映画「Chime/チャイム」を観た。
「CURE キュア」「回路」「トウキョウソナタ」「散歩する侵略者」などで世界中から評価されており、今や日本を代表する映画監督の黒沢清による中編作品。メディア配信プラットフォーム「Roadstead」のオリジナル作品第1弾として制作されており、現在はデジタル配信でも鑑賞可能な上、都内でも数は限定的ではあるが上映中だ。上映時間45分ということで、かなりサクッと観れるが、内容は驚くほど豊かな映画だった。今年は柴咲コウ主演の「蛇の道」が公開されたばかりだが、すでに長編次回作は菅田将暉主演の「Cloud クラウド」が決まっており、精力的に活動している黒沢監督の新作ということで、今回は劇場鑑賞してきた。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:黒沢清
出演:吉岡睦雄、小日向星一、天野はな、田畑智子、渡辺いっけい
日本公開:2024年
あらすじ
料理教室で講師として働いている松岡卓司。ある日のレッスン中に、生徒のひとりである田代一郎が「チャイムのような音で、誰かがメッセージを送ってきている」と不思議なことを言い出す。事務員のあいだでも田代は少し変わっていると言われているが、松岡は気にせず接していた。しかし別の日の教室で、田代は「自分の脳の半分は機械に入れ替えられていてる」と言い出し、それを証明するために驚きの行動に出る。これをきっかけに松岡の周囲で次々と異変が起こり始める。
感想&解説
黒沢清監督作品でいえば、本作は1997年「CURE キュア」に雰囲気は近いのかもしれない。ただ上映時間45分の中編という事で、ストーリーの起伏やキャラクター設定ではなく、完全に”映像の演出力”を堪能する作品になっていると感じる。とにかく徹底して無駄な要素を削ぎ落して、ホラー映画として観客を怖がらせることに注力しており、その完成度は凄まじい。よって上映時間に短さに反して、鑑賞後の満足感は高いだろう。映画が始まってから終わるまで、ダレることは一度たりともない。ただしこの映画に”ロジック”や”整合性”を求めてしまうと、途端に不可解なだけの作品になってしまう。その”分からなさ”が恐怖を生んでいるし、この作品の魅力だからである。
本作はホラー映画という”映像作品”としては、ほとんど究極形に近いのでは?と思う。日本のよく見かける料理教室や家の食卓などのロケーションと、地味で華のない(失礼)一般的な人たちを演じる役者陣だけで、なぜこれほどまでに怖い映画が作れるのかと驚愕してしまった。とにかく全てのシーンで、カメラの動かし方から構図やライティング、音の付け方まで考えられたカットの連続で構成されている。よって、次にどうなるのか?が気になって目が離せないのだ。それは大きなストーリーとしての推進力ではなく、その短い各場面の中で、キャラクターが次の瞬間にどうなってしまうのか?が予測できない為に生じる緊張感だ。さらに黒沢監督のトレードマークともいえるロングテイクも健在で、中盤の橋で主人公が急に走り出す場面などはダイナミックなショットになっており、死体遺棄というシリアスなシーンの内容に反して妙な感動を生んでいる。
ここからネタバレになるが、料理教室で講師をしている松岡という男が、ある日、田代という男性生徒が「先生にはこのチャイムの音が聞こえませんか?」と授業中に言い出すが、松岡には聞こえない為に相手にしないと、「僕の脳の半分は機械に入れ替えられているから、それを証明する」と突然自分の首に包丁を突き刺して絶命してしまう。パニックになる教室だが、その後も松岡の日常は淡々と続いていく。フレンチレストランのチーフシェフになるため自分を売り込むのに必死だし、家庭では妻子との間に埋まらない溝が生じている。だがその後、松岡はある女性生徒に料理の個人レッスンをしていたが、「鶏肉を解体するのが気持ち悪い」「なぜこの解体が必要なのか説明してほしい」という生徒に対して、いきなり包丁を突き立てて殺してしまう。そして松岡はその血まみれの死体を袋に入れて遺棄するが、その女性生徒が教室で松岡を待っているとスタッフから聞いた為に教室に走ると、そこには誰も座っていない椅子が置かれているのだった。
とにかく徹頭徹尾、訳がわからない。そして包丁やナイフがすぐ手に届く距離にある料理教室に、頭のおかしい人物が一人いるだけでこれほど恐怖を感じるのかと、第三者視点で観始める序盤から、何とも言えない”違和感”がそこら中に渦巻いている。まず主人公にあたる松岡は、田代のおかしな言動に対してあまりに興味を示さない。何を言われても「そうですか。では料理を続けましょう」というスタンスで、他の生徒の危険なども眼中にないように振る舞うし、田代の自殺が教室で起こった直後でも妻にはそれを話さずに「レストランとの面接が上手くいきそうだ」と自分のことだけを告げる。息子は父親との会話の最中に奇妙に笑いだすし、妻は家族との食事の最中に大量の缶を捨てに行き、不自然に大きな音を立ててそれらを処理する。そして料理の個人レッスンでは、”料理を習いに来ている”にも関わらず、女性は鶏肉を捌く理由をロジカルに説明してくれと言い放ち、その肉をぶん投げる。すると松岡は突然、その女性を背中から包丁で何度も刺して殺した後、不自然なくらいに”用意周到”に用意された大きな袋を取り出すと、その袋に死体を入れ、おもむろに指に絆創膏を貼るのである。この手際の良さは、彼が初犯ではないのでは?と観客に想像を促してくる。
なんの前触れも伏線もなく不可解な暴力が起こり、人が死ぬ。そして、その恐怖の対象は特定の誰かではなく、この世界では均等に発生するのだ。松岡がレストランの面接に落ちた直後のカフェで、一人の男が突然お店にいた女性に刃物で切りかかることに、この作品では特に何の説明もしない。個人レッスンで殺されたはずの女性生徒が待つと言う教室に訪れた女性スタッフは、教室に入った途端に椅子に誰も座っていないことは分かるはずなのに、何故か”部屋の奥”でそれに気づく。そして女性スタッフの絶叫と共に、松岡の恐怖の表情にクローズアップしてその場面は終わる。もちろん何が起こったのか?はまったく説明はないし、その後の場面でもそれについては触れられない。妻が缶を狂気の表情で潰していることの理由は描かれないし、20万を先輩に投資したいと告げる息子があれからどうなったのか?も分からない。
あの部屋のインターフォンに映ったものは何なのか?あのノイズ音は?あのラストの画素を荒くした演出は?この作品においては、世界のほとんどが狂っており、登場人物たち大半がおかしいのだろう。中央線沿いの中野という見慣れたはずの場所なのにも関わらず、この映画だとまるで別世界のようだ。だからこそ、本作を観た後だとまるでこの現実世界が歪んで見えてくる。簡単にはロジックで割り切れないからこそ、この映画はこんなにも面白いし怖いのである。現実を侵食してくるタイプのホラー映画で、カメラに映った先にはこの世ならざる世界が見えたような奇妙な体験だった本作。黒沢作品おなじみの”カーテンによる恐怖演出”も健在で、とにかく黒沢清ファン/ホラー映画ファンであれば必見の映像作品だったと思う。どうやらメイキング映像も配信中らしいので、そちらもぜひ観てみたい。素晴らしい作品であった。
9.0点(10点満点)