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映画「ノック 終末の訪問者」ネタバレ考察&解説 「ヨハネの目次録」とあの特殊な家族設定の意味は?全体的に描きたいことが不明瞭で残念な作品!

「ノック 終末の訪問者」を観た。

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シックス・センス」「サイン」「オールド」など、独特の作風で熱狂的なファンがいるM・ナイト・シャマラン監督のシチュエーションスリラー。原作はポール・トレンブレイが2018年に発表した小説「終末の訪問者」。出演は「ブレードランナー 2049」「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのデイブ・バウティスタ、「ハリー・ポッター」シリーズで”ロン”を演じていたルパート・グリント、シャマラン監督の前作「オールド」のニキ・アムカ=バード、「Fleabag フリーバッグ」のベン・オルドリッジ、アンドリュー役を「マトリックス レザレクションズ」のジョナサン・グロフなど。本作でも監督/脚本/製作を担当しているM・ナイト・シャマランは、前作から2年のインターバルと順調に新作が続いているが、本作の出来はどうだったか?今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:M・ナイト・シャマラン
出演:デイブ・バウティスタ、ルパート・グリント、ニキ・アムカ=バード、ベン・オルドリッジ、ジョナサン・グロフ
日本公開:2023年

 

あらすじ

LGBTQのカップルであるエリックとアンドリュー、そして養女のウェンの家族が山小屋で穏やかな休日を過ごしていると、突如として武装した見知らぬ謎の男女4人が訪れ、家族は訳も分からぬまま囚われの身となってしまう。そして謎の男女たちは家族に、「いつの世も選ばれた家族が決断を迫られた」「家族のうちの誰か1人が犠牲になることで世界の終末を止めることができる」「拒絶することは何十万もの命を奪うことになる」と告げ、エリックとアンドリューらに想像を絶する選択を迫ってくる。テレビでは世界各国で起こり始めた甚大な災害が報じられるが、訪問者の言うことをにわかに信じることができない家族は、なんとか山小屋からの脱出を試みる。

 

 

感想&解説

M・ナイト・シャマラン監督の新作とあれば、無条件で観に行くという方も多いだろう。僕もそんな中の一人なのだが、正直かなりの割合でガッカリさせられることが多いのも事実だ。個人的なガッカリ作品としては、悪名高い「レディ・イン・ザ・ウォーター」「ハプニング」「エアベンダー」「アフター・アース」あたりなのだが、実は「スプリット」「ミスター・ガラス」もあまりピンと来ず、シャマラン作品の全体の満足度としてはかなり低い。思い返してみれば「シックス・センス」「サイン」「ヴィジット」「オールド」くらいしか、良かったと思える作品がないのである。ではなぜ毎回M・ナイト・シャマラン作品を観に行くのか?と言われれば、その”奇妙な作家性”に惹かれているからだ。観ている間は退屈しないし、印象的なカットも多い。いつもキャラクターは魅力的だし、設定も独特で面白いものが多い。そして恐怖と笑い、そして感動が混ぜこぜになったような、妙な感情を引き起こしてくる作り手なのである。

いわゆる無条件に傑作と呼べる作品は少ないのだが、シャマラン作品はいかにも”シネフィル”が作った映画という感じで、猛烈に”映画を観ている”という気持ちが喚起させられ、嫌いにはなれない。その中でも特に影響を感じるのが、アルフレッド・ヒッチコックの作品群だろう。そもそも1999年の「シックス・センス」劇場公開時、主演のブルース・ウィリスが「この映画の結末を他の人に話さないでください」というメッセージが映されたが、これは「サイコ」の公開時にヒッチコックが取った手法だったし、「サイン」の密室において対象を見せずに不安や恐怖を煽ってくる演出は、いかにもヒッチコック的だ。直接的には、あきらかに「鳥」からの影響を受けている作品だろう。実際、キャストには「鳥」を何度も観るようにアドバイスしていたらしい。「スプリット」におけるタイトルの演出は、「めまい」「北北西に進路を取れ」で有名なソール・バスの作品からの引用だろうし、作品内の演出の端々からも「サイコ」の影響を感じる。そして本作でも登場していたが、監督自らがカメオ出演するというシャマラン作品のお約束も、ヒッチコック作品のトレードマークだ。

 

そして、それは本作「ノック 終末の訪問者」にも強く感じる。今回の災厄に巻き込まれる、LGBTQの男性カップルと養子である女の子の出会いや過去を描くために、多少時系列が過去に飛ぶことはあるが、ほとんどがいわゆる”ワンシチュエーション”ものと呼ばれる、山小屋の中だけでストーリーが進む作品で、主人公たちはいきなり”事件”に巻き込まれる。これは観客の感覚も同じで、この突発的な事態に訳も分からず冒頭から引き込まれていくのである。このシチュエーションスリラー設定もいかにもヒッチコック的だし、「裏窓」「北北西に進路を取れ」などを彷彿とさせる。物語の舞台はニュージャージー州の山奥。閑静な山小屋で過ごしているエリックとアンドリューはLGBTQのカップルであり、アジア系の養女ウェンと3人で、家庭として幸せに暮らしている。そんな家族の元に、突如4人の不審な男女が現れ、武器を所持しながら強引に家の中に入ってくるのだ。

 

彼らはデイブ・バウティスタ演じる教師のレナード、看護師のサブリナ、料理人のエイドリアン、ガス工場勤務のレドモンドと名乗り、エリックとアンドリューをイスに縛った上で、世界の終末を止める為に3人のうち1人を犠牲に差し出せ、そうしないと世界が終わると告げてくる。ここからネタバレになるが、家族はもちろんそれを拒否し、カルト宗教の信者には屈しないと解放を訴えるのだが、突然そんな彼らの前にレドモンドがひざまずき自らの顔に袋を被せると、なんと残りの3名が彼を殺してしまう。その後レナードがテレビをつけると、大津波に襲われ壊滅していく都市の映像が流されており、これは”黙示録の始まり”であると告げる。落雷と火災、感染症、飛行機の墜落と、彼らはそれぞれこの世界の終わりの”ビジョン”を見て、この山小屋に集まってきた予言者だと言うのだ。

 

 

まずこのシチュエーション自体はとても魅力的だと思う。映画として結末が気になる設定だし、単純に面白い。だが残念ながら、この”設定以上”には面白いことが起こらないのが、本作最大の欠点だ。まず物語の推進力とオチが圧倒的に弱い。冒頭から示される「家族3人のうちの1人を犠牲に差し出せ」というデイブ・バウティスタの要求に対して、この家族がどういう行動を取ってどういう決断をするのか?が、観客の興味になるが、そこに予想外のハプニングが起こったり、敵側の意外な動機が語られたりすることで、事態が二転三転してサスペンスを生んでいくというのが、このジャンルの常套だろう。ところが本作では、冒頭の設定から最後まで、なんのツイストもなく予定調和だけで物語が進んでいく。デイブ・バウティスタたちが世界の終末を止める為にやってきて、ひたすらに家族に犠牲を強いるだけの、ほとんど一本道ストーリーなのだ。

 

そして演出が、”単発的なスリルの積み重ね”だけに頼ってしまっているのも問題だ。娘のウェンは山小屋から一人で抜け出せるのか?、銃に弾を込めるのが間に合うのかどうか?、バスルームのカーテンの奥にレナードがひそんでいるのかどうか?、どれもサスペンスフルな演出で音楽と共に場面を盛り上げるのだが、結果が想像できるうえに既視感があり過ぎる。シーンとして圧倒的に”弱い”のである。相当に低予算で製作されたであろう、このワンシチュエーションスリラーは悪い意味で、手作り感に溢れており、意外性がない。「その選択の結末は、家族の犠牲か、世界の終焉か。」というのが、公式ページにも書かれている本作のキャッチコピーだが、端的に言ってしまえば、このコピーや予告編を観た時に想像できる、もっともストレートな結末なのである。もちろん主人公をLGBTQのカップルにしていることで、世間から冷遇されてきながらも本当に愛し合っている二人という、マイノリティを描いたキャラクターは印象的で魅力的だし、娘をあえてアジア系にしていることも作品的な意図を感じる。だが、どうにもそこ以上には作品のテーマが浮かび上がってこない。

 

レナード、サブリナ、エイドリアン、レドモンドの4人は、新約聖書の「ヨハネの黙示録」に記されている”7つの封印”において、4つの封印が解かれた時に現れる、”四騎士”がモチーフになっている。四騎士はそれぞれ「支配」「戦争」「飢饉」「疫病」を現わしているが、序盤にレナードがエリック家の扉をノックする回数が、不自然に”7回”だったことを考えても、この作品で描かれる災厄はキリストが解いていく、「7つの封印」を意味しているのだろう。ヨハネの黙示録」には、地上の悪い行いをしてきた人々に対する神の裁きが描かれており、結果、神から人間は想像を絶するほどの苦しみが与えられるという内容だ。つまり本作はこの神からの試練に対して、人間がどのように行動するのか?という話なのだろうが、ここに「LGBTQカップルとアジア人少女の幸せな家族が犠牲になることで、この世界は救われる」という決着の意味が、非常に解りづらいのだ。

 

そもそも何故この家族が、救世主として選ばれたのか?がまったく描かれないため、彼らが犠牲になることがなんの隠喩になっているのか?が理解できない。そしてこの題材においては、そこはかなり重要な要素だろう。あのマイノリティな構成の家族は”無垢の象徴”という事かもしれないが、もしその表現であるならLGBTQに対しても、非常に浅薄な解釈だろう。そんな彼らが自己犠牲によって世界を救う話とは、いったいなにを意味しているのか?新約聖書唯一の預言書である、「ヨハネの黙示録」をテーマに据えたわりには、そこから描きたかった本作のテーマがどうにも不明瞭なのだ。映画には意味などなくても成立する作品は山ほどあるし、それで面白ければ問題ない。ただこういったファンタジー的な”寓話”にはリアリティが無い分、なにか”実世界”とリンクしたメッセージが欲しい。ただの空想物語だけを観せられても、つまらないからだ。ただ本作においては、「ヨハネの黙示録」や「四騎士」も、残念ながらただの”物語上の設定”だと感じてしまう。この映画からは、「自己犠牲は尊い」という手垢の付いたメッセージ以上のものを感じないのである。

 

ただ一点、ラストのKC&サンシャインバンド「ブギー・シューズ」を巡る一連のシーンだけは、とても良かった。カーステレオから思い出の楽曲がかかった事で、思わず曲を止めるアンドリュー。それを見て再び曲をかけるウェンだったが雰囲気を察知して、また曲を止めてしまう。だがそんなウェンを見てアンドリューはまた曲を再生した後で、車を発車させるのだが、彼らがこの困難を乗り越えて生きていくという、意志と希望がセリフをまったく使わずに表現されていて、名シーンになっていたと思う。結果的に原作ありきの脚本だとはいえ、粗削りな”ワンアイデア”だけで強引にラストまで持って行ったイメージの本作。スリラーとしても弱いし、いつものシュールコメディ色も無いため、印象の薄い映画になってしまっていた気がする。とはいえ、M・ナイト・シャマランの次回作があれば、またホイホイと観に行ってしまうのだろう。ここだけは、つくづく特殊な監督だと思う。

 

 

4.0点(10点満点)