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映画「怪物」ネタバレ考察&解説 あのラストシーンを解説!誰が”怪物”なのか?を探る物語ではなかった本作!是枝監督の新たな代表作!

「怪物」を観た。

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そして父になる」「海街diary」などを手掛け、2018年の「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督の最新作は、映画「花束みたいな恋をした」などの脚本家である、坂元裕二とのコラボレーションによるヒューマンドラマ。音楽は2023年3月に他界した、坂本龍一が手がけている。出演は「ある男」の安藤サクラ、「アヒルと鴨のコインロッカー」の永山瑛太、「キャラクター」の高畑充希、「ブルーハーツが聴こえる」の角田晃広、「男たちの大和 YAMATO」の中村獅童、「ひとよ」の田中裕子など。また子役である黒川想矢と柊木陽太も、素晴らしい演技を見せている。2023年の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、見事「脚本賞」と独立賞の「クィア・パルム」賞を受賞した。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。

 

監督:是枝裕和
出演:安藤サクラ永山瑛太角田晃広中村獅童、田中裕子、黒川想矢、柊木陽太
日本公開:2023年

 

あらすじ

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。

 

 

感想&解説

監督デビュー作となった1995年「幻の光」を除いた作品群の中、一貫してオリジナル脚本を自分で執筆し続けてきた是枝裕和監督だが、今作は「花束みたいな恋をした」を大ヒットさせた脚本家である、坂元裕二がストーリーを担当したことでも話題になっており、しかも第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された結果、見事「脚本賞」を受賞したというヒューマンドラマだ。そしてこの共作が今回は完璧に功を奏しており、特に近作「真実」「ベイビー・ブローカー」でしばしば見られた、”ストーリーの停滞感”がまったく無くなっている。さらに是枝監督がそもそも持っている、映画監督としての”演出の巧さ”が加わっていることで、本作は非常にスキのない見事な作品になっていたと思う。

作品の作りとしては、いわゆるきっちりした三部構成となっており、しかも黒澤明監督「羅生門」やリドリー・スコット監督「最後の決闘裁判」のような、一見それぞれの語り手の目線によって物事の側面が違って見えるが、全員のパートを組み合わせることによって”本当の真相”が見えるといった作りになっている。ここからネタバレになるが、本作の場合は「安藤サクラが演じる母親」「永山瑛太が演じる教師」「黒川想矢が演じる湊少年」の3人の視点から物語が描かれるのだが、冒頭の母親パートだけ観ると、少年に体罰を与えたように見える保利という教師はとてつもない悪人に見えるし、田中裕子が演じる校長は”事なかれ主義”の最悪な教育者に見える。だが次の「永山瑛太が演じる教師」の視点になると、彼はまったく暴力教師などではなく、むしろ子供の側に寄りそう真面目な教師であることが分かってくるのだ。そして、本作は人間には”色々な側面”があり、本人には悪意はないが人を傷つけてしまうシチュエーションを徹底して描いていく。

 

先ほどの保利先生は、子供たちの組み体操が崩れると、一番下で土台となっている湊少年に悪意なく「しっかりしろよ、男だろ」と声をかけてしまったり、子供たちがケンカしたあと、「男らしく仲直りしろ」と強引に握手させたりする。そしてラガーマンだった旦那を亡くした、シングルマザーの安藤サクラ演じる母親は、息子に「あなたが"普通の家庭"を持てるまで、頑張る」と愛情が深いが故に、悪意のない言葉を投げてしまう。だがこれらの言葉が、”ある問題”で悩んでいる少年をどれほど傷つけていたのかが、第三幕目で解る構成になっているのである。母親が運転する車からいきなり子供が車外に飛び出すシーンは、グレタ・ガーウィグ監督の「レディ・バード」を思い出したが、この車という個室の中から一刻もはやく抜け出したいという抑えがたい少年の衝動を描いており、第一幕でこの場面を観た観客は、絶対にこの少年は病んでいると思ってしまうだろう。これは田中裕子が演じる校長にも同じことが言える。第一幕の校長として振る舞う彼女には、人間性の欠片も見えず悪意の塊のような存在に感じるのだが、第三幕で湊少年とトロンボーンを吹く彼女を観ると、自ら孫を殺してしまった後悔とそれを夫に肩代わりさせているという、深すぎる哀しみと罪悪感がこの校長にのしかかっている事を思い知らされる。

 

 

そしてクラスメイトにいじめられている星川依里も、自分のセクシャリティに気付きながら、それを「お前は人間ではなくブタの脳だ」と中村獅童演じる父親に否定され、虐待される日々を送っており深く傷ついている。だがそんな依里の父親自身も、早くに妻を亡くしている事が描かれるのだ。湊少年も父親を不倫中の事故で亡くしているし、母親は強気に振る舞ってはいるが未だに死んだ夫を忘れられない。本作の登場人物は、大小あれど全員が傷を負っているのである。本の誤植を見つけては出版社に連絡を入れるという、善意というよりも揚げ足取りのような趣味を持っている保利先生や、クラスメイトの前では依里に優しくできない湊、子供の言い分だけを真に受けて、先入観だけで教師を責めてしまう母親などの描き方も含めて、完全な善人も悪人もいないという、”現実”を投影したバランスになっているのである

 

そして映画の構成自体も面白い。三幕構成でありながら、特に「第一章」などのタイトルが付くわけでも、解りやすく章立ての構成になっている訳でもない。基本的には「時系列」が行ったり来たりしながらも、各シーンがシームレスに繋がっているので、最初はやや混乱するかもしれない。だがこの映画の特徴的なシーンである、「ビル火事のシーン」が目印になっている事と、「湊の髪型」で時系列が把握できれば分かりやすくなるだろう。冒頭から片足だけの靴や水筒の中の砂利など、いかにも湊がいじめに遭っているというミスリードで観客を惑わせてくるが、頭の中でこの時系列パズルのピースを嵌めながら鑑賞することで、この映画の全体像が把握できる作りになっているのも、今までの是枝裕和監督にはなかった構成で、これぞ坂元裕二脚本の真骨頂だと思う。そしてこの映画のテーマは、タイトルである”怪物”が、登場人物のうちの誰か?という事を描いた作品ではなく、自分が他人と違うことで、”怪物”だと思い込んでしまった少年たちの物語であることが、解ってくる。

 

いわば本作は少年による、性的マイノリティの内面を描いていた作品だったのだ。ただでさえいじめに遭ったり、親や先生との関係に悩み、十分な性の知識や教育を受けていない少年期に、自らの同性愛に気付いてしまった少年は、自分が他人とは違う怪物だと思ってしまっても罪はない。しかも依里はそれが原因で父親から虐待されているし、湊も”男らしかった父親”を愛している母を傷つけるかもしれないと思い、自分のセクシャリティーを告げられない。だがこういうシチュエーションは、現実には多々あるだろう。これこそまだまだLGBTQに対して、不寛容な日本だからこそ描かれるべき物語なのだと思う。荒れ狂う嵐の中、その事実に気付いた母親と教師が廃墟の電車に向かい、横倒しになった電車の中を覗き込むシーンで「湊少年」のパートに移るのだが、三幕目のラストシーンでは湊と依里は嵐の過ぎ去った後、電車の中から抜け出し眩い日光の下を走り回るシーンに続く。そして線路に向かう柵が外されていることが表現されるのだが、この”柵”が何を意味しているのか?は言わずもがなだろう。彼らを取り巻き、閉じ込めていた”世間”という枷から自由になったのだ。湊少年は劇中、度々「生まれ変わり」の話をする。ラストで彼らは、この性的マイノリティに不寛容な世界から抜け出し、遂に彼らだけの新しい”生まれ変わった”世界へ駆けだせたのである。母親と教師が列車の中から彼らを助け出せたのなら、あの夜のうちに彼らは救出されているはずだし、あのまま母親たちが少年二人を見つけずに帰宅する事は考えにくい。母親たちが少年を救助するシーンをあえて入れておらず、翌朝の極端に幻想的なシーンに繋げているのは、映画文法としてやはり二人はもう死んでいるのだろう。あのシーンは彼らが”希望”した新しい世界を描いていたのだと思う。

 

是枝裕和監督作品の中では、「歩いても 歩いても」「そして父になる」「三度目の殺人」に匹敵するくらいに好きな作品になった本作。そしてこの映画が遺作となった、アーティスト坂本龍一が手掛けたサントラも、本作のシリアスな雰囲気を決定づける重要な要素になっていたと思う。特にエンドクレジットで流れる楽曲の美しさは、エンディングの余韻と相まって素晴らしい効果を生んでいた。そして安藤サクラ永山瑛太、田中裕子らの役者陣の中でも、黒川想矢と柊木陽太という子役二人が際立っていたのは、やはり演出家である是枝裕和の実力だろう。冒頭から続く小さな違和感の輪郭が、徐々にハッキリしてくる中盤からの展開には目が離せなくなると思うし、鑑賞後も誰かと語り合いたくなる、素晴らしくも重層的な作品であった。

 

 

8.0点(10点満点)