映画「インサイド・ヘッド2」を観た。
「モンスターズ・インク」「カールじいさんの空飛ぶ家」「ソウルフル・ワールド」などを手がけたピート・ドクター監督が、人間が抱く「感情」たちの世界を描いたピクサーの長編アニメーション映画「インサイド・ヘッド」の約9年ぶりの続編。前作は第88回アカデミー賞で「長編アニメーション賞」を受賞し、高い評価を得た作品だ。今作「2」は「モンスターズ・ユニバーシティ」のストーリースーパーバイザーを務めた、ケルシー・マンが長編初監督を担当している。また本作は世界中でとてつもない興行成績を樹立しており、「インクレディブル・ファミリー」を抜いてピクサー史上1位、「アナと雪の女王2」を超えてアニメ映画歴代1位となっており、現時点で2024年に公開された全ての映画でも興行収入トップとなっている。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:ケルシー・マン
出演:エイミー・ポーラー、マヤ・ホーク、ケンジントン・トールマン、ライザ・ラピラ、トニー・ヘイル
日本公開:2024年
あらすじ
少女ライリーを子どもの頃から見守ってきたヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリの感情たちは、転校先の学校に慣れ新しい友人もできたライリーが幸せに暮らせるよう奮闘する日々を過ごしていた。そんなある日、高校入学を控え人生の転機に直面したライリーの頭の中で、謎の警報が鳴り響く。戸惑うヨロコビたちの前に現れたのは、最悪の未来を想像してしまう「シンパイ」、誰かを羨んでばかりいる「イイナー」、常に退屈&無気力な「ダリィ」、いつもモジモジして恥ずかしがっている「ハズカシ」という、大人になるための新しい感情たちだった。
感想&解説
前作「インサイド・ヘッド」から約9年ぶりの続編という事で、ピクサーにとっても 2019年の「トイ・ストーリー4」ぶりのシリーズ続編ものとなる本作。過去のピクサー映画の中でも2010年以降の作品だと、「インサイド・ヘッド」と「ソウルフル・ワールド」がお気に入りの自分にとっては(その次は「リメンバー・ミー」)、ピート・ドクター監督はピクサーの中でも特に信頼のおける監督だという印象だ。だがその「インサイド・ヘッド」の続編が、ケルシー・マンという長編デビューの監督にスイッチしたという事だが、どうやら本国ではとてつもない特大ヒットになっているらしい。もちろんピート・ドクターは製作総指揮として携わっているようだが、不安半分のまま今回は興味津々で劇場に駆け付けた訳だ。
結論、非常に面白い作品だったが、個人的には前作の方に軍配が上がる映画だった気がする。やはり前作「インサイド・ヘッド」の肝は、少女の頭の中を舞台に、そこに住む「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」という5つの感情が擬人化されたキャラクターが、ライリーという少女の感情を司令部から操りつつ、必死に彼女を幸せに導いていくという設定自体がまず秀逸で、さらにそれらが”思い出ボール”として脳内にある「保管場所」に保存されていくという、このフォーマット自体が強い魅力を秘めていたと感じる。しかも人間には「ヨロコビ」だけではなく、「イカリ」や「カナシミ」といった感情も必要で、それらが絡み合って”人の想い出”は作られているのだという、重層的なメッセージを提示してくる作品で、大人にこそ深く理解できる映画に仕上がっていたと思う。
そして続編である本作ではそのライリーも11歳から13歳となり、高校入学を目前に控えた「思春期」に突入しているという設定だ。さらに舞台として、ライリーが生きがいにしているアイスホッケーのキャンプに誘われたことで、有力チームに入れるかもしれないというプレッシャーと、憧れの先輩との接し方、さらに今までの親友たちと違う高校に進むという寂しさなどが交じり合い、更に複雑な感情たちが現れることになる。それは「シンパイ」「イイナー」「ハズカシ」「ダリィ」の4種類だ。その中でも特にリーダー格なのは「シンパイ」であり、ヨロコビはいつものようにライリーには明るくキャンプ期間を過ごして欲しいと頑張るが、シンパイは高校生活を有意義に過ごすためには、憧れのファイヤーホークスのチームメイトに気に入られ、結果を残す必要があると躍起になる。シンパイはなにより、”孤独”になることを恐れるのである。
ここからネタバレになるが、劇中でライリーに突きつけられる数多くの判断は、大人であれば誰しもに経験があることで、まず本作の素晴らしい点はここだろう。仲のいい友達がいるにも関わらず、先輩に誘われたら断れずに思わずそちらを優先してしまったこと、本当は大好きなバンドがあるのに、格好つけて好きでもないバンドを好きだと言ってしまうこと、結果を出さないといけないと焦り、周りが見えなくなってしまうこと。これらの打算的な行動は大人になる過程で、多かれ少なかれ誰しも経験することなのではないだろうか。だからこそこれらの場面を観ながら、”この主人公ライリーはまさに自分だ”と観客は思えるのである。ここまで感情移入させられる作品はなかなか無いし、本当にライリーの気持ちが痛いほど理解できるために、映画の展開から目が離せなくなる。
終盤、シンパイが暴走することで、ライリーは「私はダメな人間なんだ」と自己肯定感が下がり続け、ついにはパニック発作を起こしてしまう。ヨロコビがなんとかシンパイをコントールパネルから降ろし、台座にあった“本当のライリー”を「私は善い人」に差し替えるが、ライリーに変化はない。そこでヨロコビは初めて、”本当のライリーらしさ”とは何か?に気付くのである。それはポジティブな事だけではなく、マイナスな感情や怒りの感情などの弱い部分も含めた、様々な要素を持ってこそ本当の自分であり、それは固有の感情だけが生み出すものではないという事だ。だからこそ、全ての感情がライリーを抱きしめることで、ライリーは落ち着きを取り戻す。そして友人たちに今までの態度を謝ることで、再び友情を取り戻すのである。そしてヨロコビに導かれるまま、ライリーは大好きなアイスホッケーを楽しそうにプレイする。打算ではなく、彼女の持っている本来の能力がここで発揮されるのだ。
ラストシーンではライリーが、友人たちと共にファイヤーホークスのメンバー発表を待っている場面になるが、通知を受けたライリーは、満面の笑顔を見せて本編は終わる。これはもちろん実力が発揮できた為に、メンバー入りできたという事なのだろう。ライリーは”自分らしさ”を活かしながら、そしてヨロコビやカナシミ、シンパイはそれぞれの感情をコントロールして、彼女の人生は上手く進み始めたということだ。そしてキャンプから帰ってきたライリーと両親の会話シーンでは、「キャンプはどうだったか?」と聞かれたライリーがダリィの行動によって、面倒くさそうに「良かったよ」の一言で済ませてしまった為に、両親たちのシンパイが発動するというコメディシーンで大団円となる。ここまで約96分という尺で、一気に見せ切る演出力はさすがのピクサークオリティだ。特に”大人になるにつれてヨロコビが減っていく”という表現には、思わずハッとさせられた。
ただ残念な点もある。まず思春期という面白くなりそうな題材に対して、今作はどうしてもシンパイが占める割合が大きく、他の新規キャラの印象が薄いのだ。これはスポーツ合宿(キャンプ)という固定シチュエーションのみにした事で、悩みの種類が限定されてしまったからだろう。ここに思春期らしい"恋愛"の要素などを少し入れることによって、もっと感情の振れ幅が大きくなって面白くなった気がする。前作でも登場し、ソフト化の際にボーナスコンテンツとして収録されていた「ライリーの初デート?」でも爆笑されられた、少年ジョーダンが本作ではラシュモア山の顔が掘られた岩山のように一番左にカメオ出演していたが、これはライリーにとって彼が今でも気になる存在という事だと思うので、彼をもっと活かしてほしかった。また前作のエンドクレジットでは犬や猫の頭の中も見せてくれたりと、クスっと笑えるコメディシーンが多かったが、本作ではそれが少ないのも残念だ。全体的に真面目にそつなく作られた作品という印象で、レベルは高いがそもそも前作の設定が秀逸すぎて、テーマの割にやや小じんまりしてしまったという印象だろうか。とはいえ大人向けエンターテインメントとして、強く感情を揺さぶられる作品なので鑑賞後の満足感は高いと思う。
7.0点(10点満点)