているのだろう。地平線が真ん中にあるショットは、人間の視点と同じになり、平坦さを感じる画になってしまう。だが、カメラの位置を視点より上げたり下げたりすることで、それは特別な”映画的”視点となり、魔法のかかったショットになると言っているのだ。ラストは、映画スタジオの道路を奥に進んでいくサミーをバックショットで捉える構図なのだが、ジョン・フォードのアドバイス通りに、最初は中心にあったカメラがちょっと下がったところで、エンドクレジットとなる。映画をテーマにした作品として、なんという洒落たラストカットなのだろう。

 

「全ての出来事には意味がある。」というのは、母親ミッツィのセリフだ。そういった意味で、本作で描かれる出来事は脚色も多々あるだろうが、スピルバーグの現在において重要な意味を持った「イベント」の繋がりだったのだと思う。改めて自分の人生を振り返り、それを監督が映画として”編集”してみせたというべき作品だ。そして、描かれている事柄は小さな”ある家族”の話だが、スティーブン・スピルバーグという巨匠監督と恐ろしく才能を持ったスタッフの手腕にかかると、これだけドラマチックな映画にできるという見本のような作品だろう。希望に満ちたラストカットは、「これからも映画を撮り続ける」という監督の宣言のようにも感じるし、映画ファンとしては素直に嬉しい一作だった。監督の前作「ウエスト・サイド・ストーリー」でも、自分が影響を受けた往年の名作ミュージカルに初挑戦しており、76歳という年齢からかもしれないが、監督にとって映画人生を総括するタイミングなのかもしれない。次回作は、ブラッドリー・クーパーを主演に迎え、ピーター・イェーツ監督が手掛けた刑事アクションの名作である、1968年「ブリット」のスピンオフらしい。カーチェイスが有名な作品なので、今からどんな映画になるのか楽しみだ。

 

 

7.5点(10点満点)