「聖地には蜘蛛が巣を張る」を観た。
「ボーダー 二つの世界」が”カンヌ国際映画祭”などで世界的に絶賛された、イラン出身のアリ・アッバシ監督が手掛けた新作サスペンス。イランに実在した、殺人鬼サイード・ハナイによる娼婦連続殺人事件に着想を得て作られており、主演のザーラ・アミール・エブラヒミが、カンヌ国際映画祭で「女優賞」を受賞している。また第95回アカデミー賞の国際長編映画賞部門には、デンマーク代表として出品された。原題は「Holy Spider」。イランが舞台でありながら、テーマ的に国内からの製作費捻出は厳しかったらしく、デンマーク・ドイツ・フランス・スウェーデンなどヨーロッパ各国からの出資で製作され、撮影自体はヨルダンで行われている。本作はハリウッドでは作れない、非常に宗教的なメッセージ性に富んだ作品だったと思う。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:アリ・アッバシ
出演:メフディ・バジェスタニ、ザール・アミール=エブラヒミ、アラシュ・アシュティアニ、フォルザン・ジャムシドネジャド
日本公開:2023年
あらすじ
2000年代初頭。イランの聖地マシュハドで、娼婦を標的にした連続殺人事件が発生した。「スパイダー・キラー」と呼ばれる殺人者は「街を浄化する」という声明のもと犯行を繰り返し、住民たちは震撼するが、一部の人々はそんな犯人を英雄視する。真相を追う女性ジャーナリストのラヒミは、事件を覆い隠そうとする不穏な圧力にさらされながらも、危険を顧みず取材にのめり込んでいく。そして遂に犯人の正体にたどりついた彼女は、家族と暮らす平凡な男の心に潜んだ狂気を目の当たりにする。
感想&解説
鑑賞後、悲しく重い気分になる作品だった。国や宗教による価値観の違いを描いた作品は多いが、やはり映像としてその理不尽さと暴力性をこれほどまざまざと見せつけられると、背筋が寒くなる。まず本作は予告編を観て想像していた、”犯人当てサスペンス”の映画ではなく、完全に”社会派ドラマ”の範疇にあたる作品だと思う。またサイード・ハナイというイランの実在した殺人鬼を描いているという意味では、ドキュメンタリー作品としての側面もあるだろう。この映画はイランの聖地マシュハドで起こった、娼婦だけを狙った連続殺人事件の顛末を描いており、なんとその被害者は16人にも及ぶらしい。そしてその事件を追う女性ジャーナリストのラヒミと、“スパイダー・キラー”と名付けられた犯人サイードの行動を両軸で描いていく。
そして本作の特徴として、いわゆる”サスペンスフルな展開”がほとんどない事が挙げられる。サスペンス映画としての伏線や謎解き、カーチェイスなどの娯楽映画としての要素は一切なく、淡々とした演出で各シーンが積み重ねられていくのだ。ジャーナリストのラヒミはこの連続殺人犯の行方を追うが一向に手が届かず、犯人サイードは次々と犯行を重ねていく。ただ、だからといってこのサイードは天才的な犯罪者でも冷酷無比な悪魔でもなく、ただの凡人であることが徹底して描かれる。妻がいて子供もいる、そして非常に怒りの感情に流されやすい、行き当たりばったりな”普通の男”なのだ。ただ彼には「売春婦を駆逐して、この街を浄化する」という強い信念があるだけだ。よって殺人の手法も街にいる売春婦を自分のバイクに乗せて、自宅に連れ帰って首を絞めるというシンプルな方法であり、そこにはまったく計画性の欠片もない。素手で触りまくった死体はその辺の畑にそのまま遺棄しているし、捨てる場所も夜中にバイクで行ける範囲に限定されるだろうから、サイードの住む場所から近場に限られてしまうだろう。
ここからネタバレになるが、さらにサイードは近所の人に被害者と一緒にいるところを発見され、奥さんに浮気を疑われるし、急に帰宅した家族に殺したばかりの死体を見られそうになる。またある時には大柄な娼婦に反抗され、死体処理の最中に怪我を負ったりもする。これら犯行シーンにおける滑稽な行動や、建築現場で働く彼の日常の行動からは、16人もの殺人が可能な男にはまるで見えない。家に連れ込んだ娼婦が壁際に座り込んでしまい、後ろから首を絞められない状態になった際、隣の部屋で刃物を持ったり置いたりして、部屋中をウロウロするシーンなどは、まるでコメディのようだ。では何故、彼は警察に捕まらないのか?これだけ大きな事件にも関わらず、警察が捜査をしているシーンは一切描写されないのは何故なのか?それは、まるで社会全体がこの犯人の殺人を擁護しているからだと、本作では描いている。実際の事件では、警察の捜査も行われたかもしれない。だが少なくともこの映画内では、この愚鈍な男が捕まらないのは、”ある力”が働いているからだと描いているのだ。
それくらいこの映画において、作り手は犯人を徹底して”ただの凡人”だと描いている。神の為に街を浄化するという屈折した信念で動く男を、観客には理解できない特別な悪魔だとは描かず、その辺りに普通に住む”ただの男”だと突きつけてくるのは、映画後半の展開へのフリとして大きな意味を持たせているからだろう。また殺害シーンもかなり生々しい表現が採用されており、渾身の力を込めて首を絞めるサイードと、苦しさに顔を歪ませながら徐々に動かなくなる女性たちを交互に映すことによって、目を背けたくなる凄惨な映像になっているのも特徴だ。実際に、人は簡単には死なないし、綺麗な絞殺などあり得ないことを描いているのだろう。殺害方法も、イスラム教の女性たちがスカーフのように頭に巻く、”ヒジャブ”によって首を絞められており、ここにもサイードの屈折した女性観が現れている。ヒジャブはアラビア語における「隠す」から派生し、「貞淑」や「道徳」を意味した言葉らしい。女性のイスラム教徒が頭や身体をおおう布で娼婦の首を絞めることは、犯人であるサイードのメッセージが込められていると感じる。挙句、主人公ラヒミの危険なおとり捜査の末にサイードは逮捕されるのだが、ここからが本作における残酷性の真骨頂なのだ。
なんとサイードは法廷で厳しく断罪されるどころか、むしろ世論は彼の行動を容認し、サイードの言う”街の浄化”を正当化するようになるのだ。犯罪者であるはずのサイードがまるで救世主のように扱われ、彼の妻も「売春婦は殺されて当然の存在。夫は正しいことをした。」と言い出すシーンには心底絶望的な気持ちにさせられる。検察側からも「死刑執行の前に逃がしてやる」と言われ、刑罰であるはずの鞭打ちも”フリ”だけして逃げるシーンには、もはや社会全体の腐敗を感じるのだ。この映画は、イラン政府やイスラム教の指導者らには「信仰を侮辱している」と猛烈に抗議されたらしい。序盤にラヒミは予約していたホテルから女性が一人であることを理由に、宿泊を拒否されるシーンがあるが、イランでは普通にあることだと主演のザーラ・アミール・エブラヒミはインタビューで答えている。また夜中に突然女性の部屋を訪れて放つ、警察署長の恐喝セクハラな発言などから、ここは常に男性が優遇され、女性は偏見と暴力に晒される危険な社会なのだと、監督は赤裸々に描いているのである。
そしてあの強烈なラストシーンだ。結局死刑となったサイードだが、彼の息子が父親の行動を肯定しており、なんと自分の幼い妹を使って、父親の殺し方を模倣している場面が描かれる。このミソジニーという悪しき思想はこうやって継承され、決して消えることはないという、あまりにも痛烈なメッセージが突きつけられ、この作品は終わる。そしてこれは、決してイランだけの話ではなく、同じことが今も世界中で起こっていることなのだと語っているようにも感じる。アリ・アッバシ監督の前作2019年公開「ボーダー 二つの世界」は、北欧の怪物トロールの物語であり、トロールが今まで自分を迫害してきた人間に復讐するため、人間の赤ん坊をさらい自分が生んだトロールの胎児と取り換えるという場面が描かれていたが、ダークファンタジーの体裁を取りながらも、世界にはまだ世間には知られていない”闇の部分”があることを描き出す作品だった。そういう意味では、この「聖地には蜘蛛が巣を張る」はもっとリアルな設定と表現方法で、この現実世界の暗部を描いた作品なのだと思う。
自分の価値観が強く揺さぶられ、暗澹たる気持ちで劇場を後にする作品なので、体調の良い時に観ることをオススメしたい。だが、こういう強いメッセージのある作品が世界中で公開され、日本でも観られることは素晴らしいことだと思う。イランの社会構造そのものが、この連続殺人犯を作り上げたことを提示する本作は、当然イラン国内からの製作費捻出と撮影は厳しかったらしく、デンマーク・ドイツ・フランス・スウェーデンなどヨーロッパ各国からの出資で製作され、撮影自体はヨルダンで行われている。監督もこの映画の完成にはかなりの苦労があったようだが、前作の成功に続いてこの作品で、アリ・アッバシ監督のフィルムメイカーとしてのバリューも大きく上がったことだろう。また次回作でもより一層尖った作品を期待したい。
7.0点(10点満点)