映画「胸騒ぎ」を観た。
長編1作目「Parents」、そしてデンマーク国内で高い評価を得た「A Horrible Woman」に続く、デンマークの鬼才クリスチャン・タフドルップが監督・脚本を手がけた長編3作目。第38回サンダンス映画祭でワールドプレミア上映されると大きな話題を呼び、デンマークのアカデミー賞と呼ばれる”ロバート賞”では11部門にノミネートされたり、日本でも富川国際ファンタスティック映画祭でも最優秀監督を受賞するなど、高い評判を呼んでいる。どうやら既にブラムハウス・プロダクションズでジェームズ・マカヴォイ主演のリメイクが決定しているようで、ある善良な家族を襲う悪夢のような週末を描いたデンマーク・オランダ合作によるヒューマンホラーとして、かなりエクストリームな作品になっている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:クリスチャン・タフドルップ
出演:モルテン・ブリアン、スィセル・スィーム・コク、フェジャ・ファン・フェット、カリーナ・スムルダース
日本公開:2024年
あらすじ
休暇でイタリアへ旅行に出かけたデンマーク人の夫妻ビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、そこで出会ったオランダ人の夫妻パトリックとカリン、息子のアベールと意気投合する。数週間後、パトリック夫妻から招待状を受け取ったビャアンは、妻子を連れて人里離れた彼らの家を訪問する。再会を喜び合ったのもつかの間、会話を交わすうちに些細な誤解や違和感が生じはじめ、徐々に溝が深まっていく。彼らの“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を感じながらも、週末が終わるまでの辛抱だと耐え続けるビャアンたちだったのだが、この後彼らに想像を絶する恐怖が襲い掛かる。
感想&解説
まず本作のレーティングが、「PG12」であることに驚かされた。”12歳以下の方には保護者等の助言・指導が必要”という映画観覧の年齢制限なのだが、この映画こそ絶対に「R18+」であるべきだろう。性器もハッキリと映るし性描写もあるうえに、直接的なゴア描写もある。しかも相当な”胸糞映画”なので、大人でも鑑賞には覚悟が必要だ。レビューサイトにはアリ・アスターやリューベン・オストルンド、ラース・フォン・トリアーという名前が並び、「ミッドサマー」や「フレンチアルプスで起きたこと」「ザ・バニシング-消失-」などと比較されているが、個人的に本作を観ていてもっとも思い出したのはミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」だ。人間による理不尽な暴力性に震え上がった経験として「ファニーゲーム」は特別な作品だったが、その映画と肩を並べるレベルで、この「胸騒ぎ」はエクストリームな過激作品になっている。
主人公はデンマーク人夫婦のビャアンとルイーセで、彼らには一人娘のアウネスがいるが、イタリア・トスカーナの旅行中にオランダ人夫婦のパトリックとカリン、そしてその息子アーベルと出会う。やたらと社交的なパトリック夫婦と意気投合したビャアン夫婦の元に、後日「我が家に遊びに来ないか?」という誘いの手紙が来るのだが、消極的なルイーセに対してかなり乗り気のビャアン。そして結局、彼らはオランダの田舎町にあるパトリック家族の元を訪れることにし、週末を一緒に過ごすことになる。そこから小さな違和感を感じながらも、パトリック夫婦の無邪気なふるまいに流されていくビャアン夫婦。だが彼らに待ち受ける悲劇の運命は、刻々と近づいているのだったというストーリーだ。
まず邦題である「胸騒ぎ」というタイトルが良い。徐々に何かが起こりそうなことを予感させるタイトルになっているが、英題は「Speak No Evil」といい「悪口を言わない」という意味で、これは主人公ビャアンのことを指しているのだろう。ここからネタバレになるが、まず到着早々にベジタリアンのルイーセにイノシシ肉を勧めたり、娘のアウネスの寝る場所が床だったり、自分を医師だと偽っていたり、居酒屋で過度にイチャつかれた上にその会計まで押し付けられたり、無断でシャワー中に部屋に入られたりといったパトリック夫婦の奇行に対して、ビャアン夫婦はフラストレーションを溜めていく。そもそもビャアンはイタリアで生歌を聴いて涙ぐむくらいに繊細な上に、娘アウネスがウサギの人形を無くすと街中探しにいくという優しい父親だ。そんな彼はいくらパトリックに無礼を働かれても、苦笑いを浮かべるだけで強く反論せずになんの文句も言えない。ビャアンはいつも常識や体裁に縛られており、自分の内面を殺して生きていることをパトリックに吐露する車中のシーンがあるが、そんな男だからこそ彼は”彼ら”に付け入られるのだ。
本作のパトリック夫婦は終盤になるにつれて、ほぼ”悪魔”のような”絶対悪”としての存在となってくる。ただ思えば序盤からパトリックは、ビャアンのいる部屋を見上げるように立っているような不気味な存在だったし、彼からの誘いの手紙を受け取ったあとのビャアンは”心ここにあらず”といった感じで、不自然にパトリックという存在に惹きつけられていた。その時のシーンも日常的な場面にも関わらず、なぜか不穏なBGMがバックでかき鳴らされているのだ。さらにパトリックはビャアンの弱い心に付け込んで、いつも一時の快楽を提供してくる。先ほどの車中シーンから二人で大声で叫ぶ場面、そしてプールでビールを飲みながらはしゃぐシーンへの流れなどが顕著だし、一度は家に帰ろうとした夫婦に対して、「最高の一日にする」と結局は懐柔してしまうパトリック。彼はいつもビャアンの内面に入り込んできて、彼の心をいとも簡単に掌握してしまう。多くの悪魔が人間を誘惑する存在であるように、ビャアンはパトリックという悪魔に魅入られてしまったのだろう。
そして本作ではパトリック夫妻が子供たちの舌を切って、その後に自分たちの元に置いておく理由が描かれない。通常であれば幼児の人身売買などの理由があってこのような行動を取っているのだろうが、結局は息子アーベルのように殺してしまうのであれば、彼らがこのような行為を続けている意味がない。彼らの目的は性的満足でも金銭的な理由でもないのだ。結局パトリック夫婦のように裕福で幸せな家族から理不尽に子供を奪い、絶望に打ちひしがれる両親を理由なく殺しているのだろう。序盤のイタリアのシーンで、アウネスが失くしたウサギの人形を探しにいったビャアンに対してパトリックは、「君はヒーローだ」と言葉をかける。それに対して嬉しそうにはにかむビャアンだが、その後、彼は本当に必要な時に英雄的な行動が取れない。決してヒーローにはなれない男なのである。
例えば終盤に無防備にも、拉致したビャアン家族を車に残したままキーを付けっぱなしにして、パトリックが立小便をしにいくというシーンがある。なぜこの場面でビャアンは、車を奪って逃げないのか?その後、娘を奪われた夫婦はパトリック夫婦に言われるがまま服を脱ぎ、殺されることが分かっているのに採石場に立ち尽くし、そのまま”投石”によって殺されてしまう。彼らは最後まで決してパトリックには逆らえないのである。この投石による処刑方法は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の中に記載がある。姦通罪で捕らえられた女性に対して投石による処刑が行われようとしてたが、イエスが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言ったことから、誰も石を投げられなかったという一節からの引用なのかもしれない。彼らには”自分にはまったく罪がない”と宣言することができる人はおらず、自分の正しさを根拠に人を裁く権利を持った者は誰もいないという一節なのだが、パトリックは多くの罪を犯してきたにも関わらず簡単に投石で人を殺める。彼は”人ではない存在”の象徴という事なのだろう。
カリンが持つ”切れないハサミ”によって、あまりにおぞましい運命をたどる娘アウネスとパトリック夫妻。まるで舌を切られた子供のように言いたい事を言わない、そして行動できない男は、エンドクレジットにおけるレンブラントの絵画「ガニュメデスの略奪」のように子供をさらわれ、妻と自分の命まで奪われてしまう。本当に”胸糞作品”なのだが、映画としては本当に素晴らしい作品だったと思う。最近の日本で公開される北欧作品は、「イノセンツ」「ハッチング/孵化」などレベルが高い。こういう良い意味で最悪な映画を観るために映画館に足を運んでいる身としては、大満足の一作だった。広く人には勧められない作品かもしれないが、映画の可能性を広げてくれるという意味でも、こういう挑戦的な寓話ホラーはもっと鑑賞したい。個人的にもクリスチャン・タフドルップ監督は大注目の監督となった。
8.5点(10点満点)