映画「アビゲイル」を観た。
2022年版「スクリーム」や最新作「スクリーム6」、花嫁の”決死かくれんぼ”を描いた「レディ・オア・ノット」など、ホラー映画を中心に活躍するマット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレットがメガホンを取ったサバイバルホラー。タイトルロールである吸血鬼少女アビゲイルを「マチルダ・ザ・ミュージカル」のアリーシャ・ウィアーが演じた他、「美女と野獣」「ゴジラ×コング 新たなる帝国」のダン・スティーブンス、「ザ・スイッチ」「アントマン&ワスプ クアントマニア」のキャスリン・ニュートン、「イン・ザ・ハイツ」のメリッサ・バレラ、「メイズ・ランナー」シリーズのジャンカルロ・エスポジートなどが出演している。まったく思いがけず吸血鬼の少女を誘拐してしまった、ある犯罪グループが過ごす戦慄の一夜を描いたホラー映画だ。今回もネタバレありで感想を書いていきたい。
監督:マット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレット
出演:アリーシャ・ウィアー、メリッサ・バレラ、ダン・スティーブンス、キャスリン・ニュートン、ジャンカルロ・エスポジート、
日本公開:2024年
あらすじ
元刑事フランク、巨漢の用心棒ピーター、凄腕ハッカーのサミー、元狙撃兵リックルズ、逃走車ドライバーのディーン、医師ジョーイの互いに面識のない6人の男女。指示役ランバートによって集められた彼らは、富豪の娘であるバレリーナの少女アビゲイルを誘拐する。計画は順調に進み、あとは郊外の屋敷で少女をひと晩監視するだけで多額の報酬が手に入るはずだった。しかしその少女の正体は、恐ろしい吸血鬼だった。少女を監禁するはずが逆に屋敷に閉じ込められてしまった6人は、どうにか生きて脱出するべく悪戦苦闘するが彼らには恐ろしい運命が待ち受けていた。
感想&解説
本作の監督を手掛けたマット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレットが世に出た作品といえば、やはりウェス・クレイブン監督の大ヒットホラー「スクリーム」シリーズの第5弾であり、リブート作品「スクリーム(2022年)」だろう。日本では劇場未公開作品になってしまったが、日本公開1997年の伝説的な一作目からの正統続編として世界ではヒット作品となった。そして、さらにその続編である「スクリーム6」の監督も務めることで、完全にホラー映画作家として認知された監督コンビだと思う。ちなみに本作「アビゲイル」に主人公ジョーイ役として出演しているメリッサ・バレラは、この「スクリーム」2作品にも主演で出演していることから、マット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレットのコンビには絶対の信頼を得ている俳優なのだと思う。ちなみに彼女はジョン・M・チュウ監督のミュージカルの傑作「イン・ザ・ハイツ」にも出演していて、印象的な役柄を好演している。
そんなマット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレット監督コンビだが、本作「アビゲイル」と作風がもっとも近いのは、2019年製作の「レディ・オア・ノット」だろう。ほとんどこの2作品は”姉妹作”だと言っても良いくらいだ。「レディ・オア・ノット」も日本では劇場未公開なのだが、ある大金持ち一族に嫁いだ花嫁が、一族の伝統儀式であるゲームの結果、閉じられた洋館を舞台に生死を賭けた”かくれんぼ”に巻き込まれる姿を描いたシチュエーションホラーで、武器を持った親戚一同から夜明けまで逃げ続けるように告げられた花嫁グレースが、自身の生存能力を活かして戦っていくという作品だった。まず洋館という閉鎖的なシチュエーションを舞台に、生き残りを懸けたサバイバル劇という共通項だが、「レディ・オア・ノット」は一人の女性が多数の追手から逃げ延びるという内容に対して、「アビゲイル」はそれをまるっと逆転させているのが面白い。一人の女性(吸血鬼だが)が、本作は多数の人間を追っかけて殺すという内容になっているからだ。
そして”ある演出”についてもそれは言える。ここからネタバレになるが、「レディ・オア・ノット」でもっとも印象的なシーンは、何と言ってもあの”ラストシーン”だろう。絶体絶命のヒロインが追い詰められたシチュエーションにおいて、周りの人間たちが順番に血しぶきと共に”爆発”していくあのシーンである。大量の返り血を頭から浴びたことで、純白のドレスが真っ赤になったまま階段でタバコを吸うヒロインのラストカットは強烈だったが、あの場面があったお陰で「レディ・オア・ノット」は記憶に残る一作になったと思う。そして監督は完全に”あれ”に味をしめたのだろう。ほとんど得意技と呼べるくらいに、本作「アビゲイル」では後半、この人体大爆発シーンだらけの一作になっている。少女アビゲイルがバレリーナという設定にしているのも、白いチュチュを血に汚していきたかったという意図を感じるし、「レディ・オア・ノット」と「アビゲイル」はほとんどフェチズムと言っていいくらい、監督の指向性と作家性が色濃く出た共通項の多い作品になっているのだ。
それにしても、本作はポスターのメインキャッチとして「誘拐した少女はヴァンパイアだった・・・」と書かれているが、この情報を知らずに観たらより一層楽しめただろうと思う。冒頭の可憐なバレリーナの少女が、ヴァンパイアとして変身するシーンのギャップが最高だったからだ。この映画は、バレエを踊りながら人を殺す吸血鬼というキャラクターが、とにかく”モンスター映画”として面白い。タイトルロールを演じた、アリーシャ・ウィアーは「マチルダ・ザ・ミュージカル」で有名になった子役のようだが、本作撮影時はまだ11~12歳くらいだと思うが、その卓越した身体能力と演技力には驚かされる。首の無い死体と踊るシーンの異様さや、回転しながら追っかけてくる恐怖感はホラー映画としてしっかりと魅力的な場面になっていたが、なにより惹きつけられたのは、アビゲイルが檻の中に入れられた場面で「ここから出してくれた人間だけは殺さずにおいてやる」と、誘拐犯たちに持ちかけるシーンだ。アビゲイルは単にジェイソン的な殺人鬼というよりも、巧みに人の心を操ろうとする悪魔的なキャラクターなのだが、それが子供のルックスとのギャップ込みで面白いのだ。
結局、アビゲイルはさんざん人の心を弄び、圧倒的な強さで誘拐犯たちを追い詰めていく。元刑事のフランクに取引を持ちかけ、書斎にある「そして誰もいなくなった」の本に脱出スイッチがあると、嘘をついてまでかく乱するのだ。サミーというハッカーの女性キャラをコントロールして、一緒にダンスを踊りながら、心が通っていたはずのピーターを殺すシーンも禍々しかったし、初代「エクソシスト」のリーガンばりに汚い言葉で悪態をつくシーンなどは、子役への影響を心配してしまうくらい強烈なシーンになっていたが、本作においては間違いなくこのアビゲイルというキャラクターが魅力的で多面的なキャラクターになっていることが、映画の面白さに直結している。そしてそれは、終盤における”意外な展開”に繋がっていくのだ。ヴァンパイアであるランバートにあえて噛まれたフランクがヴァンパイアになる事で、後半は「アビゲイル&ジョーイ」VS「フランク」というシスターフッドの戦いに突入していく。ここで序盤にアビゲイルとジョーイが指切りして結んだ、友情が活きてくる。
アビゲイルは「父に愛されていない」と自嘲気味に答え、そんな父親を振り向かせる為、そして自らの快楽の追求と孤独を癒すために人間狩りをしていたのだが、ジョーイとは心の絆を感じたのだろう。ジョーイ自身も自分の行動によって息子を奪われており、心に傷を負っている。そして外見上は同じくらいの年に見えるアビゲイルに、母親に近い感情を感じている為、冒頭から一貫してアビゲイルへの暴力を許さないキャラクターとして描かれていた。そんな二人が暴力的な男たちに対して、最後はタッグを組んで闘いを挑むのである。フランクの心臓に杭を打ち込んだ後に浴びる大量すぎる血しぶきは、二人にとっては祝祭の血しぶきだ。ついに登場した父親ラザールにも反抗する姿勢を示したことで、ラザールは娘の成長を感じ、ジョーイを生かしてやるという判断をする。そんなジョーイは血まみれのまま屋敷を出て、車の中で”棒付きのアメ”を口に放り込むのだ。これは「レディ・オア・ノット」のタバコを吹かすラストシーンと完全に呼応しており、本作も女性の”勝利シーン”にて映画は幕を閉じるのである。
サミーが落ちる”死体プール”のえげつなさや、洋館における各部屋の美術などビジュアル的にも目に楽しかった本作。チャイコフスキー作曲のバレエ音楽の定番「白鳥の湖」が何度も変奏して流れる演出も含めて、オールド・クラシックなヴァンパイア映画としての風格もありながら、マット・ベティネッリ=オルピン&タイラー・ジレットのやりたい事を突き通した、作家性もしっかりと感じられる一作だったと思う。特に人体爆発の血しぶき表現は、今後の監督作でもトレードマークのように登場するだろう。賢いキャラでリーダー的な風格だったフランクが、覆面無しでアビゲイルの部屋の扉を開けてしまう序盤の展開にはガッカリさせられたが、最後まで観るとフランクはただの無能な暴力男だったことが分かり納得できたし、他の誘拐犯もそれぞれ役割を全うしていて、キャラクターとして立っていたと思う。エンドロールで「アンガス・クラウドに捧ぐ」という文字があったが、これは凄腕運転手ディーン役のアンガス・クラウドが25歳の若さでこの世を去ったからだ。ドラッグ中毒で最初にアビゲイルに殺される役を熱演していただけに残念だ。正直ややハードルを下げて鑑賞したせいもあったが、監督コンビ作の中では断トツに好きだった本作。特にアビゲイル役のアリーシャ・ウィアーの今後の出演作には目が離せない。ホラー映画好きなら十分に満足できる作品だと思う。
7.5点(10点満点)