「The Son 息子」を観た。
長編初監督作であった前作「ファーザー」が、第93回アカデミー賞で計6部門にノミネートされ、結果「主演男優賞」と「脚色賞」の2部門を受賞という快挙を成し遂げた、フロリアン・ゼレール監督が手掛けたヒューマンサスペンス。「ファーザー」に続く「家族3部作」の2作目に位置付けられており、ゼレール監督の舞台である「Le Fils 息子」を原作にしている。出演は「レ・ミゼラブル」「グレイテスト・ショーマン」などのヒュー・ジャックマン、「マリッジ・ストーリー」「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」のローラ・ダーン、「ミッション:インポッシブル フォール・アウト」「ワイルド・スピード スーパーコンボ」のバネッサ・カービー、「ファーザー」で主演を演じていたアンソニー・ホプキンスらが共演。また、息子ニコラスを演じたのはオーストラリア出身の新人ゼン・マクグラスで、本作の出演によって今後かなり注目される俳優になるだろう。ヒュー・ジャックマンは脚本に惚れ込んで、主演だけでなく製作総指揮にも名を連ねている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:フロリアン・ゼレール
出演:ヒュー・ジャックマン、ローラ・ダーン、バネッサ・カービー、ゼン・マクグラス、アンソニー・ホプキンス
日本公開:2023年
あらすじ
家族とともに充実した日々を過ごしていた弁護士ピーターは、前妻ケイトから、彼女のもとで暮らす17歳の息子ニコラスの様子がおかしいと相談される。ニコラスは心に闇を抱えて絶望の淵におり、父ピーターのもとに引っ越したいと懇願する。息子を受け入れて一緒に暮らし始めるピーターだったが、親子の心の距離はなかなか埋まらず苦悩する。
感想&解説
フロリアン・ゼレール監督の前作「ファーザー」の完成度が、決して”まぐれ”ではなかった事が、本作で証明されたと思う。もちろん劇作家としてのキャリアは輝かしいものがあるのだが、それが映画でも表現できてしまうとは凄まじい才能のクリエイターだ。本作「The Son 息子」も前作と同じく、ゼレール監督が自ら書いた戯曲を原作にしており、「家族三部作」の2作目に当たるらしい。ちなみに最後の一作は「THE MOTHER(原題)」らしく、おそらくこれもフロリアン・ゼレールの手によっていつか映画化されるのだろう。前作「ファーザー」が、ヒューマンドラマだと思って鑑賞し始めたら実はサスペンスだったというように、この監督の作品はジャンルの垣根を軽々と越えて、こちらの感情を搔き乱してくる。そして「ファーザー」では、主演のアンソニー・ホプキンス演じる老人が”認知症”を患っているという設定だったため、主人公の認識している世界がコロコロと変化し観客の頭が混乱するような作品だったが、本作でもやはり同じ作家性が発揮されている。
この監督の作品は、安全圏からの”客観視”を許してくれない。常に観客を”ある登場人物”の視点と同化させて、否応なく映画の世界に引き込んでいくのだ。前作ではそれが老人アンソニーの視点だったのに対して、本作ではそれが主人公ピーターの視点だになる。元妻との間にいる17歳の息子ニコラスの行動が、観ているこちらも含めてまったく理解できないのは、ピーターの視点から息子ニコラスを観ているからであり、ニコラスが精神を病んでいるという設定を入れることによって、作劇上のミスリードを生んでいる。だが中盤で、アンソニー・ホプキンス演じるピーターの父親が登場することで、”実は親子というのは、そもそも分かり合えないものなのだ”という、厳しくもストレートな表現になっていると感じる。ピーターの父親は、息子の事で悩むピーターが自分の父親としての無責任さを責めにきたと思い込み、「50代の男が10代の頃の悩みを引きずるな。そろそろ乗り越えろ」といきなり叱責する。それを見て唖然とするピーターのシーンは印象的だが、これはそのままピーターとニコラスとの親子関係にも当てはまる。
本作はヒュー・ジャックマンとゼン・マクグラス演じる親子が笑い合う、微笑ましいメインビジュアルからは想像がつかない展開の、ほとんどスリラーサスペンスだ。とにかく親の視点から見れば、まったく理解できないモンスターのような息子に翻弄され、激高し悩み傷ついていく父親の姿を描いていく。ピーターはニコラスが学校に行かない時、自らの腕をナイフで傷つけた時、そして彼に嘘をついた時、常に「何故なんだ?」と聞くのだが、それに対してのニコラスの答えはいつも「分からない」だ。弁護士でありながら政治の世界に進出しようとしている、社会的な成功者、そして若く美しい妻と再婚し、新しい家庭を作って幸せに暮らしているピーター。家庭を捨てて出て行った父親に対して母親は深く傷つき、自分も世界から捨てられたと思い込んでいるニコラスにとって、父親ピーターとは美しく、そして不条理なこの世界そのものなのだろう。そしてその世界は、いつも自分を受け入れてはくれないのだ。
だからこそ、この父親ピーター役をヒュー・ジャックマンが演じることに意味がある。本作のヒュー・ジャックマンは、歳はとったものの相変わらず抜群のスタイルで、敏腕弁護士役を体現している。そこには彼の鍛えられた身体つきからも漂う自信と、男性的マッチョイズムを感じる。その一方でゼン・マクグラスが演じる息子のニコラスは、細身でいかにも繊細そうな青年で、狂気と危なっかしさがいつも同居しているようなキャラクターだ。一人で壁に頭を強く打ちつけるシーンや、真っ暗な部屋で一人過ごすシーンなどにそれらは表現されている。そしてピーターは、いつも息子に歩み寄ろうと歩を進めるが、成功者としての自分の価値観をつい押し付けてしまうことによって、彼らは反発しすれ違ってしまう。ピーターは本気でニコラスを愛しているのにも関わらず、彼らの気持ちは最後まで交差できないのだ。そこが本当に観ていて、苦しい作品なのである。
ここからネタバレになるが、ピーターと口論になり完全に孤立したニコラスは自殺を図り、精神病院に入院することになるが、面会にきたピーターと母ケイトに、ニコラスは「ここから出してくれ」と懇願する。ここでのローラ・ダーン演じる母親役のケイトが見せる困惑と狼狽、そして極限の判断を前にした時の虚無感を表現した演技は、特に素晴らしかった。「あなたが決めてほしい」と言わんばかりに、彼女は不安げにピーターを見るのだが、こういう細かい演技によって、彼女の優しくて実直でありながら、自分で重要な選択をしてこなかったのであろうという、彼女の性格や今までの生き方がうかがい知れるのである。そして強い医師からの勧めもあり一度は入院を決めたものの、最後にはピーターはニコラスからの懇願に負けて、病院から退院させてしまう。家に帰って、久しぶりに家族団らんでくつろぐ3人。そしてニコラスはシャワーを浴びると部屋を出て行く。今までの謝罪と愛の言葉を告げて部屋を出ていく息子に、彼は立ち直ったのだろうと安堵する両親。だが、そこに突然の銃声が轟くのである。アンソニー・ホプキンス演じるピーターの父が贈った猟銃が、まるで脈々と続く”父子の呪い”のように、ニコラスの命を奪うという、あまりにもショッキングな展開だ。ここでは、最後まで祖父/父/息子の三世代の男たちは理解し合えなかった事が、このピーターが"捨てなかった猟銃"という存在によって描かれるのである。
それから数年経っても、ピーターはニコラスの自殺から立ち直れず、幸せな生活を送る息子の幻覚を見ながら、苦悩し後悔している様子が描かれる。そして「ファーザー」のラスト、認知症が進み幼児退行したアンソニーが「ママに迎えにきてほしい」と泣きじゃくったように、本作でも妻ベスの胸に抱かれて、ピーターが泣く場面で映画は終わる。今まで強く毅然と生きてきた男たちが、女性たちに抱かれながら号泣するというラストの流れが2作で同じなのは、もちろん偶然ではないだろう。そこには過去の社会が信じてきた、”家父長制”への批判を感じるのである。今までの”家族が一緒であれば、どんな困難にも立ち向かえる”といった価値観は崩れ、例え血が繋がっていても分かり合えない関係もあるし、逆に他人の方が理解できることもある。フロリアン・ゼレール監督は、”家族”という単位をテーマにすることで、そんな人間関係の多様性と変化を表現する作家なのだと感じる。この映画が終わったあとに残る、モヤモヤした感情は新しい価値観を突きつけられた事への反動なのかもしれない。そして観客は心のどこかで、セオというピーターのもう一人の息子の将来を案じてしまうのである。
ニコラスの感情や”親子の輪”を表現しているように映し出される、回り続ける洗濯機は彼の混乱や気持ちの乱れを表現しているのだろうとか、トム・ジョーンズの「It's Not Unusual」に合わせて3人が躍り出すシーンで、観客は一瞬安堵するのだが、カメラがパンするとニコラスがやはり沈んだ顔になって佇んでいる場面、また幼いニコラスと海に出かけた美しい思い出の描写が随所に挟まることで、「今はなぜこうなってしまったのか」と観客に思わせるような演出の数々は、とても映画的だ。特に怖がって泳ぐのをためらう息子の手を取り、ピーターが泳ぎを教えるシーンは本当に幸せそうで、こちらの涙を誘う。幼い子供にとっては親の存在だけが全てだが、成長していくと彼らは段々と自分の世界を歩み始めることを描いている。本作は子供の心の病を扱っているため、自殺というラストの展開も含めて難しいテーマの作品なのだが、映画から受けるメッセージは重く、そしてストレートだ。だからこそ、観た後しばらくはダメージを喰らってしまうが、こういう体験ができる映画は素晴らしい。フロリアン・ゼレール監督の家族三部作2作目「The Son 息子」は、年間ベスト10入り決定の傑作だった。次回作も本当に楽しみだ。
9.0点(10点満点)